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October 2nd 2011 Vol.18 No.40
聞いて行う人となる  ヤコブの手紙1:21-27

A. 聞いて行う人が世界を変える

1) ステップ1:聞く(21)

21
だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。

健康な信仰は行動に至るとお話ししてきましたが、信仰なしの行動は暴走してしまうかもしれません。それは欲望に基づく行動だからです。そこで、自分が変わろうとする、世界を変えようとするにあたって絶対に必要なことが、神様の言葉を聞くということです。どんなに汚れや悪が蔓延していても、私たちはそれらに支配されることなく行動することができます。それは心に植えつけられた神様の言葉を受け入れるからです。神の言葉とは何でしょうか?聖書で言う神の言葉の最も中心的な意味はイエス・キリスト御自身です(ヨハネ1:1,2)。ですから「御言葉」とは単に書かれた聖書の言葉を意味するのではなく、ましてや牧師の説教でもなく、イエス・キリストの命をかけた言葉と行動による私達への語りかけなのです。もちろん神様は聖書を通して、説教を通して私達に語りかけられますが、ワーシップする時、祈る時、話している誰かを通しても語って下さるのです。だから、先週お話ししたように聞くに早く、語るに遅くあるべきなのです。十分聞く前に口を開けば、大事なことを聞き漏らしてしまうおそれがあるからです。神様は恵みによって語りかけて下さいますが、私たちはそれを拒むことができます。理由はいくらでも付けられるのです。しかし、私達が素直に喜んで受け入れなければ、言葉は力にはなりません。イエス様の種をまく人のたとえはこの事をよく説明しています。(マタイ13章、マルコ4章、ルカ8章) あなたが周りにイエス様の影響を与えたいと思うなら、第一にすることは聞いて素直に受け入れることです。
 

2) ステップ2:行う (22-25, ルカ 6:46-49)

22
御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。 23 御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。 24 鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。 25 しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。
「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。 わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。 それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。 しかし、聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。」(ルカ6:46-49)

イエス様に従って行動しないなら、イエス様を主と呼ぶ資格はありません。そのような人は、いつかイエス様の前に立って「主よ」と呼びかけても、「私はあなたを知らない」と言われてしまうでしょう。聞いても行わないのは、イエス様ばかりでなく、イエス様の弟子である自分の生き方を裏切ることになるのです。 皆さんは今朝鏡を見てこられましたか?自分がどんな顔をしていたか覚えていますか?今私達がこの礼拝の中で、神様の前に立っています。それは私達の心が、それを写す鏡の前に立っているようなものです。ここで私たちは、なすべきこと、向かうべき方向を示されるのです。鏡に写っている自分が、実は左右反転した別の顔であるように、神様が見せて下さる心の鏡には、いまの状態ではなく、私達の向かうべき状態が示されています。今朝の鏡の中の自分の姿は忘れてしまってもいいのですが、ここであれ、個人的な礼拝であれ、礼拝の中で示された神様の視点による自分となるために日々の生活はあるのです。日曜日に教えられたことを、これからの6日間で活かしてゆかなければ、ここに書かれている「聞くだけで終わる者」です。 聞いて忘れず、行動する者になるための最良のアドヴァイスが25節です。「自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。」自由をもたらす完全な律法とは、「主イエス・キリストと共に歩む」ということです。そのことを、一心に見つめ、守るなら行う人でいられます。一心に見つめるのは、もっとよく知る為です。私たちは神様のすべてを知ることはできません。しかしもっと知ることを求められているのです。イエス様の思いを知れば知るほど、何もしないではいられないはずです。 聞いて行う人と行わない人の行動面での相違が次の二節に記されています。これらの事は後にそれぞれ詳しく教えられていますので。今日は簡単に紹介します。それは、自分の発する言葉と、自分の行動についての違いです。実行することは簡単ではありませんが、25節にあるようにイエス様を一心に見つめる事によって、もっとよく出来るようになるのです。
 

B. 聞いて行う人のしるし

1) 舌を制する (26, 3:1-12)

26
自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です。

そのひとつは自分の口から発する言葉をコントロールするということです。言わなくても良いことを言い、言わなくてはならないことを言わない。物事を自分に都合良く誇張して伝える、嘘をつく。それは神様に従おうとしている自分を欺くことになります。舌を制することについて23日に詳しくお話しますが、ぜひ3:1−12を読んでみてください。舌を制することは、愛すること以上に難しいことです。言葉は目に見えないので軽く扱われがちですが、実は大きな力を持っています。人を生かすことも、殺すこともできる力です。ですから、その扱いには十分気をつける必要があります。この事に関しては、誰でも神様に助けていただかなければ、慰めるつもりが傷付け、励ますつもりが、がっかりさせることにもなりかねません。私達の心に潜む利己心が、小さな事を大きく、大きな事を小さく言います。あることをないと、ないことをあるというのです。神様を100%信頼しているなら、本当は自分を、それ以上にも以下にも見せる必要はないのです。神様への信頼が舌を制するキーポイントです。
 

2) 愛を行う (27, 2:14-26)

27
みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。

イエス様の言葉を聞いて、行うことの内容は一言で表現することができます。「愛すること」です。そして、困っている弱い者、小さい者の世話をすることこそ愛の働きの典型です。その反対は自分の欲望を満たす目的の行動です。欲望を満たすことを目的に生きるなら、世の汚れに染まることになります。愛の働きは、自分をこの汚れから守ってくれるのです。あなたの愛を必要としている者があなたの周りに沢山います。そこで私たちは世話をするのです。この部分をもっと具体的に教えているのが2:14-16です。再来週にお話する予定です。ぜひその前に読んでみてください。私たちはみなイエス様を愛する人の愛に触れてイエス様を知り、愛することを知ったはずです。それが皆さんの周りの人々にも起ころうとしているのです。愛しましょう。その人がイエス様を知り、愛する人となるように。
 

メッセージのポイント

自分に確実な信念がなければ、人から悪い影響を受け、人に悪い影響を与える事になります。確かに信頼できるものがあるなら、良いものを見極めそこから学び、人に良い影響をあたえることができます。あなたが良い影響を周囲に与えるならそこから世界は変わってゆきます。信頼できるものとは「御言葉」です。聖書の言葉は心を慰め励ますだけでなく、私たちに行動させる力を与えます。小さな事から始めて、聞いて行う人になりましょう。その基本は、自分の発する言葉をコントロールすること、人々の世話をすること、イエス様の価値観で生きる事です。

話し合いのヒント

1) 御言葉を行うとはどういうことでしょうか?
2) 舌を制しそこねた経験をシェアしましょう