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June 3rd, 2012 Vol.19 No.23
真の権威者
(マルコによる福音書 11:15-19,27-33)
A. 祈りの家か強盗の巣か
1) 祈りの家を強盗の巣にしてしまう罪深さ (15-17)
それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった。」(15-17)
イエス様と弟子たちがエルサレムに到着して二日目、受難週の月曜日の出来事です。一行は日曜日の夕方、近郊のベタニアに出て一泊、この朝再び市内に入り、その中心である神殿の境内で騒ぎが起きたのです。騒ぎを起こしたのはイエス様御自身でした。時期はイスラエル最大の祭り「過越し」の週です。エルサレムには地元の人だけではなく、普段は国外に住んでいる人々も加わってごった返していました。人々は神殿で、年額にしておよそ二日分の賃金に当たる金額を献金しなければいけないとされていましたが、そのお金はイスラエルのお金でなければならないとされていたので、両替商たちは境内に陣取り高額の手数料を儲けていました。鳩も捧げもののために売られていました。商売人らはここまで来なければ用意できない人々に高く売り、利益をあげていました。儲けていたのは彼らだけではありません。彼らから商売をするための権利金を得ていたのは神殿自体、つまり宗教家や政治家でした。 エルサレムでは、3回神殿が建てられました。イエス様の時代から約1000年、ソロモン王によって立てられた初めての神殿は360年後にバビロニアの侵略で破壊されます。その破壊から70年後、民の指導者ゼルバベルが、エズラやネヘミヤ、預言者ハガイ、ゼカリアとともに再建した第二神殿は紀元前37年、再建後約480年で、今度はローマ軍によって破壊されてしまいます。イエス様が実際に訪れた神殿は紀元前20年頃、建設が始まりましたが、46年(ヨハネ2:20)もかかって、やっと完成しました。この時まだ出来立ての新しいものだったのです。この神殿も紀元70年に100年も持たずに再びローマ軍によって破壊されてしまうことになります。 実は、神様は一度も私の住まいとして立派な神殿を作りなさいと命じられたことはありません。最初の神殿を作ったソロモンは「創造主である神様が人の作った神殿などに住むことはない」(1列王8:23-27)ことを知っていました。それでも律法を守って生きる民のセンター、礼拝の場として神殿が必要だと考えたのです。しかしそれは人の見栄や欲望を満たす場にもなる両刃の剣でもありました。イエス様の時代の第三神殿はまさにそのような場となっていました。神殿の理想的な姿はイザヤが預言していました。この預言と現実とのギャップをイエス様は「祈りの家を強盗の巣にしてしまった」と表現されたのです。
また、主のもとに集って来た異邦人が主に仕え、主の名を愛し、その僕となり安息日を守り、それを汚すことなくわたしの契約を固く守るならわたしは彼らを聖なるわたしの山に導きわたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるならわたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。(イザヤ 56:6,7)
これは他人ごとではありません。教会も強盗の巣になる危険性を持っています。立派な建物の教会でなくても、借りているビルでも、家の教会でも同じことです。建物を持っていなくても良いと思いますが、持つべきではないということを言いたいのではありません。戒めなければならないのは、教会を自分の欲求を満たすための場と見なすことです。教会は自己実現の場ではありません。神様の意思を実現する場なのです。一番気をつけなければならないのは牧師です。ここを自分が一儲けするために利用しようと思う人はいないでしょう。しかしここで、自分の思いを実現させたいと考えてしまうことはたやすいのです。ユアチャーチという名は、この事を戒めるためにあるのです。それは私たちが、神様に向かって「ここはあなたのものです。あなたの意思が行われますように」と告白し、人々に向かって「私たちは、あなたがイエス様と親しくなるために、ここにいます」というのであって、決して自分たちに心地よい場所を築きあげるためのOur church ではないという宣言です。
2) 真の権威は世の権威に妬まれる (18,19)
祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。夕方になると、イエスは弟子たちと都の外に出て行かれた。(18,19)
このうまくできた集金システムを批判されることは、祭司長や律法学者にとって我慢ならないことでした。しかし民衆がメシア:救い主と期待をかけるイエス様を簡単に捉えることは出来ませんでした。彼らにとってイエス様は、既得権益を脅かす反体制派の煽動者にしか見えませんでした。そしてイエス様が待ち望まれていた救い主であることが分からなかったのです。それは今の社会でも同じ事です。70年前この国にも起こったことです。天皇を神として従うことを強要し、国を戦争に駆り立てていった指導者たちは、クリスチャンにも天皇を拝むことを強い、多くの教会はそれに屈しましたが、「唯一の創造主の他に神はなく、天皇も一人の人にすぎない」と正しく答えた少数の牧師たちは投獄され、厳しい拷問によって獄死した人も出たのです。パウロはこの世の権威に従いなさい、と勧めましたが、それは条件付きの勧めです。神様の意思に明らかに反する権威に対しては、真の権威を与えられている者として異議を唱えるべきです。そうでなければ、私たちは虐げられている者の友となることは出来ません。
B. 真の権威の下に生きる (27-33)
一行はまたエルサレムに来た。イエスが神殿の境内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちがやって来て、言った。「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。」 イエスは言われた。「では、一つ尋ねるから、それに答えなさい。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。答えなさい。」 彼らは論じ合った。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。しかし、『人からのものだ』と言えば……。」彼らは群衆が怖かった。皆が、ヨハネは本当に預言者だと思っていたからである。そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」 (27-33)
1) あなたは何の権威でそれを行うのか?
翌朝のことです。前日と同じように神殿の境内に入られたイエス様に、宗教的権力者がチャレンジしたのです。このようなこととは、直接には、昨日の商売人たちを追い払おうとされた出来事を指していますが、それはそれまでのイエス様の活動全体に対する問いでもありました。そしてストレートに答えるなら、その答は決まっていました。「神様の権威」それ以外に、そのような行為は誰にも許されてはいません。宗教家たちは、そう答えた時、神様の権威は自分たちにしか与えられていないとして、イエス様を逮捕できたのです。もし「他の権威、あるいは誰の権威でもなく」と答えれば、神様を冒涜した者としてやはり逮捕するつもりでした。しかしイエス様は答える代わりに彼らに質問しました。普通であれば、質問しているのは私たちだと言い返せたかもしれません。しかし、単純な二者択一の質問で、群衆が指導者たちに対して不満に思っていた問題だったので答えざるを得なかったのです。イエス様の一言はオセロ(リバーシ)の優れた一手のように形成を逆転しました。彼らがどちらの答えを言っても、人々の前で自分たちの立場を悪くする鋭い質問でした。彼らは「分からない」と答え、人々を失望させ、イエス様に対する人々の期待は更に大きくなってゆきました。
2) 主イエスに従う
私たちは、様々な権威のもとに生きています。親の権威、先生の権威、上司の権威、国の権威、それらにむやみに反抗することを神様は喜ばれません。しかしあらゆる権威の上に神様の権威があることを忘れてはなりません。特に自分が誰かに対して権威である場合(たとえば親として)、その権威が神様の権威に従属するものであることを忘れる時、神様に背くことになります。誰かの権威や力の下に置かれて苦しむ時、私たちは、彼らのずっと上に存在する権威者、神様に向かって叫びの声を上げることができます。私達が神様の意思を行おうとするなら、神様は必要な知恵や力を与えて下さいます。いつまでも真の権威の下に歩んでゆきましょう。
メッセージのポイント
信仰心はその対象にかかわらず堕落します。ユダヤ教だけの問題ではないのです。私たちは、教会を強盗の巣にしてはいけません。教会は歴史の中でその過ちを犯してきました。イエス様が決して求められなかった繁栄、名誉、成功を求めることを正当化する教えが、いつの時代にも現れ私たちの心を誘惑するのです。そのような困難な状況の中で、イエス様に従い続けるために大切なことは、自分が誰の権威の下にいるのか確かめ続けることです。そしてそれが主イエス様だというのなら、主の言葉、主の歩みに忠実に歩むことを願い求めることです。
話し合いのために
1) 神殿の境内でイエス様はなぜこのようなことをしたのですか?
2) あなたにとって主イエスに従うとは?