December 19th, 2010 Vol.17 No.51

羊飼いと私たちのクリスマス アドヴェント第四日曜日 クリスマスシリーズ 6 ルカによる福音書2:1-20

A 羊飼いたちに知らされた救い主の誕生 (1-14)

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

1) 今日ダビデの町に、あなたがたのために

出来事は、むかしむかしあるところに、といったようなフィクションの中で起こったことではありません。特定の時間に特定の場所で起こった歴史上の出来事です。エルサレムでもなくガリラヤでもなくエルサレム郊外のベツレヘムでこの出来事は起こりました。天使は羊飼いたちに「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」と告げました。これは天使と羊飼いを通して全ての人に告げられた、神様からのメッセージです。どの時代にも、どの地域にも富んだ人がいて、貧しい人がいます。強い人がいて弱い人がいます。貧しい人、弱い人は、その社会の中で十分顧みられません。ヨセフたちも、富んでいる者、強い者ではありませんでした。120キロほどの距離を、身重の妻と旅した挙句、快適に泊まる場所もなかったのです。皆さんは、自分は富んでいる、十分強い、勝ち組だ、全能感にあふれていると思っていますか?そうであれば、自分の人生に神様は必要ありませんね。教会に行ってみようとも思わないでしょう。そのように錯覚している人も多少はいますが、実際のところ自分の状態に満足している人は多くはありません。そして、それは健康な感覚です。この天使の言葉は、私には不安、不満があり、それを誰かに何とかしてもらいたいと率直に思う全ての人にとって、大きな喜びとなります。それは、あなたの、その問題を解決することができるたった一人の方の誕生を告げる言葉だからです。イエス・キリストは、十字架にかかって死ぬために生まれてきた方です。ある人は、それを呪われた人生と考えるでしょう。しかしそれは、あなたが祝福された人生を歩むことができるようになるために、自身は犠牲となることを選んだ尊い人生でした。アジアの東の端に今生きている私たちのために、2000年前アジアの西の端で救い主は生まれたのです。

 

2) なぜ羊飼いに?

羊飼いは王になる前のダビデ家の家業でしたが、この出来事が起きた時代には、社会的にも、経済的にも、身分の低い貧しい者の仕事となっていました。宗教的には、無知で律法を守れない罪人とされていました。神様は、当時の権力者でもなく、宗教指導者でもなく、そのような羊飼いや、異邦人である学者たちを降誕の最初の証人として選んだのです。それは神様の計画がユダヤ社会の枠を超えて全世界の救われることを求めるすべての人に及ぶものだったからです。

 

B 羊飼いがしたこと (15-20)

1) 確かめた (15,16)

天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。

天使から救い主の誕生を知らされた羊飼いたちの、その後の行動は私たちに大いに参考になるものです。羊飼いは話を聞いただけでは満足しませんでした。今この世界に生きている多くの人は、クリスマスの話を聞いてそれでおしまいです。「あなたにとって大きな喜びです」と言われても確かめようとはしないのです。しかしそれでは本当に喜ぶことは出来ないのです。自分の目で確かめて見なければ、人々の喜びであっても、自分の喜びとはなりません。羊飼いたちは自分の目で確かめたいと、ベツレヘムに出かけました。探し当ててと書かれていますから、簡単に見つかったわけではありません。しかし、諦めずに探して、やっと見付け出したのです。皆さんは、どれくらい救い主を探していますか?今日はじめてイエス・キリストは自分のためにこの世界に来られたということを、お聞きになった方もいるでしょう。どうか羊飼いたちのように探し続け、見付け出し、確かめてください。人によってその道程の長さは違いますが、誰でもそのプロセスを経て、イエス様を主と信じるのです。

 

2) 知らせた (17,18)

その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。

天使のいったとおりだった。羊飼いたちはそれを確かめたら今度は人々に知らせはじめました。聞いても信じてくれないかもしれないから、誰にも話すのをやめておこうとは考えなかったのです。本当に心からうれしい喜びの知らせなら、黙っていることはできません。もしあなたがイエス様を知っていて、でもそれを誰かに知ってもらいたいとは思えないなら、あなたの頂くべき喜びや恵みを全部は受け取ってはいないということです。もったいない!もっとイエス様に近づいて、もっと恵まれてください。あなたにはその権利があるのです。イエス様を伝えることは誰かに強制されてすることではありません。心の中の大きな喜びが、口を閉じておけなくするのです。

3) 神様をあがめ、賛美した (19,20)

しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

聖書が記録している羊飼いたちの最後の行動は、神様をほめたたえながら帰っていったということです。また明日から、彼らの日常生活が始まります。それは見たところ、この出来事の前と代わり映えないものなのです。けれども決定的に違うのは、彼らの心です。現実はすぐに変わるわけではないかも知れないけれど、絶望する必要はないことを知ったのです。救い主は確かに私たちのために来られた。もう彼らはそう知っていました。私たちは、彼ら以上にイエス様の素晴らしさを知っています。来てくださっただけでなく、私たちが神様との関係を回復できるように十字架にかかり、よみがえられ、永遠の命をくださったことを知っているのです。だから私たちはいつも礼拝し賛美しながら日常を過ごすのです。今日、礼拝を終えて家に向かうとき、「あーあ、また月曜日が始まっちゃう」と思うのではなく、自分の姿を羊飼いと重ねあわせて想像し、神様をあがめて、賛美しながら帰ってください。良いクリスマスウイークをおすごしください!

 

メッセージのポイント
イエス様の誕生を知らされたのは、政治家でも、宗教家でもなく、夜通し働いていた羊飼いたちでした。何か特別の才能や地位を持った人々ではなく、当時の社会の底辺に近い人々に知らされたのです。イエス様はすべての人の為に来てくださいましたが、特に小さい者、弱い者、貧しい者を心にかけてくださいます。イエス様はあなたのためにも来てくださいました。この呼びかけに応えて、イエス様が主であることを確かめ、それが確かであることを知ったら人々に伝えましょう。そして、大きな喜びを与えてくださった神様をたたえ賛美しましょう。

 

話し合いのためのヒント
1) 羊飼いたちはどのような者の代表として描かれていますか?
2) イエス様の誕生を知らされて羊飼いはどのような行動を取りましたか?