November 28th, 2010 Vol.18 No.48 

ヨセフのクリスマス クリスマスシリーズ 3 マタイによる福音書1:18-25

A 苦悩する“正しい人”

1) 正しい人に起こった(18,19)

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに 縁を切ろうと決心した。(18,19)

ヨセフは、聖書に登場する人々の中でも不思議な人物です。イエス様に最も近い存在であったのに、マリアや他の兄弟達とは異なり、福音書のイエス様誕生の部分にしか出てきません。イエス様誕生以降のヨセフについて聖書は沈黙しています。イエス様が宣教の働きを始める前に亡くなったと考えられています。聖書の中でヨセフについての貴重な形容がここにだけ出ています。しかもたった一語だけ、「正しい人」とあります。正しい人とはどのような人の事を指すのでしょうか?聖書には他にも多くの人が「正しい人」として紹介されています。聖書が「正しい人」というとき、それは神様との関係において正しいということがその本質です。しかし当時の社会においては、その本質よりは、律法を守って生活しているということの方に重点が置かれていたようです。その意味からいうならヨセフは正しい人とはいえません。律法的に正しい人なら、罪を犯したマリアを石打ちにするために告発しなければならないのです。しかしヨセフはこの時代にあって数少ない本質的に「正しい人」でした。誤った常識にとらわれず、人の評判を気にせず、語られた神様の言葉だけを頼りに生きたのです。私たちにとっても、神様の関係において正しいかどうかということが最も重要なことなのです。

 

2) イエスという名が意味すること(20,21)

このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」(20,21)

ヨセフは夢を通して教えられる人だったようです。この後の2章を見ると、ヘロデを避けてエジプトへ行ったのも、安全になったときに帰りガリラヤ地方に住み始めたのも、神様が夢に出てくる天使を用いて教えています。ここでは、歴史上最初で最後の特別な出来事がマリアに起こっていることを知らされています。これで、ヨセフは自分の判断が、表沙汰にはしないという意味では本当に正しかったことを確認しました。しかし縁を切るということは間違いであって、妻として受け入れるべきことを確認したのです。これはたいへん大きな決断です。神様の助けなしにはすることはできなかったことです。 天使はもうひとつの事をヨセフに命じました。生まれる子供に付ける名前です。イエスはヨシュアのギリシャ語読みなのでありふれた名前ではあったのです。しかし神様は天使を通して、そうでなければならない名前としてイエスと名付けるよう命じられたのです。あまりにもよくある名前なので、その意味を顧みられることを忘れられていた名前です。その名前の意味が現実となるための命令でした。「ヤーウェは救う」、このことがイエス・キリストにおいて実際にこの世界に起こったのです。クリスチャンはよく「イエス・キリストの名によって」とか「その名に力がある」といいますが、イエス様が単にそのありふれた名前を持っていたのではなく、その名のとおりに救いをもたらしたので、その名は重要なのです。

 

B 特別な役割を受け入れるヨセフ

1) 自分が神の国の歴史の一部であることを知る (22)

このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。(22)

「旧約聖書の預言がイエス様の誕生によって実現した」というのは大胆な主張です。当時誰一人持っていなかった新しい世界観の誕生です。しかし、もっと正確にいえば、それは歴史の主人公の座を神様にお返しする、本来の正しい世界観の回復なのです。ヨセフは、この事を受け入れた最初の人でした。この意味でも、彼は当時考えられていたよりはるかに深い意味で「正しい人」であったのです。時代の制約にとらわれずに真理に従う、と同時に、生かされている時代の中で自分に託された役割を誠実に果たす人です。世間的には、周りには理解されず、評価されず、軽蔑されていたかもしれません。けれども、他の誰にでもなく、自分に与えられた神様の計画における自分の役割を、ヨセフは知っていたのです。

 

2) インマヌエル (23-25)

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。(23-25)

先週お話ししたイザヤの預言がここで引用されています。キーワードはインマヌエルです。誰だって自分が自己の人生の主人公だと思うのが普通です、しかし、ヨセフは自分の身に起きたことを、社会に説明するでもなく、生涯家族のために働きイエス様の少年時代を養父としてサポートしたのです。イエス様を「自分の」人生の主人公として生きた最初の人です。皆さんは、「なんで自分が主人公ではいけないのか?」と思われるかもしれません。しかし、「自分が中心」に固執することが実は不幸の元なのです。自己を中心に置くということは、他の人々を周辺に追いやることです。全くの他人はもちろん、知人も友人も、妻も、夫も、子供も、親も、全ては自分のために存在する、という考えです。イエス様は正反対の生き方を求められます。「互いに仕え合いなさい」確かに、そう出来れば争いはなくなるでしょう、しかしそんなことが出来る人はいません。イエス様は私たちが自分の力ではできない生き方を勧められているのでしょうか?イエス様は他にも、何度でも赦しなさいとか、上着を求められたら下着も与えなさいとか、右の頬を打たれたら左の頬も向けてやりなさいとか、したくないことばかりを求めると思っていませんか?イエス様がこのようなことをおっしゃったのは、私たちが互いに仕え合う人になるためなのです。それができるのはインマヌエルに生きるしかありません。あなたもイエス・キリストを主と信じて、ヨセフのようなインマヌエル人生を生き始めませんか?それはあなたを全ての思い煩いから解放してくれます。

 

メッセージのポイント
歴史は創世記で始まり、黙示録の預言する世の終わりで終わります。キリストの誕生はその歴史の中の最大の出来事です。ヨセフはこの大きすぎる出来事に最初に直面した人です。マリアとは違い、この出来事を相手の不貞と疑いを持たざるをえない立場でした。しかし神様は夢を用いてヨセフに告発や離縁を思いとどまらせます。ヨセフはその知らせを信仰によって受け取り、インマヌエル人生を生きた人です。

話し合いのためのヒント
1) この事実を知ったヨセフはどう感じたのでしょう?
2) イエス様はなぜイエスと名付けられたのですか?