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January 29th, 2012  Vol.19 No.5
まだ悟らないのか? (マルコによる福音書8:14-21)


A. 思い込みはイエス様からの問いかけを受け取れなくする (14-16)


弟子たちはパンを持って来るのを忘れ、舟の中には一つのパンしか持ち合わせていなかった。
(14) そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。(15) 弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないからなのだ、と論じ合っていた。(16)

1) パンを忘れてきたことを思い煩っている弟子たち


慌てて家を出ると忘れ物をしがちです。すぐに気がつけば引き返せますが、気がついたときにはもう手遅れだということもよくあります。どんなに近くにコンビニがあったとしても、美味しそうなお弁当を用意したのに忘れたときには、本当にがっかりして、一日中思い出すたびにため息が出るのです。イエス様と弟子たちの一行も、本当は船を出すときにパンをもってゆく予定でしたがうっかり忘れてきてしまったのです。「困ったなあ、へこむなあ。どこでパンを買い直す事ができるだろう?」 などと思いながら「誰が忘れずに船に積み込むべきだったのか?」と責め合っていたのかもしれません。そのような悪い雰囲気の中で、イエス様がパンを連想させる「パン種」という言葉を使って教えようとしたので、弟子たちは勝手に誤解して「イエス様もパンがない事にこだわっているのだ」と思い込んでしまったのです。パンを忘れただけでなく、そのことから心が離れず、イエス様の戒めも心に届かないという状況を作ってしまいました。あなたが、日常生活の中で思い煩いやすいのはどのようなことですか?その思い煩いが、イエス様からの語りかけを聞こえなくしていることを知りましょう。


2) イエス様の問いかけ

 
 
パン種とは、パンをふくらませる酵母、イーストのことです。パン種は、出エジプトの出来事によって、ユダヤの人にとっては、単にパンの材料である以上に、象徴的な意味のある言葉でした。エジプト脱出の行動が開始される直前、神様は民に種を入れないパンを作って食べることを命じられました。緊急事態なので急ぐという意味合いがありますが、それだけでなく、心から取り除くべき小さな不純物の象徴とも考えられました。不純物とは、悪あるいは罪を意味しています。それらは小さくて目立たなくても、パン種がパンの生地全体を大きくふくらませるように、放っておけば、その人の内に膨れ上がり、その社会全体をも汚染させてしまうのです。そのような意味でイエス様は、当時の宗教的権威であったファリサイ派も、政治的権威であったヘロデ王も、よく気を付けなければならない悪であることを弟子たちに教えようとしたのです。ところが弟子たちは、パンを忘れた事で頭が一杯だったのです。


B. 出来事を体験したことと意味を悟ることとは異なる (17-21)


イエスはそれに気づいて言われた。「なぜ、パンを持っていないことで議論するのか。まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。
(17) 目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか。(18) わたしが五千人に五つのパンを裂いたとき、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」弟子たちは、「十二です」と言った。(19) 「七つのパンを四千人に裂いたときには、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」「七つです」と言うと、(20) イエスは、「まだ悟らないのか」と言われた。(21)

1) 覚えている事実


彼らは、イエス様がごく最近行ったパンを増やす二回の奇蹟を、出来事としては覚えていました。余ったパンを入れたかごの数まで答えられたのです。それなのに、「食料が十分ではない」ということに心がとらわれて、肝心のイエス様からの問いかけを正しく受け取ることができなくなっていました。 私たちもまた主と共に歩むなかで、多くの奇蹟を、主の助けを経験してきました。それでもなお私たちは心配します。それは私達が弟子たちと同じように共通して持っている性質なのです。だから何度でも「いや、主がいるから大丈夫」と思い直す必要があります。そうでなければ、過去の恵みの体験は、沢山の心配事の中に埋もれてしまうのです。そうなれば、心の中に主が勧めてくださること、戒めてくださることを誤解してしまいます。「いや、主がいるから大丈夫」と思い直すことが、私達が礼拝を献げることの大切な目的の一つです。ここで私たちは、過去のイエス様の恵み、助け、守り、癒し、さとしを思い起こし感謝すると共に、主がそのような方として永遠に共にいてくださる方であることをも確信し、感謝しながら、期待しながら置かれている自分の場所に出てゆくのです。それは、日曜日の朝だけでは足りないと私は感じています。だから週の半ばに何人かで集まり、恵みの経験を分かち合い、慰め合い、励まし合い、祈り合う時、ミニチャーチを勧めるのです。夫婦で、兄弟で、親子でも同じことができます。それ以外の時、他には誰もいなくても、一人で主の前に進み出る時を持つことができます。朝でも夜でも、短い時間でもよいのです。礼拝は、私たちを思い煩いから解放してくれるだけでなく、イエス様の声が心に届きやすくしてくれます。
 

2) 悟るべき真理

 

船を出した時、パンが一つもなかったわけではありません。一つだけはあったのです。そして一つでも、そこにパンがあるならイエス様の奇蹟を思い出して、パンが足りないという心配からは解放されてよかったはずです。持っている一つのパン、それは見たところ、まったく十分ではなく、がっかりするのも無理はないと思われます。しかしイエス様は、私たちが持っているたった一つのパンで多くの人を満腹させる事のできるお方です。イエス様は実際に私たちの肉体的な空腹を癒されましたが、イエス様はそれだけで満足される方ではありません。人はパンだけで生きるのではありません。神の口から出る言葉で生きる(申命記8:3, マタイ4:4)のです。私たちの持っているちっぽけな1つだけのパン、それは自分の様々な能力、可能性を意味しています。多くの人は小さすぎると感じ尻込みするのですが、それをイエス様に、用いて下さいと大胆に差し出せば良いのです。 弟子たちの失敗の根本的な原因は、二度にわたって見せられたパンの奇蹟の真の意味を悟っていなかったことにあります。「目にみえる状況がどんなに厳しくても、イエス様は従う者に必ず道を開いて下さる」ということを二つの奇跡から悟っていたなら、その直後にパンを忘れてきたことぐらいで心を乱すことも、イエス様の教えを素直に聞けなくなることもなく、落ち着いていることができたはずです。あなたは、イエス様が私たちの心に関する事も日々不可欠な食べ物の事も、十分に必要を満たして下さることを確信していますか?そうであれば、私たちは思い煩いから解放されます。人と争う必要もありません。イエス様の戒めも正しく理解できます。


メッセージのポイント
船にパンを積み込むのを忘れたことに心が奪われて、イエス様の「宗教者や権威者の悪に気をつけなさい」という戒めを、パンを忘れてきたことに対する当て付けだと勘違いしてしまう弟子たちのように、私たちも自分の心の状態によって、神様からの問いかけを素直に聞けなくなってしまうことがあります。弟子たちの失敗の根本的な原因は、二度にわたって見せられたパンの奇蹟の真の意味を悟っていなかったことにあります。「目にみえる状況がどんなに厳しくても、イエス様は従う者に必ず道を開いて下さる」ということを二つの奇跡から悟っていたなら、その直後にパンを忘れてきたことぐらいで心を乱すことも、イエス様の教えを素直に聞けなくなることもなく、落ち着いていることができたはずです。あなたは、イエス様が私たちの心に関する事も日々不可欠な食べ物の事も、十分に必要を満たして下さることを確信していますか?そうであれば、私たちは思い煩いから解放されます。人と争う必要もありません。イエス様の戒めも正しく理解できます。


話し合いのヒント

1) なぜ弟子たちはイエス様の質問を誤解したのですか?
2) パンの奇蹟で悟るべき真理とは?