<メッセージノート>

2012/11/11 メッセージノート
聖霊の時代 使徒言行録1:1-11

テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」 (1-5)

さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(6-8)
こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」 (9-11)

A 使徒言行録の主役 (1-5)
1) 聖霊とは誰か?
2) 約束されていた聖霊によるバプテスマ

B 聖霊によって歩む
1) 力を受けて始めよう (6-8)
2) 勝利の日を期待して歩み続けよう (9-11)

メッセージのポイント
福音書をイエス様の働きの記録とするなら、使徒言行録は聖霊の働きの記録といえます。勿論、使徒たちのと言っても間違えではありません。しかし働きの主体は聖霊です。人々は、聖霊に導かれて大きな力を発揮し教会を誕生させることが出来ました。それは、ユダヤでの国内的な宣教が世界に広がるきっかけとなることでもありました。私たちも、それぞれがおかれているところに派遣されている者として、聖霊に満たされて、与えられている働きに励みましょう。

話し合いのために
1) なぜ使徒言行録は聖霊の働きの記録といえるのでしょう?
2) 私たちは何を期待して歩み続けるのですか?

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<メッセージ全文>

2012/11/11 メッセージ
聖霊の時代 使徒言行録1:1-11

テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」 (1-5)

さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(6-8)
こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」 (9-11)

A 使徒言行録の主役 (1-5)
1) 聖霊とは誰か?
ここの記されている第一巻とはルカによる福音書です。使徒言行録はルカによる福音書の続きなのです。ところが第二巻には第一巻の主人公であったイエス様は、この第一章を最後にもう登場しません。(より正確にいえば、9章でパウロとアナニアという人に呼びかける声だけで登場していますが)第二巻の最も中心的な登場人物はイエス様に呼びかけられたパウロです。使徒言行録と言っても他の使徒たちについてはペトロ以外はほとんど触れられていません。使徒言行録という書名は、パウロが使徒ととして一般に認められ、新約聖書が今のような一つの書物としてまとめられた二世紀後半につけられました。登場人物は殆ど変わってしまっているようです。ところが、よく見ると第一巻の最初から第二巻の最後まで重要な場面で登場する主役がいることがわかります。聖霊です。ルカによる福音書は、聖霊がまだ母の胎内にいるバプテスマのヨハネを満たし、イエスの母マリヤに望み、ヨハネの父母、ザカリヤとエリザベトを満たす、ということから始まっています。イエス様がバプテスマをヨハネから授けられた時には、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエス様の上に降りました(3:22)。 イエス様はこの霊の力に満ちて活動を始められました (4:14-19)。そして第一巻最後のイエス様の言葉は、天に帰られた後に弟子たちを導くのが聖霊であるということ、聖霊に満たされるまで活動を始めずに待っていなさい、という言葉 (24:49) でした。そして使徒言行録は、第一巻最後のイエス様の言葉を繰り返すことから始めています(1:4-5)。使徒言行録では、ペトロやパウロの活躍で、教会が形作られ、福音が広がってゆく様子が描かれていますが、その力を与え、彼らを導いたのは聖霊です。

2) 約束されていた聖霊によるバプテスマ
聖霊に満たされることから、教会は始まりました。イエス様は十字架にかけられる前から、「自分が天に帰った後、聖霊があなた方を導く」と予告なさいました(ヨハネ16:7-15)。 イエス様に従う者とは実際には聖霊に従う者です。旧約聖書では神様は主に父である神としてご自身を現されましたが、福音書の時に、イエス・キリストとして御自身を現されました。そして使徒言行録の時代から今に至るまで、主に聖霊として御自身を現されているのです。私たちが神様を実感できるのは、聖霊に触れられる、満たされるときです。私たちが使徒言行録の教会のようにダイナミックで、シンプルで、生き生きとした教会であるためには、聖霊に満たされることが絶対の条件なのです。

B 聖霊によって歩む
1) 力を受けて始めよう (6-8)
使徒たちには、まだこれからの働きのスケールの大きさが分かっていません。神様がこれからなさろうとしているのは、世界のすべての人に届こうとすることでした。弟子たちにとっては「いつ?」が問題でした。私たちも同じ傾向を持っています。「いつ?」の質問に答えてもらえないと落ち着かないのです。いつ祈りはかなうのですか?いつ終りは来るのですか?しかし、時や時期は、あなたがたの知るところではない。というのがイエス様の答えです。私たちがするべきことは、時の心配ではなく、聖霊に満たされて証人として歩み続けることです。聖霊に満たされることは、歩み続ける力です。来年でこの教会の働きは20年になります。場所も変わり、名前も変わりましたが私たちは最初からこの事を続けているのです。横浜で借りていた家の居間でユアチャーチの礼拝は始まりました。私も「時や時期は、あなたがたの知るところではない。」という呼びかけを何度も心に聞かされました。いつ、もっと大きな場所で礼拝できるようになるのですか?いつたくさん人がやってくる教会になれるのですか?いつ会計は安定するのですか?いつ次の世代のリーダーたちが起こされるのですか?ということを気に病んでいたからです。けれどもいま振り返ってみると、神様はその一つ一つに絶妙のタイミングで応えてくださっています。ですからこれからも聖霊に満たされて歩んでゆきたいのです。聖霊に従うということがそう簡単なことではありません。ある人々は、聖霊の力を求めることを最重要に考え、教会が不思議な現象や癒し、奇蹟が表わされるところとなることを追求し、恵まれること、経済的に繁栄することを求めることが信仰であるかのように考えます。その結果、イエス様の愛から離れてしまうばかりか、イエス様の名を汚すようなことも起こっています。その反対にある人々は、そのような現象を見て、聖霊の力を求めることは間違っていると考え、人の力で教会を建て上げるという絶望的な歩みをしています。しかし生まれたばかりの教会では、聖霊の力に満たされることと、イエス様の栄光が表され「民衆全体から好意を寄せられる」 (2:47) ことが両立していたのです。私達がそのような教会になれるように祈り求めましょう。

2) 勝利の日を期待して歩み続けよう (9-11)
今日のテキストの最後の部分には重要な言葉が記されています。「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」という言葉です。イエス様がいつかまた再び来られるという天使の言葉です。それは今の時にも終りが来るということです。始まった神の国の建設が完成する時といってもいいでしょう。それは何らかの理由でこの地上に人が住めなくなる時かもしれません。しかし信じる者は、神の国に移されるのです。それがいつかは、イエス様がおっしゃったとおり、私たちの知るところではありません。しかしことは完成に向かっているということは確かなのです、私たちには、いつですかと聞きたくなるほどもどかしいスピードに見えても、働きは着実に進んでいるのです。私たちは、この事を信じて、今命じられていることに忠実に歩んでゆきましょう。

メッセージのポイント
福音書をイエス様の働きの記録とするなら、使徒言行録は聖霊の働きの記録といえます。勿論、使徒たちのと言っても間違えではありません。しかし働きの主体は聖霊です。人々は、聖霊に導かれて大きな力を発揮し教会を誕生させることが出来ました。それは、ユダヤでの国内的な宣教が世界に広がるきっかけとなることでもありました。私たちも、それぞれがおかれているところに派遣されている者として、聖霊に満たされて、与えられている働きに励みましょう。

話し合いのために
1) なぜ使徒言行録は聖霊の働きの記録といえるのでしょう?
2) 私たちは何を期待して歩み続けるのですか?