July 19th, - 25th, 2009 Vol.16 No.29

キリスト教会にようこそ

序 教会の土台と構造 (ヨハネ 3:16)

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3:16)

教会とは建物ではなく、そこに集う人々のことで、「キリストの体」と表現されています。ですから、土台はコンクリートではなく神様であり、キリストの体(私たち)を土台に固定するのは、ボルトではなく、イエス様の十字架の死によってなされた私たちの罪の赦しによる神様との和解です。そして、すべての人がこの神様との和解に招かれているのです。私たちが教会の一部として神様という土台にしっかり固定されているなら、どんな事が起こっても倒れる事なく、充実した人生を送ることができます。充実した人生とは物質的に満たされる事でも名声を得る事でもありません。それらのものはいくら手に入れても決して満足することはできません。そのような事を目的に生きるなら得ることができるのは、不満、争い、失望、怒りのようなものだけです。『きみは愛されるために生まれた』という素敵な歌があります。愛されていることを知る事は素晴らしい事です。皆さんにも、神様に愛されていることを知ってほしいです。でも愛されることは最終目的ではありません。愛されることだけを求めるなら、地位や名誉、財産を求めるのと同様に欲求不満のままで人生を終える時を迎えることになります。私が皆さんに知ってもらいたいことは、神様に愛されているあなたは『愛するために生まれた』ということです。愛すること、それが誰にとっても人生の目的です。たとえば苦しむ人を助けたいという動機で、政治家、医師、法律家になるなら、その人の人生の目的は愛です。でも同じ職業につくにしてもお金のため、名誉のためなら、その人の人生の目的は自己実現であって愛ではありません。そして愛に生きなければ本当の満足は得られません。教会は私たちがその一部分として、愛する人として新しい人生をスタートし、成長し、成熟するところです。

 

A 教会(私たち)は何のために存在するのですか?

1) 神様を愛するために (マルコ12:30)

心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。(マルコ12:30)

聖書は愛することの大切さを教えてくれていますが、そこには順番があることがわかります。イエス様はこの掟が最も重要だとおっしゃいました。主を愛しなさい、そして第二に隣人を自分自身のように愛しなさいと勧めます。わたしたちの内には愛がなく、神様の内に愛が豊かに宿っているからです。最初に読んだヨハネの福音書に記されているように、本当の愛を現し、教えて下さったのは神様です。この愛に応えることが、愛することの出発点なのです。神様は十字架によって愛とは無条件に自分自身を与えることだと教えて下さいました。そこで、この愛に応えるとは、喜んでそばに近づき、神様の愛の働きのために自分自身をおささげすることだと知らされたのです。愛するという言葉は仕えるという言葉に置き換えらます。神様に仕える、互いに仕え合う、人々に、世界に仕えるということです。

 

2) 互いに愛し合うために (Iヨハネ4:20-21)

ところがヨハネの第一の手紙にはこのように書かれています。

目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。(Iヨハネ4:20-21)

神様を愛するとは、ただ礼拝をささげていればよいのではなく、人々を愛することなのだ、というのです。神様を愛することと、神様が創られたこの世界を愛することとは切り離せないということです。神様を愛することと隣人を愛することとは一つのことなのです。それでは、目的としてあげるのは、神を愛する、世界を愛する、その二つとすればいいのではないかと思われるかもしれません。しかし実際には、神様を愛してはいるけれども、世界(人々)を愛することはできない、あまりにもかけ離れていると感じている人は沢山います。人間関係の中でひどく傷つき、裏切られたなら、人からは背を向けて、神様とだけ一緒にいたい、と思うのは自然なことです。それでも神様は私たちが世界を愛することを願われます。そこで私たちに人々を愛するための良い準備の場所を提供して下さいました。それは神様の愛を知った人が互いに愛し合う、神様に赦された人が互いに赦し合うところです。教会はそのようなところとして存在しているのです。

 

3) 世界(人々)を愛するために (マルコ12:31)

隣人を自分のように愛しなさい。(マルコ12:31)

このように教会の存在の目的は一つ、愛するということで、その本質は一つですが、現わし方で考えるなら三つの局面が考えられます。神様を愛する、互いに愛し合う、そして三番目は世界/人々を愛することです。神様との愛の関係が安定し、互いに愛し合うことを知った人は、世界を愛する、世界に仕えることができます。報酬が得られなくても、感謝の言葉を聞けなくても、目に見える成果がなかなか得られなくても、途中で一つのことに挫折しても、愛し続けることができるようになります。生涯、良い目的を持って歩み続けられ人々の集まりとなるという目的を持って存在しているのです。

 

B 教会(私たち)はその目的のためにどのようなことをしていますか?

1) 礼拝 (マルコ12:28-30)

彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』(マルコ12:28-30)

教会はこの目的のために礼拝と交わりとミニストリーを提供します。神様との関係があらゆる関係の基礎となるのですから、神様との関係を最優先にするのです。世界のために何かをするのも神様に対する愛の表現ですが、共に時を過ごし、顔と顔を合わせ、愛を確かめ合うこと、互いをよく知ることが最も重要なことです。その機会が礼拝です。私たちは週の初めの日に集い、 神様を中心とした神様の家族の絆を体験し、自分が神様の子供だというアイデンティティーを再確認し、知恵と力に満たされて与えられている任務に出てゆくことができます

 

2) 交わり (Iヨハネ 3:16-18)

イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。 世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。 子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。(1ヨハネ 3:16-18)

日本語の交わりという言葉は、教会以外ではあまり使われません。交わりは神様に愛され、神様を愛している人々が共に集い、そこで助け合い、慰め合い、励まし合い、学び合い、祈り合う機会です。今教会にはミニチャーチと呼ばれるスモールグループがあります。メンバーのすべてがどれかのミニチャーチに加わり、互いに愛し合うということを体験していただきたいというのが私の希望です。

 

3) 務め (マタイ5:13-16)

「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」 (マタイ5:13-16)

教会は様々な形で世界に仕えています、どこかへ出て行って何かをするというだけではなく、礼拝や交わりや働きの場を提供するというのも世界に対する教会の働きです。また私たち自身がキリストの体、教会の一部なのですから、あなたがいるところはすべてミニストリーの場であるともいえるのです。家庭で、職場であなたはキリストの使いとしてそこに立てられています。そしてそこで、あなたを通してユアチャーチは働いているというわけです。

C 教会はあなたに何をしてくれますか?

あなたは何を期待されていますか? 最後にユアチャーチはあなたに何を提供し、あなたは何を期待されているか、ということについてお話しします。神様は三つのステップを通してあなたが愛の人となることを望んでおられます。

疲れた者、重荷を負うものは、誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負いわたしに学びなさい (マタイ11:28,29)

1) 招く/イエスキリストに従って生きる決心をする (マタイ11:28)

神様を知らずに生きてきたあなたを神様は信じる者になるように招いておられます。教会もキリストの体として、心からあなたをお招きします。しかし、神様はあなたを無理矢理、あるいは騙してクリスチャンにしようとは思われません。わたしたちも同じです。招きを受けるか断るかはあなたの意志にかかっています。それ以外の何かではなく、愛に生きたいと願うなら、今までの歩みを悔い改めてイエスキリストを信じ従ってゆく決心をして下さい。

 

2) 育てる(いやす)/霊的な健康を取り戻し、成長する (マタイ11: 29b)

イエスキリストを信じクリスチャンとしての新しい歩みを始めた人に神様は、そこをゴールとは思わず成長してほしいと願っておられます。また必要なら霊的な健康を取り戻してほしいと願っておられます。これらのことに一番効果的な場所はミニチャーチのような小さな集まりです。どうか礼拝で神様につながっていることを楽しんでいるように、人々とつながることを楽しんで下さい

 

3) 送り出す/務めを担う (マタイ11: 29a)

ミニチャーチで互いに愛し合うことのできる喜びを実感している人に神様は「働け」とおっしゃいます。簡単な務めを担うことから初めてみて下さい。教会の中の働きの一つを担うことから始めたら良いと思います。小さなお子さんを持つお父さん、お母さんが礼拝や集まり、あるいはデートに集中できるようにベビーシッターをしてあげることも出来ます。簡単な小さなことに忠実に仕える人に、神様はもっと困難な仕事をしなさいと求められます。そうしたら、喜んで自分の仕事を誰かに譲り、新しい仕事に取りかかって下さい。 メッセージを終える前にメンバーの皆さんにお願いがあります。ユアチャーチつまり私たちには、人々が、キリストに従う決心をし、霊的な成長を遂げ、主の働き人となるために最善の環境作りをする責任があります。教会のメンバーの方には、先日のハドルでも予告しましたが夏の宿題があります。それは、この秋に向けて、もっと良い環境を作るためのアイディアを考えることです。8月のハドルで発表会をして、それから良く吟味して、この秋からユアチャーチをもっと「新しい革袋」にしてゆきましょう。

 

メッセージのポイント
ユアチャーチとは、この建物の事ではなく、私たち!のことです。私たちは愛するために生かされています。一人一人に求められている事は、それぞれの霊的状態、与えられている賜物、置かれている状況によって異なります。自分が何を神様から期待されているのかを知り、期待に応えましょう。ユアチャーチのメンバーとなる資格は、ユアチャーチカヴェナントを守ることです。ユアチャーチカヴェナントは、私はキリストの体の一部であるユアチャーチの一つの部分として働きますという、誓いです。その働きの大切なことの一つは、行なっている事が、目的にかない、より機能的であるように、よく考えて、何かを始めたり、変えたり、止めたりすることです。

話し合いのためのヒント
この教会の目的のために私たちが出来る事は?