December 27th,2009-January 2nd, 2010 Vol.16 No.52

あなたも神の協力者 (2コリント6:1-13)

今日は2009年最後の礼拝です。この礼拝で、今年の歩みを振り返り、2010年に向かって新しい決意を共に持つためのお話をしたいと思います。

A 罪人から神の子へ、神の子から神の協力者へ (1,2)

わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。 なぜなら、恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けたと神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。 (1,2)

今日のキーワードは、「神の協力者」です、そこで前半では、協力者を産み育てるという教会の働きと、一人一人の協力者としての成長について確認し、後半で「神の協力者」とはどのような者なのかを詳しく見てゆきます。

1) 教会の働き

パウロは自分のことを神様の協力者と言っていますが、パウロは最初からそのような者であったわけではありません。彼はむしろ、クリスチャンを迫害する者、神の敵対者だったのです。イエス様との衝撃的な出会いによる回心が、彼の神様の協力者となる出発点でした。パウロが協力者として活躍できるようになったのは、彼よりも早く神様の協力者になった人々が、神様と共に彼を育てたからです。教会は神様の世界に対する働きを担う共同体です。その働きの中には“協力者を産み育てる”という大切な事柄が含まれています。ユアチャーチはこの点でよく機能しているでしょうか?生み出すことにおいても、育てることにおいても平均点以上だと思います。でももっと良く機能でるはずです。パウロはイザヤの預言(イザヤ書49:8)を引用して、今こそ、イザヤが預言した恵みの時が来ている。このチャンスを無駄にしてはいけないと勧めています。この時はまだ続いています。ペンテコステの時から終末にいたるまでの期間は「教会の時代」とも言われています。より多く生み出すために、より良く育てるために教会に、とくにリーダーシップのために、愛と熱心と知恵が与えられるよう祈り続けてください。

2) 私の成長

次に一人一人の霊的な成長について考えてみましょう。教会の働きについての全責任はリーダーシップ特に牧師にあります。しかし、牧師は協力者の助けなしにその責任を果たすことができません。教会の機能として、新しい命を生み出す働きや社会に対する働きは注目されやすいのですが、その二つをつなぐ重要な働き、成長についてはそれほどでもありません。教会は成長の機会を作る責任がありますが、私たちにはその機会をとらえて成長する責任があるのです。その成長とは、神様の協力者としての成長です。それでは、協力者とはどのようなものなのか、どのような成長が私たちに期待されているのかを今日のテキストに従って見てゆきましょう

B 協力者とは?

1) 恵みを受け取ることを勧め助ける者 (1,2)

わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。 なぜなら、恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けたと神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。 (1,2)

人生は航海に例えることができます、波の静かな時、嵐の時、晴れの日、雨の日、月や星の明るい夜、何一つ光の見えない夜、孤独に耐えるとき、パートナーや仲間に囲まれているとき。私たちは様々な時を過ごしてゆきます。人生の航海でも海図もコンパスも無線も役に立たず遭難してしまう危険があります。航海は楽しくても、その目的地が死であると考え恐れる人がおおいのです。私たちが戴いている恵み、救いとはこの航海にあたってどんな時にも見失うことのない導きの光、主イエス・キリストを得たこと。私たちの目的地が死ではなく永遠の国とされたことです。こんなに素晴らしい導き手を得られること、死に向かって歩んでいるわけではないことを伝えるのが、神様の協力者です。この点における成長とは、より適切にかつ大胆に人が恵みを受ける事を勧め、助けることができるようになるということです

2) 聖霊の実を実らせる者 (3-7a)

わたしたちはこの奉仕の務めが非難されないように、どんな事にも人に罪の機会を与えず、あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています。大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても、純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力によってそうしています。(3-7a)

神様の恵みを伝える者が、不正や不正義、不品行に関わっているなら、誰も恵みを受け取りたいとは思いません。協力者の品性は大変重要です。しかし私たちはそのような品性が私たちのうちに備わってはいないことを知っています。特に、自分に問題が降りかかっているときには、人の事などかまってはいられないほど乏しいものです。でも諦める必要はありません。協力者の品性は聖霊が与えて下さるものだからです。聖書はそれらを「聖霊の実」と表現しています。(ガラテヤ5:22,23)。聖霊の実を求めず賜物だけを求めるなら、神様の名を汚すことになってしまいます。

3) どんな時にも変わらない(世の評価ではなく、神様の評価を心に留める)者 (7b-10)

左右の手に義の武器を持ち、栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、貧しいようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。(7b-10)

人の評判は簡単に変わります。人の評判を気にするなら、私たちはいつも態度を変えていなければなりません。また、人の評価はそれぞれ異なります。だれにでも気に入ってもらいたいと思うなら、会う人ごとに違う自分を演じなければなりません。それは賢い生き方ではありません。疲れてしまいます。神様の協力者は世の評判には動じません。神様の評価を心に留めるのです。人の評価を気にしないで済めばこんなに気楽な事はありません。しかしここには私たちが陥りやすい罠があります。それは、知らず知らずのうちに、人の評価ではないけれど、神様の評価でもなく自分の評価で歩んでいるという独善的な人になってしまうということです。これを防ぐために、また先のお話した良い実を実らせるために、皆さんには次にお話する霊的な栄養を十分に摂ることが必要なのです。

4) 心を広く開く者 (11-13)

コリントの人たち、わたしたちはあなたがたに率直に語り、心を広く開きました。 わたしたちはあなたがたを広い心で受け入れていますが、あなたがたは自分で心を狭くしています。 子供たちに語るようにわたしは言いますが、あなたがたも同じように心を広くしてください。(11-13)

人間の身体になくてはならない栄養素のうち、特に重要な炭水化物、たんぱく質、そして脂質の三つを「三大栄養素」と呼ばれています。霊的成長に欠かせない三大栄養素は礼拝、交わり、働きです。これらをバランスよく摂らなければ協力者としての成長は望めません。体に必要な栄養をとるために口を大きく開かなければならないように、心に必要な栄養をとるためには心を大きく開かなければなりません。それは礼拝、交わり、働きを大切にするということです。ただ、体の三大栄養素とは違いこの三つには優先順位があります。その点は能力の成長に教育が必要で、それには家庭教育、学校教育、実地教育といった要素があるのに似ています。礼拝は家庭教育、交わりは学校教育、働きは実地教育に例えられます。どれも必要ですが、優先順位は明白です。礼拝において神様を愛することで、交わりにおいて互いに愛しあうことができるようになり、これら二つがあって初めて世界にインパクトを与えることができるのです。

メッセージのポイント
ユアチャーチの存在目的は単純で明確です。神様を愛し、互いに愛し合い、世界を愛することです。礼拝をささげ、交わりを保ち、神様の協力者として世界に出てゆきます。礼拝をささげない人が礼拝をささげる人となることが霊的誕生であり、礼拝をささげはじめた人が神様の協力者となることが霊的な成長です。教会はこの二つのことに大きな責任を負っています。神様は、人々を罪から解放し、神の協力者ヘと成長させることを私たち(教会)に委ねられたのです。私たちは自分の成長と、互いの成長という二重の責任を負っています。恵みによって、ユアチャーチは今年も歩みを続けて来られました。来年はもっと力強く、一歩でも多く歩みを進めることが出来るように、心を合わせ、力を合わせて歩んでゆきましょう。

話し合いのヒント
1) 「神の協力者」はどのように神様に協力するのですか?
2) どうしたらより信頼される協力者になれますか?