January 16th, 2011 Vol.18 No.3

天使を捜すなヘブライ人への手紙 1:1-14

A この手紙について

1) 背景と私たちにとっての意味

この手紙には、他の新約聖書の手紙より読みにくい、難しいという印象をお持ちではないでしょうか。書き出しも手紙らしくなく、最後に部分だけが手紙の体裁を保っています。誰が書いたのか、どこの誰に宛てて書かれたのかも多くの意見があり、断定できるほどに有力な説はないのです。しかしその内容や旧約聖書、特に詩編からの引用が多いことから、イスラエルではなく、ギリシャ語を話すユダヤ人クリスチャンコミュニティーのリーダーたちに読んでもらい、というものであったことは確かです。イエス様がどのようなお方なのか?このイエス様にしっかりとつながって成長するためにどうしたら良いのかということを教えてくれる手紙です。旧約聖書の引用が多く難解に感じますが、旧約の視点も加えて読むことによって、イエス様の恵みについてもっと立体的に知ることができるのです。 一つ注意しなければならないのは、この手紙の著者が旧約聖書の引用をギリシャ語に訳された70人訳と呼ばれるものからしているので、私たちの読んでいる旧約聖書(ヒブル語の原典から訳されています)とは多少違っているという点です。

2) 大切な前提(1-4)

神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。(1,2) 御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。(3) 御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。(4)

福音書のヨハネは、その最初の部分でイエス様を言と表現して、イエス様が最初からおられただけでなく、命じる言葉で世界が創られたことを説明しています。ヨハネによる福音書の一章と、創世記の一章を見ておきましょう。言葉はコミュニケーションのことです。神様はご自身を最終的にイエス・キリストとして表されました。けれども、イエス様としてご自身を表される前には、人々に、言葉を与えて伝えたのです。実際に聖書という人間に理解することのできる言葉としてモーゼのような人々に与え、人々に伝えていたというわけです。「神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れ」ということはつまり神ご自身であるということです。天の大いなる方の右の座にお着きになりました。と表現されているとおり、今イエス様を肉眼で見ることの出来る人はいません。しかしその言葉は届いており、力強く霊として働いておられます。キリストを頭とする体の部分として私たちはこのイエス様と直接つながっているのです。だから、神様とあなたとの間に立たれるのはイエス様だけです。誰であれ、人であれ天使であれ間に立ってもらう必要はありません。それどころか、そのようなことをするなら、逆にイエス様との関係を損なう事になってしまいます。 それでは、私たちはこの聖書に出てくる天使について何を知るべきなのでしょうか?

B 天使について知るべきこと

1) 天使を礼拝してはいけません(5-12)

いったい神は、かつて天使のだれに、「あなたはわたしの子、わたしは今日、あなたを産んだ」と言われ、更にまた、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」と言われたでしょうか。(5) 更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」と言われました。(6) また、天使たちに関しては、「神は、その天使たちを風とし、御自分に仕える者たちを燃える炎とする」と言われ、一方、御子に向かっては、こう言われました。「神よ、あなたの玉座は永遠に続き、また、公正の笏が御国の笏である。(7,8) あなたは義を愛し、不法を憎んだ。それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油を、あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ。」(9) また、こうも言われています。「主よ、あなたは初めに大地の基を据えた。もろもろの天は、あなたの手の業である。(10) これらのものは、やがて滅びる。だが、あなたはいつまでも生きている。すべてのものは、衣のように古び廃れる。(11) あなたが外套のように巻くと、これらのものは、衣のように変わってしまう。しかし、あなたは変わることなく、あなたの年は尽きることがない。」(12)

この部分で強調されているのは、イエス様の完全さです。しかし、なぜそれをいちいち天使と比較して伝えなければならなかったのでしょうか?読み手の周辺でもコロサイの信徒への手紙 (2:18) に記録されているような天使礼拝が行われていたのかもしれません。神様以外のものを礼拝するのは、石や木で出来たものを礼拝するわけではありませんが、本質的には偶像礼拝です。拝むべき、頼るべきものではないということをはっきりしておかなければなりません。

2) 私たちに仕える奉仕する霊(13-14)

神は、かつて天使のだれに向かって、「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座っていなさい」と言われたことがあるでしょうか。(13) 天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか。(14)

天使は、神様に遣わされ私たちに、奉仕する霊なのです。私たちの歩みを神様に命じられて守っていてくれるシークレットサービスのようなものです。私たちはそれだけを知っていれば十分なのです。天使について書かれた本は沢山あります。しかし彼らについて、聖書以外のソースから、もっとよく知ろうとすることは良いことではありません。それはイエス様を直接見あげるのに障害となるからです。彼らについては神様が整え、私たちに仕えるために送ってくださる者なのですから、神様にお任せしておけば良いのです。決して礼拝、崇拝してはいけません。私たちが礼拝するべきなのは神様であって、私たちと同じ被造物ではありません。被造物を頼り、祈ることは、神様がお嫌いになる偶像礼拝にほかなりません。天使については、聖書が教えてくれていることだけでよしとしましょう。

メッセージのポイント
イエス様がこの世界に来られるまでは、神様は預言者を通して、また夢や天使によってその意思を語られましたが、イエス様が来られて、ご自身の言葉で語ってくださいました。今は終りの時代です。預言が全く廃れたわけではありません。夢を通して、あるいは天使を通して語ってくださることも全くないわけではないでしょう。しかし今は、神様がイエス様としてご自身を表わされ、その意思を聖書という目に見える形で与えられている時代です。神様が誰かを通して、あるいは夢で、預言によって語られたと思ってもそのまま鵜呑みにしてはいけません。それが本当にイエス様の意思なのか、聖書を通して確かめる必要があるでしょう。三位一体の神様以外に礼拝する、祈る、神様に願いを取り次いでもらうような対象があってはならないのです。

話し合いのためのヒント
1) なぜ、御子によって世界を創造されたと言えるのでしょうか?
2) なぜ、イエス様と天使を比較して述べなければならなかったのでしょうか?