主に望みを置く人

永原アンディ

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主に望みを置く人(詩編 37:1-22)

A. 悪事を謀る者と主に望みを置く人 (1-9)

1 【ダビデの詩。】悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな。
2 彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる。
3 主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。
4 主に自らをゆだねよ主はあなたの願いをかなえてくださる。
5 あなたの道を主にまかせよ。主に信頼せよ、主は計らい
6 あなたの正しさを光のようにあなたのための裁きを真昼の光のように輝かせてくださる。
7 沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や悪だくみをする者のことでいら立つな。
8 怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。
9 悪事を謀る者は断たれ 主に望みをおく人は、地を継ぐ。

 詩人は偉そうに上から目線でこういっているわけではありません。自分の通ってきた苦難と自分のやってきた沢山の失敗、そして主によって、その全てをカバーされ、守られ、導かれた恵みによってこう言えるのです。

 詩人は主に望みを置く人です。そして読む私たちにもそのような生き方を勧めています。後半では主に従う者と表現されています。

 ところがこのような生き方を嘲笑うように、人を傷つけ、騙し、攻撃してまで自分の利益を図ろうとするものが、昔も今もこれからも存在します、詩人は彼らを「悪事を謀る者」と表現し、それは神に従う人とは正反対の「神に逆らう者」であることを明らかにしています。

 

1. 主に望みを置く人のするべきこととするべきではないこと

最初に私たちは、悪事を謀る者たちの中にあって、どのような態度で生きていったら良いのかを、この部分から探ってゆきましょう。

1 【ダビデの詩。】悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな
2 彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる。
3 主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ
4 主に自らをゆだねよ主はあなたの願いをかなえてくださる。
5 あなたの道を主にまかせよ主に信頼せよ、主は計らい
6 あなたの正しさを光のようにあなたのための裁きを真昼の光のように輝かせてくださる。
7 沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ繁栄の道を行く者や悪だくみをする者のことでいら立つな
8 怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない
9 悪事を謀る者は断たれ 主に望みをおく人は、地を継ぐ。

するべきではないこと。それは相手がどんなに悪くても、それに対していら立ってはいけない、うらやんではいけない、ということです。この短い部分に3回もいらだってはならないと念を押されている理由は、誰もがよく知っています。私たちは、自分は苦しみながら正しく生きようとしているのに、なんであんなことをする人が不自由なく楽をして生きているのかと、いらいらし、うらやましくさえ思ってしまいます。「いら立ってはならない」と言われたって、いら立ったままで何が問題なの?いら立たなかったら何かいいことがあるの?そうだとしても、どうしたらできるの?と、疑問が湧き上がってきます。しかしもう少しこの部分に目を向けてみましょう。ここにはしてはならないことだけではなく、するべきことが書かれています。

主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。主に自らをゆだねよ。あなたの道を主にまかせよ。主に信頼せよ、沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。怒りを解き、憤りを捨てよ。

主を信頼して、主と共に、善を行うこと。この世界にしっかり足をつけ、困難の中でも信仰を栄養として生き、主が導いてくださる、その導きに自分を委ねなさい、という勧めです。このことを始めるなら、さっきのしてはいけないことをしている暇がなくなるのです
反対に、警告を無視して、いらいらをつのらせ、怒りに身を震わしていたら、主に向かって顔を上げることができなくなってしまいます。悪に対してだけ目を向けていたら、それが正しい裁きの目であったとしても、主からくる良いものを受け取り損ねてしまいます。ここに書かれている「するべきことリスト」も「してはいけないリスト」同様簡単にできることではありません。だからこそ、私たちは「主を礼拝すること」を他のあらゆることに対して優先させなければならないのです。それは決して、教会で行われる日曜日の礼拝に出席するということではありません。毎週ここの体を持って来れば自動的に、できるようになれるわけではありません。礼拝はここに来なくても、いつでも、どこでもすることができます。もちろんここにきて一緒に礼拝できることは素晴らしいことです。私はどこででもできるといいますが、いつも共に礼拝している人が、いろいろな理由で来られないのは寂しいのです。でも毎回、私に付き合う必要はありません。日曜日の朝にあなたを必要としている人がいるなら、その人と共に過ごすべきです。少しゆっくり体を休める必要があるなら、ここに来なくてもいいのです。礼拝はここでなくても、この時間でなくてもできるからです。そこで7節の「沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ」 です。これが今日一番心にとめていただきたい言葉です。これこそが礼拝への心の備えです。

 

2. 悪事を謀る者と主に望みを置く人の対照的な将来

1 【ダビデの詩。】悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな。
2 彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる
3 主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。
4 主に自らをゆだねよ主はあなたの願いをかなえてくださる
5 あなたの道を主にまかせよ。主に信頼せよ、主は計らい
6 あなたの正しさを光のようにあなたのための裁きを真昼の光のように輝かせてくださる
7 沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や悪だくみをする者のことでいら立つな。
8 怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。
9 悪事を謀る者は断たれ 主に望みをおく人は、地を継ぐ

さて、同じ部分から、 取り上げなかった言葉を確認しておきましょう。緑色と紫色の部分です。緑は「悪事を謀る者」の未来で、紫は「主に望みを置く人」の未来です
今のあなたの状況の中では、とてもそうは思えないと感じられるかもしれません。ですが、詩人は確信を持ってそういいます。彼は証人として、あなたに語りかけています。私も喜んで証言します。教会は証言によって成り立ち、証言によって続いてきた信仰の共同体です。神が存在することも、イエスが神であり主であることも、イエスの復活も、罪の赦しも、誰も科学的に証明することのできるような性質のものではありません。ですから是非、誰かの証言を聞いてください。
私たちを脅かす悪から、主は私たちを守ってくださいます。しかし、悪は退けられても、何度でも形を変えて挑んでくることは避けられません。完全に撃退されるのは世の終わりなのです。
それでは後半を読みましょう。


B. 主に逆らう者と主に従う人(10-22)

10 しばらくすれば、主に逆らう者は消え去る。彼のいた所を調べてみよ、彼は消え去っている。
11 貧しい人は地を継ぎ豊かな平和に自らをゆだねるであろう。
12 主に従う人に向かって主に逆らう者はたくらみ、牙をむくが
13 主は彼を笑われる。彼に定めの日が来るのを見ておられるから。
14 主に逆らう者は剣を抜き、弓を引き絞り貧しい人、乏しい人を倒そうとしまっすぐに歩む人を屠ろうとするが
15 その剣はかえって自分の胸を貫き弓は折れるであろう。
16 主に従う人が持っている物は僅かでも主に逆らう者、権力ある者の富にまさる。
17 主は御自分に逆らう者の腕を折り従う人を支えてくださる。
18 無垢な人の生涯を主は知っていてくださる。彼らはとこしえに嗣業を持つであろう
19 災いがふりかかっても、うろたえることなく飢饉が起こっても飽き足りていられる。
20 しかし、主に逆らい敵対する者は必ず滅びる献げ物の小羊が焼き尽くされて煙となるように。
21 主に逆らう者は、借りたものも返さない。主に従う人は憐れんで施す。
22 神の祝福を受けた人は地を継ぐ。神の呪いを受けた者は断たれる。

 

1.  主に逆らう者

10 しばらくすれば、主に逆らう者は消え去る。彼のいた所を調べてみよ、彼は消え去っている。
11 貧しい人は地を継ぎ豊かな平和に自らをゆだねるであろう。
12 主に従う人に向かって主に逆らう者はたくらみ、牙をむく
13 主は彼を笑われる。彼に定めの日が来るのを見ておられるから。
14 主に逆らう者は剣を抜き、弓を引き絞り貧しい人、乏しい人を倒そうとしまっすぐに歩む人を屠ろうとする
15 その剣はかえって自分の胸を貫き弓は折れるであろう。
16 主に従う人が持っている物は僅かでも主に逆らう者、権力ある者の富にまさる。
17 主は御自分に逆らう者の腕を折り従う人を支えてくださる。
18 無垢な人の生涯を主は知っていてくださる。彼らはとこしえに嗣業を持つであろう
19 災いがふりかかっても、うろたえることなく飢饉が起こっても飽き足りていられる。
20 しかし、主に逆らい敵対する者は必ず滅びる献げ物の小羊が焼き尽くされて煙となるように
21 主に逆らう者は、借りたものも返さない。主に従う人は憐れんで施す。
22 神の祝福を受けた人は地を継ぐ。神の呪いを受けた者は断たれる

主に逆らう者が主に従う者に対してどのように挑んでくるのかが茶色で書かれている部分です。そして、主がどのようにして彼らを扱われるのかが青で書かれた部分です。主は創造主、世界を作られた方です。この方が、逆らう者を裁いてくださいます。大きな権力でも人々を苦しめるものなら主はそのままにはしておかれません。力ある者もやがて滅びます。重要なのは、これらの者たちに対して、私たちが自分の力で戦って勝てと言われているのではなく、主が自ら力を表してくださるということです。主に逆らう者の力が圧倒的に大きくても、私たちは人生の勝利を確信して歩み続けられます。

 

2. 神様と共に永遠に生きる (7-10) 主に従う人

10 しばらくすれば、主に逆らう者は消え去る。彼のいた所を調べてみよ、彼は消え去っている。
11 貧しい人は地を継ぎ豊かな平和に自らをゆだねるであろう。
12 主に従う人に向かって主に逆らう者はたくらみ、牙をむくが
13 主は彼を笑われる。彼に定めの日が来るのを見ておられるから。
14 主に逆らう者は剣を抜き、弓を引き絞り貧しい人、乏しい人を倒そうとしまっすぐに歩む人を屠ろうとするが
15 その剣はかえって自分の胸を貫き弓は折れるであろう。
16 主に従う人が持っている物は僅かでも主に逆らう者、権力ある者の富にまさる
17 主は御自分に逆らう者の腕を折り従う人を支えてくださる。
18 無垢な人の生涯を主は知っていてくださる。彼らはとこしえに嗣業を持つであろう
19 災いがふりかかっても、うろたえることなく飢饉が起こっても飽き足りていられる
20 しかし、主に逆らい敵対する者は必ず滅びる献げ物の小羊が焼き尽くされて煙となるように。
21 主に逆らう者は、借りたものも返さない。主に従う人は憐れんで施す
22 神の祝福を受けた人は地を継ぐ。神の呪いを受けた者は断たれる。

最後に「主に従う人・主に望みを置く人」に対する主の約束を見てゆきましょう。
今日のテキストには、主に従う人に与えられる恵みについて多く記されていますが、主に従う者がどのような者なのかが書かれているのは21節後半だけです。主に従う人は憐れんで施すとあります。主に逆らう者が「借りたものも返さない」のと対照的です。憐れんで施すのはイエスの生き方そのものです。人間として歩んだイエスの人生ほど、人を憐れんで、喜んで与えた人生はありません。私たちはイエスが十字架の上で罪の奴隷となっていた私たちを深く憐れんで、十字架の死と復活によって、私たちを罪から解放し、永遠の命を与える。これが聖書の中心メッセージ: 福音です。主に逆らう者・悪事を謀る者を、主に従う人・主に望みを置く人に変える良い知らせなのです。
それでは主に従う人に約束されている恵みを、主に逆らう者の末路と比較して見ておきましょう。

10 しばらくすれば、主に逆らう者は消え去る。彼のいた所を調べてみよ、彼は消え去っている。vs 11 貧しい人は地を継ぎ豊かな平和に自らをゆだねる

15 その剣はかえって自分の胸を貫き弓は折れる vs 16 主に従う人が持っている物は僅かでも主に逆らう者、権力ある者の富にまさる

17 主は御自分に逆らう者の腕を折り vs 従う人を支えてくださる

18 無垢な人の生涯を主は知っていてくださる。彼らはとこしえに嗣業を持つ
19 災いがふりかかっても、うろたえることなく飢饉が起こっても飽き足りていられる。 VS 20 主に逆らい敵対する者は必ず滅びる献げ物の小羊が焼き尽くされて煙となるように

22 神の呪いを受けた者は断たれる。vs 神の祝福を受けた人は地を継ぐ

 あなたとあなたの家族の幸せは、誰に望みを置くかにかかっています、頼りにならないものを頼りにして、がっかりして欲しくないので主イエスに望みを置くことを勧めたいのです。イエスに望みを置きたいですか?そうであれば、まずイエスと親しくなりましょう。そしてイエスにに従って歩き始めましょう。
今日一番心にとめていただきたいと紹介した言葉を覚えていますか?7節です「沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ」です。これこそが礼拝への心の備えです。今がその時です。一言祈りますが、その後、しばらく沈黙して、主が語りかけてくださるのを待ち焦がれて主に心を向けましょう。それから主に向かって歌いましょう。主はきっとあなたの心に語りかけてくださいます。


メッセージのポイント

 主に望みを置かないのであれば、人に望みを置くしかありません。自信があれば自分に期待し、なければ誰かに期待します。しかし、人に置いた望みは必ず裏切られます。主に望みを置いて、主と共に歩みましょう。あなたの主は誰ですか?

話し合いのために

1)メッセージを聞いて始めよう(あるいは止めよう)と思ったことは何ですか?
2)主に従う人(主に逆らう者)とはどのような人ですか?

子供たちのために

 道徳的な良い悪いの基準は単純ではありません。生き方の根本的な物差しは、誰に従うか、であることを伝えてください。彼らの親が誰に望みを置いているのかを教え、彼らにも勧めてください。悪いこと、悪い人は世界にあふれています。それを悪いと認識することは大切ですが、それらを恐れすぎたり、憤ってイライラしすぎれば、主に期待することもできなくなってしまいます。困った時には、弱った時には、悲しい時には、主に祈ることができ、主が(時間はかかるかもしれませんが)必ず解決してくださり、解決に至る間も守っていてくださることを伝えてください。