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September 25th 2011 Vol.18 No.39
世界を変えるためにあなたがすべきこと  ヤコブの手紙1:9-20

何故、神様がここにあなたを招いておられるのか知っていますか?それはあなたが神様と共に世界を変えるためです。といってもそれは、あなたを国連職員にするとか、あなたを必要としているどこかの国に送り出すといったことではありません。礼拝が終わって外に出ればもうそこは世界です。神様の特別な計画によって地球の反対側に送り出される人もいますが、私達の殆どにとって派遣先は、日常の生活の場、働きの場、学びの場、遊び楽しむ場です。そこで、イエス様にあなたが期待されている働きをするために必要なことを、今日のテキストから4つお話しします

1) 富と貧しさに対処する方法を知る (10,11)

貧しい兄弟は、自分が高められることを誇りに思いなさい。
(9) また、富んでいる者は、自分が低くされることを誇りに思いなさい。富んでいる者は草花のように滅び去るからです。(10) 日が昇り熱風が吹きつけると、草は枯れ、花は散り、その美しさは失せてしまいます。同じように、富んでいる者も、人生の半ばで消えうせるのです。(11)

聖書が貧しい、富んでいると言う時、お金のあるなしというより、むしろ神様の前に自分を低くしているのか、高ぶっているのかという態度のことを意味しています。イエス様御自身も「心の貧しい者は幸せです」(マタイ5:3)とおっしゃいましたが、神様に対して謙った心を持っている人は幸せです、という意味です。お金があるかないか、ということは本質的な問題ではないのです。ただイエス様が、金持ちが天国に入ることが難しいといわれたように、お金に余裕があれば、神様を頼る心を失う危険が多いことは確かです。この世の富、財産に限らず、才能、人間関係、信用を賢く用いることは大切ですが、神様の代わりになるものだと勘違いしてはいけません。それは消え失せるのです。そのような富に振り回されないで、イエスキリストに従って歩んでいる人の存在によって世界は変わるのです。
 

2) 試練と誘惑に負けない (12-15)

試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。
(12) 誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。(13) むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。(14) そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。(15)

試練を耐え忍び成長できることを先週お話ししました。ここではそれに加えて誘惑ということについて触れられています。歴史の初めから人類は誘惑にさらされてきました。ここに誘惑のメカニズムが簡潔に記されています。試練とは違い、神様が与えるものではありません。そうではなく、自分の欲望に従うことによって、神様の思いから逸れること、それが誘惑に陥るということです。イエス様に従って歩み続けるなら、誘惑に陥ることはないのです。あらゆる種類の欲望が、心をイエス様から引き離す可能性を持っています。神様ではなく自分の欲望に従うこと、これこそ究極の偶像礼拝です。神様は、誘惑に負けて失敗すること自体を責めておられるわけではありません。むしろダビデやペトロのように何度失敗しても、諦めてしまわず、神様に従ってゆこうとする態度が大切です。誘惑に絶対負けない人にはなれませんが、起こってくることが誘惑であることを知る人にはなれます。そしてそのような人は、誘惑に負けにくい人になることが出来ます。時には失敗することがあっても、試練や誘惑を神様の助けによって乗り越えてゆこうとしているなら、あなたは、あなたの回りから世界を変えているのです。
 

3) 神様がどのような方なのかを知る (16-18)

わたしの愛する兄弟たち、思い違いをしてはいけません。
(16) 良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。(17) 御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。(18)

神様がどのような方なのかを知る上で、正反対の二つの考えがあることを知って下さい。一つは、神様は全てを創られた創造者、主権者と考える神様観。もう一方は神様とは人間が創った概念、つまり人間のほうに主権があって、私達の願いに応じて、捧げ物の対価として何かをして下さる様々な自動販売機のような神様観です。私たちは思い違いをしやすいのです。物事が思い通りにいかないのは、入れたコインか紙幣が悪いのか、手順が間違っているのか色々やってみます(もっとたくさん祈ろう、献金しよう、働こう)。お金を入れたのに商品がでてこないと蹴っ飛ばしたりします。(宗教的に言えば神様を呪うということです)。しかし神様は人の作った恵みの自動販売機ではありません。私達こそ、神様に造られたものであり、特に人間はこの世界を正しく治めるために、神に似せられたものとして、神様の子供として造られたのです。私達に必要なもの、良いものは全て神様が下さいます。それにはいろいろな経路が考えられます。誰かを通して、自分の仕事を通して、自分の努力を通して下さるのです。しかし全てのものは神様がお創りになったのですから下さるのは神様です。神様は人間でもありませんから、機嫌の良し悪しで気まぐれに与えたり与えなかったりするのでもありません。だから神様の機嫌を取るということは無意味なのです。私たちにできることは信頼することです。試練も含めて、神様は私達に必要な良いものを惜しみなく完璧なタイミングで与えて下さいます。何があっても変わらない神様を信頼している人は、ぶれません。変わりにくいから、信頼を得られます。信頼される人は世界を良いものに変えることができます。
 

4) よく聞き怒らない (19,20)

わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。
(19) 人の怒りは神の義を実現しないからです。(20)

最後に、よく聞く人、簡単には怒らない人が世界を変えるということをお話しします。意外ではありませんか?わたしたちは雄弁に話す人が世界を変えるのではと思いがちです。また、現状に対する怒りが変化をもたらすように思えます。けれども、ぜひイエス様を知って変わって欲しいと願っても、あなたが相手の心を知らず、受け入れず一方的に話すばかりでは、それが相手にとって必要な変化であったとしても、相手は受け入れることが出来ません。さらに怒りを表すことは、人の心を固くし、冷やすための最高の薬です。それでは怒りは内に秘めていれば良いのでしょうか?いいえ、内に秘めた怒りはあなた自身にダメージを与えます。怒りをエネルギーに変えて行うことは決して良い実を結びません。はっきり書かれているとおりです、人の怒りは神の義を実現しないのです。怒りを完全にコントロールすることは誰にもできません。そこで、お勧めしたいことは、まず、より聞くに早く、話すに遅く、怒るにおそい者と変えてくださいと祈ることです。自分が聞くより話す人だという自覚があるなら、聞く対話すを3:7位のつもりに心がけることです。心に怒りがこみ上げてきたら「人の怒りは神の義を実現しない」心の中で言いましょう。 世界が、神様の愛の支配するところとなるように、あなたがイエス様に従い、変えられてゆくことによって、あなたの周りから変えてゆきましょう。
 

メッセージのポイント

誰もが正義を求めますが、不義は後を断ちません。どの国でも、民族でも例外はありません。より豊かな社会を目指して科学技術も人文科学も進んできましたが、根本的な解決は与えてくれません。聖書はひとつの解決法を提案しています。それはイエス・キリストに従って生きるという方法です。イエス様の言葉、その言葉に基づいて書かれて聖書の言葉から、どのようにイエス様に従うことが出来るのかを知ることができます。ここで紹介されていることは私たちに求められている、正義と平和を実現するための正しい態度です。私たちにはそれを自分で実現する能力はありません。しかし主と共に歩んでゆくなら、力と知恵は豊かに与えられます。神の義を実現するために、イエス様にしっかりとつながって、自分を変え、周りを変え、世界を変えましょう。

話し合いのヒント

1) あなたを誘惑するのは誰ですか?
2) なぜ人の怒りは神の義を実現しないのでしょう?