<MP3 音声>

<ビデオ>

December 18th, 2011  アドヴェント第四聖日 Vol.18 No.51
バプテスマのヨハネ (ルカによる福音書 1:57-80)

A. 聖書がバプテスマのヨハネを紹介する理由
福音書の全てに、イエス様より半年前に生まれ、イエス様よりも数年早く死んだ人のことが記録されています。特に今日取り上げるルカによる福音書では、その誕生の次第まで詳しく記されています。なぜイエス・キリストに焦点を当てているはずの福音書に別の人物のことが詳しく紹介されているのでしょうか?始めに57-66節を読んでみましょう。
さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。(57-66)

1) ヨハネという名前について
聖書には、旧約、新約それぞれに第一子の超高齢出産の話が出てきます。旧約ではアブラハムの妻サラ、そして新約聖書ではこのエリザベトの出産です。夫ザカリアは、この出来事が単なる椿事なのではなく神様の計画であることを、この出産をガブリエルと名乗る天使(ダニエル書で初登場してから600年ぶりの再登場)から聞かされ、しかも口の聞けない状態にさせられることによって悟っていました。だから、命じられたことに従い、その名をヨハネと名付けたのです。しかしそれは当時の社会では異例なことでした。普通は父親の名を受け継ぐのが通例だったのです。イスラエルの人々の名前には、神様の在り方に関連する名前が多いのです。ヨハネのお父さんの名はザカリヤ、「神は覚えておられる」という意味です。そしてヨハネという名の意味は「主は恵み深い」です。ザカリア、エリザベスの夫婦は非の打ち所が無いほど神様の前に正しい人々だった(1:6)と紹介されていますが、子供がいないことを恥と感じていました(1:25)。しかしそんな彼ら願いを、本人達は忘れていたのに、神様は覚えておられたのです。その願いが実現したのですから、その息子は「神は覚えておられる」という名を継いで待ち続ける必要はありません。「主は恵み深い」のほうがずっと相応しいでしょう。しかしヨハネという名は、預言されていたとおり、ザカリア家だけにとどまらない恵みを意味していたのです。全ての民への恵みを予告する名前でもあったのです。この時点ではその恵みの内容は明らかではありませんでした。しかし、それはすぐに明らかになりました。なぜならヨハネの予告通り登場した方の名は「インマヌエルと呼ばれるイエス」神は私たちと共におられるということを御自身で表わされる救い主だったからです。恵まれたい、幸せになりたいと思わない人はいないでしょう。しかし本当の恵みとは、幸せとは神と共に歩むことだと気づいていない人は、当時も今も変わらずに多くいるのです。
 
2) イエス様が来られることを預言した最後の預言者
旧約聖書の預言者イザヤは、イエス様が来られることを預言した事で有名ですが、その直前にヨハネが現れることも預言しています。イザヤ書40:3-5を読みます。
呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備えわたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
ヨハネは、正にそのように呼びかけました「さあ、その時はもう来ている。いまこそ生き方を方向転換するときです。口先で、あるいは表面的に神様に従うのではなく、心から神様と共に歩み始める時が来たのですよ!」「その心の決心を、洗礼を受けるということで表しなさい。そしてその決心に相応しい生き方を始めなさい。」 そう呼びかける人が現れるとイザヤが預言していた。つまり、ヨハネは、イエス様がこの世界に来てくださることを伝える最後の預言者だったということです。
 
3) ヨハネがしたこと
ヨハネの活動期間はイエス様の三年半という短い活動よりも更に短いものでした、その最後は、王の罪を厳しく責めたことに対する処刑による死です。権力者の罪も、恐れずに責める預言者の影響力を王は恐れていたのです。なぜヨハネは短い間にそれほど大きな影響力を持ったのでしょうか?ヨハネがしたことは、罪を悔い改め、その決意のしるしとしてバプテスマを受け、そしてそれに相応しい生活を続けることを勧めただけです。イエス様のようにたくさんの言葉を残したわけではありません。しかし、ヨハネの勧めに従う事こそが社会状況であれ、個人的な生活の問題であれ、重苦しい状態、逃れたい現実から解放される唯一の方向であったことを、多くの人が直感して、ヨハネのバプテスマを受けようとヨルダン川にやってきたのです。イエス様が最初のクリスマスに来られてからもう2000年以上経っているのに、まだこの恵みを知らない、受け入れることのできない人があなたの周りには大勢いるのです。誰がそれらの人々のために、ヨハネのように道を用意するのでしょうか?それはあなたです。
 
B. あなたもヨハネです
それでは後半を読みます。
父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる。これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、生涯、主の御前に清く正しく。幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。(67-80)

1) 人々が主に出会うための準備をする者として
皆さんはヨハネのように、人々が心を主に向かって開くためのお手伝いをすることができます。私たちは、人生の問題がイエス様にお会いし、彼と共に歩むことによって解決することを知っているのです。だから、人々がこの道の入口を見つけて歩き始めるためにあらゆる努力を惜しまないのです。それが私達に任せられた働きです。 それは聖書の内容や教理を教えたりすることではありません。英語ではチャーチ、日本語では教会と訳されている言葉の元々の意味は「神様に呼び出された者たちの集まり」です。ですから「結婚式をするところ、聖書の勉強をする場所」といった印象が一般的なのですが、本当は「神様の呼びかけに応えて集い、互いに助けあいながらみんなで成長してゆく人間関係なのです。そこで私達ができることは、まだ知らない人が、イエス様が中心におられる、この素晴らしい人間関係の一端に少しでも触れて味わい、自分も試してみたいという気持ちになってもらうことです。
 
2) 悔い改めの必要を伝える者として
素晴らしい人と友だちになれば自分も素晴らしくなれる。人生はそれほど甘くはありません。聖書を読んで、お祈りすれば人格が向上するわけでもありません。何を見つめて生きるのか、誰の背中を見つめて進むのか?そこが大切なのです。神様の正しさと愛、それが見つめ続けるべきものです。それはイエス様のなかに見ることが出来るものです。いままでの生き方を悔い、イエス様と歩み出すこと、それを「悔い改め」というのです。ここにいる多くの人がこの方向転換を経験しました。まだの人もいます。でもこの事を人に強制することはできません。私達ができるのは「悔い改めなければ始まらないよ」と伝えるところまでです。そこからはイエス様ご自身が働かれます。あなたが泣いて頼むとか、脅かすとか、賞品をちらつかせて誘う必要はありません。
 
3) 恵み、喜びを伝える者として
ヨハネ自身は、イエス様が自分よりはるかに優れた救い主だとは知ってはいましたが、御自身の十字架の死によって人々を赦すという驚くべき出来事も、どのように人々を愛されたか、どれほど憐れみ深い方であったかということも知らないうちに世を去らなければなりませんでした。ですからヨハネのメッセージは、どちらかというと神の愛よりも、神の義を実現される方としてのイエス様にふさわしく、正しく、清く生きなさいという厳しい戒めのようでした。しかし私たちはヨハネ以上にイエス様のことを知っています。イエス様は完全に正しく聖い方であると共に、誰よりも情け深い、憐れみ深いかたであることを知っています。だから、私達にとってイエス様は、恐ろしい方、責める方ではありません。まだイエス様を知らないどんな人にとっても、例外なく、イエス様が来てくださったことは、恵みであり喜びなのです。さあ、あなたはこの恵みの知らせ、喜びの知らせをだれに伝えますか?喜びを知らせることは難しいことではありません。複雑なマニュアルを暗記する必要はありません。あなたが喜んでいればいいのです。あなたの喜びがイエス様から来ているものなら、いつかきっとその喜びが伝わります。ですからまずあなたのうちに主を喜ぶ喜びを満たしていただきましょう。
 

メッセージのポイント

クリスマスの出来事を思う時、バプテスマのヨハネのことも考えてみましょう。福音書は、イエス様の誕生というトップニュースに先立って、ヨハネの誕生を報告しています。イエス様は、働きを開始するにあたってヨハネからバプテスマをお受けになられました。バプテスマのヨハネはイエスが来られることを伝えた最後の預言者といえるでしょう。彼は、人が神様との関係を回復するためには、悔い改めなければならないこと、そのことによって救い(イエス様)を得られ、「神様は私と共におられる(インマヌエル)」確信することのできる大きな恵みを体験できることを教えてくれました。私たちもまた、まだイエス様を知らない人々にとってヨハネのような役割を果すのです。

話し合いのために

1) 彼の名前にはどのような意味が込められていますか?
2) どのような意味で私たちもヨハネだといえるのですか?