October 4th,- 10th, 2009 Vol.16 No.40

苦難の中で慰めを得る IIコリント1:1-11

序 この手紙の目的と背景について (1,2)

神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと、兄弟テモテから、コリントにある神の教会と、アカイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちへ。 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。(1,2)

パウロはその生涯のうちに三回長期にわたる伝道の旅をしています。彼はその二回目の旅でコリントを訪れ、一年半滞在しました。それがコリントとその周辺の教会の出発でした。コリントはアテネから西に70キロほどのところにあるギリシャの南北の交通の要所であると同時に、東のアジア、西のローマを結ぶ国際貿易都市として繁栄していました。この、繁栄した都市にあって急成長した教会は、生き生きとした教会でしたが問題もたくさんあってパウロを悩ませました。その解決のために、再訪問したり、手紙を送ったりしたのです。読者は慰めを必要としていました。しかし、手紙を書いているパウロ自身も8節にあるように、ひどい苦難を受けて、それ以上に切実に慰めを必要とする経験をしていたのです。そこでパウロは、この手紙を「神様が下さる慰め」からはじめています。自分自身の慰めのためにも、人々を慰めるためにも重要な部分です。

 

A 苦難の中でも

1) 神様が下さる慰めの力 (3,4)

わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。 神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。(3,4)

世の中にはいろいろな慰めがあります。しかし本当の慰めはたった一つの源から来ています。それは神様です。人は苦難や問題から逃れようと様々なものに慰めを求めます。それらのものは全て問題を一時的に忘れさせてくれるだけのものでしかないのです。神様が下さる慰めは、ただ精神的に、感覚的に慰められるだけではなく実際に苦難を乗り越えさせて下さるものなのです。神様の慰めは常に私達のなかにあるものですが、祈りのうちに、礼拝のうちに、それを感覚的に覚えることができます。さらに素晴らしいことは、あなたが神様にいただいた慰めによってあらゆる苦難の中にある人々を慰めることができるということです。自分が慰められるばかりでなく、慰めることができるのです。あなたの慰めは本当の慰めとして、人々に届きます。それは、あなたの慰めが神様から来ているものだからです。言い換えれば、あなたが本当の慰めを知っているので、あらゆる苦悩の中にある人を慰めることができるのです。

 

2) 苦しみも共に、慰めも共に (5-8)

キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。 わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。 あなたがたについてわたしたちが抱いている希望は揺るぎません。なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、わたしたちは知っているからです。 兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。(5-8)

イエス様は地上での歩みの中で、無理解や、不信仰、人々の罪のために苦しみを引き受け、十字架の死に至りました。そして死の力を打ち破り、よみがえられ、今も生きて働いておられます。イエス様の体の一部となった私たちの苦しみは、イエス様の苦しみの一部なのです。どんな時にも一緒にいてくれる親友としてイエス様があなたの苦難を共に受けて下さっているのです。この世界に一つおかれたキリストの体、キリストの教会は、苦しみを共にし、慰めを共にすることによって、同じ苦しみに耐えることができるものとされています。ユアチャーチはこの大きな共同体の小さな一部分です。私たちはここで、イエス様の宣教の苦しみ、お互いの人生の歩みにおける苦しみをともにします。そしてそうするならば、あらゆる苦難を耐えることのできる慰めと、その先にある勝利もともにするのです。

 

B 苦難に負けないために

1) 神様を頼りにする (9,10)

わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。 神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。

パウロはアジア州で死を覚悟するほどの苦難にあって、自分を頼りにするのではなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになったと告白しています。自分ではなく、神様を信頼するということは簡単にできるようになるわけではありません。パウロは誰よりも劇的な仕方でイエス様に出会いましたが、苦しい経験を通して神様をより信頼することができるようになったのです。私たちは神様を頼るほかないようなときを通して成長するのです。今あなたが苦しみの中にいるなら、それは成長のチャンスです。主の慰めによって今のときを乗り越えましょう。そうすればあなたはさらに成長し、神様をより頼む者として、人々にも確信を持って本当の希望を指し示すことができるようになります。

 

2) 祈りの応援 (11)

あなたがたも祈りで援助してください。そうすれば、多くの人のお陰でわたしたちに与えられた恵みについて、多くの人々がわたしたちのために感謝をささげてくれるようになるのです。

教会の中には、祈ってあげる人と祈ってもらう人という二種類のクリスチャンがいるという誤解があります。しかし本当は、みんな祈る人であり、祈られる人なのです。誰にでも祈りの応援が必要なのです。パウロのような大伝道者でさえも、自分の弱さを率直に告白して、自分が福音を伝え、育てた、いわば子供たちに祈りの応援を求めているのです。ある人は誰かのために祈ることを困難に感じています。またある人は素直に祈りを求めることに困難を感じています。あなたはどちらに困難を感じますか?それぞれがこの祈りの困難を聖霊の助けによって乗り越えるとき、教会はより力強く神の国の福音を伝えることができるようになります。パウロがお手本です。時にはイエス様のように大胆に祈り、時には不安におびえる子供のように素直に祈ってもらう人になりましょう。

 

メッセージのポイント
あなた自身が苦難のうちにあっても誰かを慰めることができる。それは、神様があなたを慰めて下さるからです。イエス様は私たちの罪のために苦しみを受けて下さいました。私たちは人の罪の身代わりとして苦しむことはできませんが、苦悩の中にある人とともに悩む、苦しむ、同じところに踏みとどまることによって慰めを与えることはできるのです。自分自身の問題はイエス様に委ねて、苦しむ人、悲しむ人に仕えることができるのはクリスチャンの特権です。

話し合いのためのヒント
1) なぜ苦難の中でも人を慰めることができるのですか?
2) 最近した祈りの応援は?