December 6th,- 13th, 2009 Vol.16 No.49

人生を変えよう アドヴェント2 / マタイ2:1-6

Aクリスマスの出来事があなたを変える

1) 変えるために来られた方

なぜ世界中で、2000年も前にアジアの西端のローマ帝国に支配された小さな国で起こったクリスマスの出来事が毎年祝われているのでしょうか?今日取り上げるマタイによる福音書2章はこのように始まっています。

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのべツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(1,2)

ローマ帝国の支配下にあったイスラエルでしたが、形式的な自治は認められていて、王が立てられていました。ベツレヘムは首都エルサレムの郊外にある町です。最初から、東の方にある国の占星術の学者にも不思議な方法で神様から知らされていた、ユダヤ教の枠組みには収まらない出来事だったのです。王が生まれるということは、それまで王だったものが追われるということです。今年の流行語大賞に「政権交代」が選ばれたそうです。アメリカでも「チェンジ」の年でした。鳩山さんも、オバマさんも今までの政治を変えると主張して国のトップリーダーになりました。彼らは、まだこの世界が続いているとして、2000年後の人に憶えられているでしょうか? イエス様は、名前を覚えられているばかりか、その誕生が暦の起点とされ、毎年祝われています。それはイエス様が、今でも人々に大きな影響力を持っているからです。彼は、当時の政治を変えるために来たのではなく、人々の心を変えに来たのです。そして今でも私たちを変えることができます。人々はいろいろなチェンジを試みますが、本当は心の変化が必要なのです。「自分を変えたい」とユーキャンで資格をとっても自分の中身は変わりません。政治の仕組みを変えても、人々の心が変わらなければ世界は変わらないのです。イエス様は、あなたの心を変えるために来られました。あなたの心から初めて世界をすっかり変えてしまうために来られました。

2) 変えることは不安

学者たちの話を聞いて不安になったのは、当時権力を握っていた者たちでした。

これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。(3)

彼らにとって、それは「やがて革命が起きて、あなたがたは政権の座から滑り落ちるのだ」という宣告を意味していたからです。当時の王にしてみれば、命を脅かすことでさえあったのです。現代の政権交代ではさすがに命がかかることではありませんが、それでも今まで権力を持っていた者たちが如何にそれを手放したくないと思っていたかは、みっともないほどのネガティブキャンペーンがなされることでよくわかります。 しかしそれは政治の世界だけのことではありません。イエス様はこの世界に来られて、私たち一人一人の心の扉をノックしているのです。「私があなたの主、王です。さあ扉を開けて、私の座るべきあなたの心の王座に私を迎えて下さい」 しかし私たちの心は王座を譲りたくはないのです。自分の願い通りに生きたい。そんなこと不可能だと分かっているのに、自分の人生の主は自分だと言いたいのです。ボブ・ディランがクリスチャンになったとき最初に出したアルバムに「人間には悪魔か主イエス様のどちらかに仕えるという、二種類の生き方しかない。」という意味の”gotta serve somebody”という曲を書きました。主イエスさまに仕えるのでなければ、結局悪魔に仕えることになってしまいます、という警告です。ところがジョン・レノンはこの曲を聞いて、そうじゃない、神様とか悪魔とかではなく自分に仕えるべきだ。自分が人生の主人公にならなくちゃ、という歌を作ったのです。しかし自分に仕えるというのは幻想に過ぎません。自分が自分を正しく導くことができるでしょうか?ジョンは愛という言葉を愛しましたが、本当の愛は自分を犠牲にすることであって、自分に仕えることではありません。主にではなく自分に仕えるなら、それは自分の欲望に従うこと、結局は悪魔の思いのままになってしまい、望まなくても結果的には悪魔に仕える事になってしまいます。

B 預言されていたクリスマスの出来事

王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 彼らは言った。「ユダヤのべツレヘムです。預言者がこう書いています。 『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」(4-6,ミカ5:1)

宗教は沢山ありますが、神様ご自身が人としてこられるという教えは聖書にしかありません。またその登場が預言されていたのもイエス様だけです。預言されていたということは人間の勝手な思い込みやでっち上げではないということです。 私たちが仕えるべき方は主イエスお一人です。王は三人の博士の話を聞いて、そのことをユダヤ教の指導者たちに、メシアはどこに生まれることになっているのか、と尋ねました。メシアとは、油を注がれた者という意味の言葉ですが、王や祭司の就任にあたって油注ぎがなされたので、民を救いに導く優れた指導者という意味で使われていました。特にローマの支配下にあったこの時代、ローマからの解放をもたらす優れた指導者の出現が待ち望まれていたのです。しかし神様がお送りになったのは政治的指導者ではありませんでした。むしろ人間の心を変える方としてこられたのです。それは社会的、政治的なことにはかかわらないという意味ではありません。むしろ、ひとりひとりの心が変わっって、そこから世界が変わるのです。どうかあなたもこの変化を恐れずに、仕えるべき方に仕える者となってください

メッセージのポイント
世界には変えなければならないことが沢山ありますが、変えることには不安や抵抗が伴います。預言されていた救い主の誕生も当時の社会には歓迎されませんでした。今では誰もがイエス様の誕生を祝いますが、それでも自分の心に中にイエス様を主と迎え入れるのには誰にでも葛藤があります。それは自分の中で政権交代が行なわれるようなものだからです。たとえ相手が神様であっても私たちの自我が政権を譲ることに抵抗を覚えます。誰が一番良く私を治めることが出来るのか?それは誰でもなく、自分ですらもなくイエス様です。

話し合いのために
1) なぜヘロデ王は不安を抱いたのですか?
2) あなたはイエス様を信じる決心をするとき、どのような不安がありましたか?