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12/4/2011  アドヴェント第二聖日 Vol.18 No.49
神様が共にいて下さるしるし (マタイによる福音書 1:18-25) 池田真理
今日読む聖書のお話は、イエス様の誕生物語の中では先週の続きの箇所です。先週読んだ箇所では、マリアのところに天使が来て、「あなたは神様の子を生む」と告げていました。マリアは戸惑いながらもそのことを受け入れました。今日の箇所の主人公は、マリアと婚約していたヨセフです。

1. 神様の計画は計り知れない(18-20)
イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
マリアの妊娠の知らせは、ヨセフにとって二重の戸惑いでした。婚約相手に自分とは関係ない子供ができたという事実と、それが聖霊によるという説明です。20節で天使が「マリアのお腹の子は聖霊によるのだから、恐れるのはやめなさい」と彼に告げていることから、ヨセフは最初、マリアが聖霊によって妊娠したとは信じていなかったのでしょう。でもマリアに子供ができたという事実は動かせません。当時のユダヤ人社会では婚約も結婚も今よりずっと重んじられていました。婚約していながら別の人と関係を持ったことが明らかになった場合、石打の刑にされて、殺されることになっていました。でもヨセフはそれを守らず、マリアを守ろうとしました。そのヨセフを聖書は「正しい人」と表現しています。規則を守るよりも大切なことを彼が知っていたからです。規則、つまりユダヤ教の律法は神様を愛するための行動規範であり、最も大切なことは律法の遵守ではなく、神様を愛し、自分の周りの人を愛することだとヨセフは知っていました。だから、自分を裏切ったように見えるマリアを公の場で罰を与えることができる立場にありながら、そうしませんでした。 このように、本質的な意味でヨセフは正しい人でしたが、マリアに神様の力が働いていることは信じられませんでした。でも神様はそのことでヨセフを責めていません。むしろ、天使を送って、ヨセフに直接証明しています。なぜなら、この時神様が行おうとしていた計画は、前にも後にも類のない、歴史を二分する偉大な出来事で、人間には想像もつかなくて当然のことだったからです。聖霊による子供というのは、つまり神様の子です。しかも、マリアという人から生まれてくると言われています。そして、ヨセフはその子の育ての親になるように言われました。神様の子が生まれること、しかしその子は人間として生まれ、人間の両親によって育てられること、この二つは普通は矛盾するように感じられるかもしれません。神の子ならなぜ人間なのか、人間に育てられるなら神の子ではないのではないか。でもこの矛盾が、神様の私たちに対する大きな愛のしるしでした。矛盾するように感じるのは、私たちが神様をあまりに小さくとらえているからです。ヨセフの夢に天使が送られたこの時、マリアにもヨセフにも、私たちにも計り知れない偉大な神様の計画が始まりました。続きの箇所に、その計画の内容が言われています。
 
2. 「主は救い(イエス)」(21)
マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
神様の計画の内容は、イエスという名前が一番よく表しています。元々ヘブライ語のヨシュアで、そのギリシャ語読みがイエスです。ヨシュアという名前は旧約聖書に出てくる通り、ユダヤ人の間ではよくある名前でした。でも、イエス様の誕生によって、その名前の真実の意味が明らかになりました。ヨシュア、イエスという名前は「主は救い」という意味です。なぜ、イエス様がこの名前の真実の意味を明らかにしたと言えるのでしょうか。それはイエス様ご自身が神様であり、救いだからです。天使が、この方は「自分の民を罪から救う」と言っている通りです。 2000年前、地中海東岸の地域でイエスという人物が活動し、十字架に架けられて死んだということは歴史の教科書にも書いてある事実です。聖書は、この人が人となられた神様だと教えています。そして、この人が十字架に架かって亡くなったのは、私たちの罪を負うためだったと教えています。私たちの罪とは、神様に背を向けていること、私たちの自己中心性です。この私たちの罪が、世界のあらゆる争いや悲しみの原因になります。神様は正しい方なので私たちのこの罪を罪として定めます。でも、神様は私たちの罪を赦し、関係を修復したいと思われました。神様は正しい方である以上に愛の方だからです。そのために神様が実行された計画というのが、自らが人間となって、ご自分の命をささげて人間の罪を負うということでした。そして、罪を負って亡くなっただけで終りではなく、3日後にはよみがえって、神様の力が罪の力に既に勝っているということを証明して下さいました。神様はご自分を犠牲にしてでも、私たちをご自分の下に戻そうと願った方です。それほど私たちを愛しているのだとはっきり教えてくれたのです。今、神様がただ一つ私たちに望んでおられることは、私たちにできるただ一つのことでもあります。それは、イエス様が神様の与えられた私たちの救いだと信頼することです。それしか私たちにはできないというのは、私達はどんなに努力をしても、神様の前に自分を罪の無い正しい者とすることはできないからです。ただイエス様だけが、私達を神様の前に欠けのない者としてくださる方です。これが神様の計画です。神様はイエス様を通して、そのお名前の通り、ご自身が救いであることを示そうとされました。 このように、神様ご自身が私たちの救いそのものとなられたということは、神様が私たちといつも共にいてくださるということも意味します。次の二節を読んでみましょう。
 
3. 共にいて下さる神様(22-23)
このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
ここでイエス様の誕生は、旧約聖書の時代からの神様の約束だったと言われています。「その名はインマヌエルと呼ばれる」と言われているのは、実際の名前と言うより、象徴的な意味で言われています。イエス様は、私たちを罪から救うだけでなく、神様が私たちと共にいてくださることを証しする方でもあるということです。元の引用箇所、イザヤ7:13-14も読んでみましょう。
イザヤは言った。「ダビデの家よ、聞け。あなたたちは人間にもどかしい思いをさせるだけでは足りず、わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。 それゆえ、わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。
こでははっきり、「主が自らしるしを与えられる」と言われています。イエス様は、神様が共にいて下さることを示すために約束されていたしるしです。神様が人となられたというだけでも、神様が人と共にいることを望む方だと分かります。でもイエス様が地上の生涯でなさったことはそれ以上のことです。イエス様は、私たちがただ神様と共にいたいと応えるだけで共にいられるように、手続きをして下さったのです。それが十字架の出来事です。だから、私たちがどんな状況にいても、私たちと神様の関係の中で、神様が私たちにおっしゃることはただ一つ、「私はあなたと共にいる」です。神様が本当にそうおっしゃっているかどうかは、イエス様があなたにとってどういう方であるかによります。イエス様が神様が与えてくださったしるしだと受け止めるなら、神様が共にいて下さる方だということも分かります。そしてしるしが与えられている以上、あなたが離れない限り、神様は決してあなたを見捨てることなく、どんな時でも変わらずに共にいて下さるということを信頼できます。もしイエス様が自分とどう関係があるのか、まだ見極めかねているのなら、どうぞ誤解しないでください。あなたがイエス様を信じていないからといって、神様はあなたと共にいないと言われているわけではありません。神様はそのように私たちの信仰と救いを対価交換のようにとらえる方ではありません。ただ、あなたはどうであれ、神様はあなたと共にいたいと願っておられるということを私は言いたいと思います。イエス・キリストという方が歴史に現れたからです。この方が神様があなたと共にいたいと願っておられるしるしです。8年前までは、この人は私にとって関係のない人でした。でも、今は確かに神様が私を愛して共にいて下さる方であるしるしだと信じています。
 
4. 神様を信じるヨセフ
ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。
今日初めにお話ししたとおり、イエス様の誕生によって始まった神様の計画は壮大すぎて、ヨセフだけでなく、人間には誰にも想像もつかないものでした。でも、その計画の中心は神様が人となられたということです。イエス様は真に神様ですが、この世界に生まれた時は、他の子供と同じように、親に守られなければ生きていけない赤ちゃんでした。マリアとヨセフに育てられなければ、生きられない弱い存在でした。神様はご自分の計画を遂行するために、人を用いることを躊躇なさらなかったのです。ヨセフは自分には想像もつかなかった出来事が起ころうとしていることに気が付きましたが、神様を信頼して、天使に言われたとおりのことをしました。このヨセフの信仰がなかったなら、神様の計画は実現しなかったのです。でもヨセフが特別だったわけではありません。イエス様の養父という役割は確かに歴史上にヨセフ一人にしか与えられなかった役割ですが、ヨセフは私たちの信仰の模範です。神様の計画が大きすぎて、自分にはその全貌が見えないとしても、目の前に起こっている出来事の中で、神様を信頼して従うこと、それがヨセフが私たちに教えてくれる大切なことです。神様を信頼することで、私たちも神様の大きな計画の中で用いられていきましょう。
 

メッセージのポイント

イエス様の誕生は、神様がイエス・キリストという歴史上の人物としてこの世界に現れたということであり、神様の救いの計画がそれによって実行されました。救いの計画は、神様が私たちと共にいることを願っておられることを証明して、私たちはただその神様と共にいたいと応えるだけで共にいられるように、神様がなさった手続きです。それは実際私たちには計り知れない出来事です。でも、ヨセフがそうだったように、私たちも神様を信頼し、従うことで、神様の大きな計画に参加することができるのです。
 

話し合いのヒント

1) イエスという名はどのような意味がありますか?
2) 「インマヌエル」と「イエス」はどう関係しているのでしょうか?