2017/6/11 ダビデによる礼拝のレシピ

永原アンディ

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ダビデによる礼拝のレシピ(詩編28編)


今週のテキストは詩編28編です。今日だけではなく、今週なんども読み返してください。きっとあなたの捧げる礼拝がもっと豊かなものになるはずです。というのはこの詩編が、私たちの捧げる礼拝、日曜日の朝に限らず、週日に捧げる個人的な礼拝や小さなグループでの礼拝の大切な要素を教えてくれるからです。それでは全体を読みましょう。今日はみんなで声を出して読みたいと思います。

主よ、あなたを呼び求めます。わたしの岩よわたしに対して沈黙しないでください。あなたが黙しておられるならわたしは墓に下る者とされてしまいます。嘆き祈るわたしの声を聞いてください。至聖所に向かって手を上げあなたに救いを求めて叫びます。

To you I call, O LORD my Rock; do not turn a deaf ear to me. For if you remain silent, I will be like those who have gone down to the pit. Hear my cry for mercy as I call to you for help, as I lift up my hands toward your Most Holy Place. 

神に逆らう者、悪を行う者と共にわたしを引いて行かないでください。彼らは仲間に向かって平和を口にしますが心には悪意を抱いています。その仕業、悪事に応じて彼らに報いてください。その手のなすところに応じて彼らに報い、罰してください。主の御業、御手の業を彼らは悟ろうとしません。彼らを滅ぼし、再び興さないでください。
 
Do not drag me away with the wicked, with those who do evil, who speak cordially with their neighbors but harbor malice in their hearts. Repay them for their deeds and for their evil work; repay them for what their hands have done and bring back upon them what they deserve. Since they show no regard for the works of the LORD and what his hands have done, he will tear them down and never build them up again. 

主をたたえよ。嘆き祈るわたしの声を聞いてくださいました。主はわたしの力、わたしの盾わたしの心は主に依り頼みます。主の助けを得てわたしの心は喜び躍ります。歌をささげて感謝いたします。

Praise be to the LORD, for he has heard my cry for mercy. The LORD is my strength and my shield; my heart trusts in him, and I am helped. My heart leaps for joy and I will give thanks to him in song. 
 

主は油注がれた者の力、その砦、救い。お救いください、あなたの民を。祝福してください、あなたの嗣業の民を。とこしえに彼らを導き養ってください。

The LORD is the strength of his people, a fortress of salvation for his anointed one. Save your people and bless your inheritance; be their shepherd and carry them forever.


1. 呼び求める (1,2)

 

詩人は「主よ、あなたを呼び求めます。」という言葉でこの詩を始めます。見落としがちなのですが、詩編は詩集ではなく歌集でした。詩と歌とどこが違うのか?先週、ボブ・ディランのノーベル文学賞・受賞講演を聞きました。彼は歌を作る時に、それまで読んで来た文学にインスパイアされてはいるけれど、できた歌は文学とは違うと言っていました。それは歌が読まれるものではなく歌われるものだからです。本を読むことは表現ではありませんが、歌うことは誰かに想いを伝える表現です。詩編は、自分だけではなく他の誰かが歌うことを意図して作られた歌なのです。神様に近づきたい人々が、神様に向かって歌う歌です。私たちも主に心を向けて、主を呼び求めて礼拝を始めます。それは私たちが真剣であることを主に伝えるためです。また、叫び求めることは私たち自身が誰を礼拝しているのかということも自覚させてくれます。もう一度、二節まで読みましょう。

To you I call, O LORD my Rock; do not turn a deaf ear to me. For if you remain silent, I will be like those who have gone down to the pit. Hear my cry for mercy as I call to you for help, as I lift up my hands toward your Most Holy Place. 

主よ、あなたを呼び求めます。わたしの岩よわたしに対して沈黙しないでください。あなたが黙しておられるならわたしは墓に下る者とされてしまいます。嘆き祈るわたしの声を聞いてください。至聖所に向かって手を上げあなたに救いを求めて叫びます。


2. 願う/表現する (3-5)

 叫び求めるように主を呼んだ後、彼は早速自分の願いを具体的に言い表しています。私たちは祈りと礼拝を切り離して考えがちですが、礼拝は祈りに満ちています。意味深い抽象的な儀式ではないのです。皆さんも、自分の願いを主に向かって表現してください。個人的な礼拝なら問題ないでしょうが、このような礼拝のどこでそのチャンスがあるでしょうか?それは歌う時です。私たちがここで捧げる礼拝の形式は単純です。メッセージを聞いているか、歌っているかのどちらかです。アナウンスは厳密に言えば礼拝の一部ではありません。みんなで同じ歌を歌っているわけですが、必ずしも声を合わせなければいけないわけではありません。みんなが大きな声で歌っているのですから、その中であなたはあなたの願いを歌詞から離れて、自分の言葉で主に申し上げてもいいのです。歌う時、モニターに歌詞が出ます。日本語にはローマ字がついていますが、日本語で歌わなければいけないということではありません。下には訳もついていますから英語で歌ってもいいのです。英語の時に日本語でもいいし、もちろんそれ以外の言葉でもいいし、先に言ったように別の言葉を主に向かって語りかけていてもいいのです。声を合わせて綺麗な作品をレコーディングしているのではありません。私は、むしろ先週、真理ちゃんが紹介してくれたペンテコステの時の教会のような、聖なる混沌(Holy Chaos)でありたいと思っているのです。


3. 応答する (6,7)

 

さて6節に入ると彼はもう願うことをしていません。なんと言っているでしょうか?読んでみましょう

主をたたえよ。嘆き祈るわたしの声を聞いてくださいました。主はわたしの力、わたしの盾わたしの心は主に依り頼みます。主の助けを得てわたしの心は喜び躍ります。歌をささげて感謝いたします。

Praise be to the LORD, for he has heard my cry for mercy. The LORD is my strength and my shield; my heart trusts in him, and I am helped. My heart leaps for joy and I will give thanks to him in song. 

あれほど必死に願い求めていたのに、なぜこう歌えるのでしょうか?主が聞いてくださったという確信を得られたからです。彼の心の中に主が答えてくださったのです。私たちも同じことを期待していいのです。そしてその喜びが、もっと大きな声で歌うこと、拍手すること、ありがとうと叫ぶことで表現されます。立ち上がってもいいし、跪いてもいいし、踊り回ってもいいのです。このように言うと、皆さんの中にはある種の教会を思い浮かべる人がいるかもしれません。そういうノリに居心地が悪くなってユアチャーチに来た人もいるはずです。私たちが求めるのは人工的な混沌(Artificial Chaos)ではなく聖なる混沌(Holy Chaos)、人工的な混沌(Artificial Chaos)を作ることは簡単ですが、それがもたらすのは一時的な高揚感だけで、日常生活で実を結ぶものではありません。どう表現するか、どう応答するかここで決められている形はありません。大胆でも、控えめでもいいのであまり人のことは気にしないでください。他の人の邪魔にならないかぎりレッドカードは出ません。6、7節をもう一度読みましょう。

Praise be to the LORD, for he has heard my cry for mercy. The LORD is my strength and my shield; my heart trusts in him, and I am helped. My heart leaps for joy and I will give thanks to him in song. 

主をたたえよ。嘆き祈るわたしの声を聞いてくださいました。主はわたしの力、わたしの盾わたしの心は主に依り頼みます。主の助けを得てわたしの心は喜び躍ります。歌をささげて感謝いたします

 


4. 感謝する (6,7)

 

7節の最後で彼は「主に歌って感謝を捧げます」と歌っています。私たちがここで求められていることは、形式的に「感謝します」と口に出すことではありません。ただ礼拝の中で主が喜びを、平安を、慰めを、力を与えてくださったと思った時に自然出てくる「ありがとう」が礼拝の一部であるということです。心が感謝していないのに「感謝します」と言えば、それは虚しいことです。しかしあなたが心からそう思い、感謝の声をあげるなら、それは神様にも共にいる人々にも喜びとなり、人々には励ましや、慰めになるのです。


5. 宣言する (8)

 

8、9節を読みましょう。

8 主は油注がれた者の力、その砦、救い。

8 The LORD is the strength of his people, a fortress of salvation for his anointed one. 

「主は油注がれた者の力、その砦、救い」 主が自分にとってどのような方であるかを言い表す言葉です。7節では「主はわたしの力、わたしの盾」。主はあなたの何ですか?それを心に留めておかず宣言することが礼拝の要素の一つです。あなたはどう宣言しますか?


6. 祝福する (9)

 

9 Save your people and bless your inheritance; be their shepherd and carry them forever.

9 お救いください、あなたの民を。祝福してください、あなたの嗣業の民を。とこしえに彼らを導き養ってください。

 日曜日の礼拝で、他の教会と同じようになされている数少ないことの一つが「祝福」です。と言っても言葉は少し違い、私たちらしいものになっています。それぞれを1週間の歩みに送り出す言葉です。これをあなたの個人的な礼拝の中で適用するとすれば「お救いください、家族や友人を。祝福してください、私を取り巻く全ての人々を。とこしえに私たちを導き養ってください。」と歌ったり、祈ったりすることができるでしょう。

<まとめ>

どの教会の礼拝観が正しいのかという論争には意味がありません。他の教会のスタイルがダメで私たちが正しいということではないのです。この詩に見られる礼拝の要素は普遍的なものです。ただそれをどのように表すかというのは、それぞれの教会に任されているものです。イエスを主と信じる人なら誰でも、もっと神様に喜ばれる礼拝を捧げたいと願い、それぞれが考える最高の礼拝を捧げているはずです。それが教会によって異なるのは、同じ一つのキリストの体に属していてもそれぞれは違う部分だからです。ユアチャーチは、伝統的であることや、宗教的な雰囲気がイエスに近づくことを難しく感じる人にイエスを紹介したいと考えて始まった教会で、今でもそうありたいと願っています。ですから、イエスを知り、信じ、従うこと以外のことで誰も煩わせたくないのです。単純な組織とそれを保つための最低限のルールがあれば良いと考えています。ユアチャーチでは多くの教会が礼拝以外に行っている聖書研究会、祈り会、特別な集会、コンサートをすることはありません。神様を礼拝することを中心に生きようとすれば、また一人一人が主イエスの体として生きようとするなら、それらに割く時間や労力は私たちには残されていないと考えるからです。それでは、これからの歌う時間、心から主に向かって礼拝を捧げましょう。祝福はその後です。皆さんが主の霊に満たされる前に、祝福して送り出すことはできませんから。

 


メッセージのポイント

この詩には私たちの捧げる礼拝の要素が記されていて、礼拝のレシピのような詩です。ここには私たちがすることが書かれていますが、それぞれの要素で「神様の応答」を受け取らなければ真の礼拝は成立しません。よく聞きながら表現する礼拝を捧げましょう


話し合いのために

1) あなたは何を主に切に願い求めますか?
2) あなたはあなたの捧げる礼拝で何を宣言しますか?


子供たちのために

大人でも子供でも、困った時、悲しい時、辛い時に神様に向かって助けを求めることができることを伝えてください。困った時に答えてくださる神様ですが本当は、困っている時だけではなく、いつも礼拝し続けることが大切です。イエス様ともっともっと親しくなれるからです。日曜日でなくても、両親と礼拝することを勧めてください。記されている礼拝の要素を、子供にわかりやすい言葉に置き換えて説明してあげてください。一方通行ではなく、聴きながら、期待しながらということにも触れられるといいのですが。