anuary 24th,-30th, 2010 Vol.17 No.4

本当に豊かな教会 (2 Corinthian 8:1-8 Luke 12:29-34 Psalm 37)

A マケドニアの教会の豊かさ

1) 有り余っているから与えることができるのではない(1-4)

兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。(1) 彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。(2) わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで(3)、聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。(4)

マケドニア州にあるフィリピ、テサロニケ、ベレヤなどの教会はパウロが二回目の伝道旅行(使徒言行録15:36-18:22)で誕生しました。異教社会という困難さに加えて、そこに住んでいたユダヤ人達からの迫害もあり、落ち着いて宣教できるような雰囲気ではありませんでしたが、教会は確かにそこに根付きました。私たちが日本の伝道は難しいなんて言ったら、パウロや当時のクリスチャンに叱られてしまうでしょう。マケドニアの諸教会は成長していましたが、困難な状況はつづいていました。心は豊かでしたが、経済的にはたいへん貧しかったのです。それでも彼らには人に惜しまず施す豊かさがあったというのです。パウロはこの点をコリントの教会にも知ってほしいと考えました。これはちょうど現代のアジアの諸教会と日本の教会との対比と似ています。日本の教会は異教からの激しい攻撃にさらされているわけでもなく、貧しさに苦しめられているわけでもないのに、どうも元気が足りません。アジアの他の国々では、もっと他の宗教からの強い攻撃を受けたり、経済的な困難におかれたりしているけれども、日本の教会よりも喜んで気前よく施すことを知っている教会が少なくありません。私たちが身につけるべきことは3節にあります。1)力に応じて、2)力以上に、3)自分から進んでということです。それは言い換えれば、1)無理をしてはいけません。2)けれども、今自分が余裕も持ってできることよりもう少し背伸びして献げなさい。3)命じられたからではなく、自発的に喜んで献げなさい。ということです。豊かな教会とは献金総額が多い教会ではありません。一人一人が喜んで、力に応じて精一杯献げている教会が豊かな教会です。

 

2) 自分自身をどう献げる?(5,6, ルカ12:29-34, 詩篇37編)

また、わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで、神の御心にそってわたしたちにも自分自身を献げたので(5)、 わたしたちはテトスに、この慈善の業をあなたがたの間で始めたからには、やり遂げるようにと勧めました。(6)

マケドニアの諸教会は貧しいながらも惜しみなく慈善の働きに加わっている素晴らしい教会でしたが、彼らの本当に素晴らしいところは、自分自身を献げていたということです。献金するだけではなく、自分を使って下さいと申し出て、実際に時間や労力を惜しまず神様の働きに加わったのです。宣教のスポンサーではなく、共に働き者となったということです。ワーシップタイムで「私の全てを献げます」と歌うとき皆さんは心から歌っていますか? もし自分の教会生活、信仰生活が、自分の生活の一部であると考えているとしたら、「これだけはイエス様にも譲れません」というものがあったら、心からそう歌うことはできません。イエス様にも譲れないなら、それは偶像です。それは目に見える偶像礼拝や、異教の儀式に参加することよりも、はるかに危険です。事実はこうです。あなたのものすべては神様からの預かりものに過ぎません。財産や、持ち物は言うに及ばず、家族も恋人も友達もそうです。与えられるときがあり、取り去られるときがあります。このことを忘れるなら、何かを失うとき、神様が奪ったと感じ神様に怒り、背を向けてしまうでしょう。それともあなたは何を取り去られても、神様は最善を与えて下さると信じますか?そう信じられる人は幸いです。自分を神様に捧げている人です。イエス様はこのことについて次のように言われました。

あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。 それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。 ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。 自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。 あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」(ルカ12:29-34)

ここが本当の豊かさへの入り口です。すべての必要は神様が満たしてくれるので、何の心配もないということを悟れば、私たちの大方の悩みは悩みではなくなってしまいます。何かを得るために、守るために人と争う必要はなくなります。取られたから、あるいは与えてくれないからと、憎む必要もなくなります。ダビデもまたこの真理を知っていました。今日は読みませんが、今週ぜひ今朝学んだテキストと共に詩篇37編をくり返し読んでみて下さい。

 

B 私たちも慈善の業において豊かになる

1) 熱心は慈善にも向けられなければ豊かにはなれない (7)

あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。(7)

教会は世界中の困難に遭っている人々を助ける使命を与えられています。アメリカは豊かな国なので経済的にも豊かな教会が沢山あります。けれどもその豊かさは一人一人が惜しみなく献げてきた結果です。65年前に戦争が終わったとき、廃墟となった日本にアメリカから来たのは占領軍だけではありませんでした。今まで敵国だった日本が復興できるように、多くの献げ物が送られました。その中には日本との戦争で親兄弟、夫、息子を失った人々も多くいたのです。多くの宣教師も派遣されてきました。彼らの生活を支えるために母国のクリスチャンが惜しみなく献げてくださったので多くの教会が生まれました。今、私たちがあらゆる面で恵まれているのに、自分たちの教会の外側の困っている人々に目が向けられていないなら、ユアチャーチは貧しい教会です。ユアチャーチは豊かですか?それとも貧しいですか?

 

2) 真の豊かさ=愛の純粋さ (8)

わたしは命令としてこう言っているのではありません。他の人々の熱心に照らしてあなたがたの愛の純粋さを確かめようとして言うのです。(8)

私たちが豊かなのはお金があるからではありません。私たちが豊かに惜しまず施すことができるのは、神様の愛を知っているからです。本当に持っていますか?豊かですか?と問われているのは神様への愛、人々への愛なのです。愛は命令されても私たちの内側からは出てきません。イエス様の十字架を通して、神様からの愛を実感することが愛の出発点です。この無限の、無条件の愛をいただくことによって、私たちも愛することができるようになるのです。このような意味でユアチャーチはもっともっと豊かになるために、もっと積極的にイエス様に求めても良いのです。イエス様の言葉を聞いて理屈はわかるけれど、自分はとても踏み出す勇気がわかない、と感じた方も多いと思います。ダビデにしても、自分の知った真理と自分の揺れ動く心に大変悩んだのです。どうしたらもっと豊かになれるのでしょうか?先週と先々週、私たちの二番目のプライオリティーである「交わり」の大切さに触れてきましたが、私たちが豊かな人、豊かな教会になるためには、第一のこと「礼拝」の大切さを強調したいと思います。お金持ちになりたい人は熱心に銀行や証券会社が主催するセミナーに参加して懸命に学びます。私たちは「天国銀行」のオーナーのセミナーで学ぶべきです。投資に成功したいなら、まず良く学び(礼拝)、それから十分にシュミレーションし(交わり)、実際に投資する(働き)という段階を踏まなくてはなりません。 さあそれではみんなで主の前に進みでましょう。これから30分くらい、心を注いで主を礼拝してゆきましょう

 

メッセージのポイント
神様は、私たちがこの世界で豊かであることを否定しているわけではありませんが、神の国とこの世界とでは、豊かさの基準は相当異なります。この世界は、どれだけ持っているかで豊かさを量りますが、神の国ではどれだけ与えるかで豊かさを量ります。この世界では、どれだけ持っているかでどれだけ与えられるかが決まると考えられていますが、神の国では、どれだけ愛しているかでどれだけ与えられるかが決まるのです。教会は地上における神の国の出張所です。自分自身を主の働きに献げて本当に豊かな教会になりましょう。

 

話し合いのヒント
1) マケドニアの教会はどのような教会だったのですか?
2) 豊かさについての、この世界の考え方と神様の考え方の違いは?