<メッセージノート>

2012/12/16 Advent 待降節 第三日曜日 
大きな喜びの良い知らせ (ルカによる福音書2:8-20) 池田真理

A. 大きな喜びの良い知らせ(8-14)

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

・良い知らせ


・へりくだった王様


・しるし 


・天使たちの賛美



B. 良い知らせを受けた反応(15-20)

天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。


・羊飼いたち:確かめずに、知らさずにいられなかった


・そこにいた人々:不思議に思った


・マリア:全てを心に納め、思い巡らした


メッセージのポイント
クリスマスは、神様に選ばれた真の王様、私たちの救い主がお生まれになったという出来事です。イエス様は、神様でありながら、弱くて小さい人の一人として生まれてくださいました。それは私たちと共に歩んでくださるためです。それは、イエス様が飼い葉桶に寝かされていたこと、天使たちが羊飼いに遣わされたことからも分かります。このことを自分には関係のない不思議なことだと思ってしまえばそれでおしまいですが、私たちは自分たちで確かめることができます。確かめて、尽きない喜びの源をいただいて、他の人々にも伝えていきましょう。

話し合いのために
1) なぜクリスマスは「大きな喜びの知らせ」なのでしょうか?
2) マリアは羊飼いたちの知らせを、どう受け止めたのでしょうか?

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<メッセージ全文>

2012/12/16 Advent 待降節 第三日曜日
大きな喜びの良い知らせ (ルカによる福音書2:8-20) 池田真理

A. 大きな喜びの良い知らせ(8-14)

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

・良い知らせ
天使は「大きな喜び」を告げに来たと言っています。英語では「大きな喜びのいい知らせをもたらす」となっています。ここでは英語の方が本来の言葉に近いと思います。天使が告げたのは、「大きな喜びのいい知らせ(ニュース)」です。聖書には「福音書」が四つ入っていますが、福音というのは「いい知らせ」という意味です。ですから、今日のルカによる福音書は、ルカによるいい知らせと言うこともでき、ルカ福音書全体が、いい知らせとも言えます。そしてここで天使は「大きな喜びのいい知らせ」と言っています。福音書全体が、そして天使が言っている「いい知らせ」は何でしょうか?それは11節「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」という知らせでした。「メシア」という言葉は、元々「油を注がれた者」という意味の言葉で、神様に選ばれた王を指しています。だから、天使が告げた内容は、「今日、あなたたちを救う方が生まれた。この方こそ、主、神様が選ばれた王だ」と言い換えることもできます。この知らせは、この最初のクリスマスから2000年経った今でも、私たちに告げられています。2000年前のクリスマスにベツレヘムという町に生まれたこの方が、私たちを救う王様、神様です。


・へりくだった王様
次に続けて天使が告げた言葉は、羊飼いたちを驚かしたと思います。12節「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」神様に選ばれた王様は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ていると言われています。飼い葉桶は、家畜のえさや水を入れておくような小さな箱です。ふつう、王様になるような人はお城や宮殿に生まれます。でも、私たちを救うために来てくださった王様は、馬小屋で生まれて、飼い葉桶に寝かせられていました。それは、この王様が、私たちの手の届かないお城から私たちを支配するのではなくて、私たちといつも共にいてくださり、私たちのために苦しみ命まで捨てて下さる方だからです。
このことは、天使が羊飼いのもとに遣わされたということでも同じです。羊飼いという職業は、今日読んだ最初にも出てきたように、夜も昼も関係なく野外で羊の世話をしなければならず、大変な仕事でした。そのために、安息日を守りなさいとか断食をしなさい、清めの儀式を受けなさい、というようなユダヤ教の様々な規則を守ることができなかったため、宗教指導者たちからも軽蔑されていました。羊を野獣や泥棒から守るために危険も伴いました。だから羊飼いは一般的に好まれる職業ではなく、貧しい人の職業でした。そんな羊飼いたちに天使が遣わされました。天使たちは、喜びの知らせを告げるのに、裕福な人や権力者ではなく、人々からは見下されていた羊飼いたちのような人のところに送られました。それは、イエス様を王様として受け入れるのは、羊飼いたちのような人だからです。自分を弱く貧しい者だと知っている人のために、イエス様は来て下さいました。弱く小さい人と共にいるために、ご自分も弱く小さい存在になって下さいました。


・しるし
天使は、この方があなたがたへのしるしだと言いました。「しるし」ということについて、先週のメッセージでも話がありました。インマヌエル、神様が共にいてくださるということのしるしです。2000年前にイエス・キリストという人物が生きていたことは歴史上の事実です。その人は、神様でありながら、私たちを救うために人となられて、十字架で死ぬためにこの世界に来てくださった方です。この歴史上の人物イエス・キリストが、神様が私たちに与えてくださったしるしです。


・天使たちの賛美
天使がよい知らせを伝え終わると、天の大軍が現れて神様を賛美しました。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」天使たちも、イエス様が生まれたということがあまりに素晴らしくて、神様を賛美せずにはいられなかったのかもしれません。でも、この後半の「地には平和、御心に適う人にあれ」という言葉は、私たちにも向けられていると思います。イエス様の誕生によって、私たちが平和を手に入れるように言われているようです。この世界の中で常に喜び、平和に暮らすことはとても難しいかもしれませんが、イエス様が来て下さった今、私たちには変わることのない平和が与えられているのだということだと思います。イエス様を信じて、神様が下さる平和をいただきましょう。



B. 良い知らせを受けた反応(15-20)

天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。


・羊飼いたち:確かめずに、知らさずにいられなかった
私は、この羊飼いたちのように、イエス様が生まれたという知らせを天使から聞いたわけではありません。私だけでなく、天使から直接イエス様のことを知った人はそんなにいないと思います。「あなたがたのために救い主がお生まれになった!」という喜びの知らせは、天使から羊飼いへ、羊飼いからベツレヘムの人々へと伝えられていきました。そして、2000年以上伝えられ続けて、今日ここにも届いています。それは、まず羊飼いたちが自分たちで確かめたところから始まりました。天使から知らせを受け取った羊飼いたちは、すぐに、自分たちの仕事を脇において、ベツレヘムに確かめに行きました。天使からの喜びの知らせは、羊飼いたちの心を興奮させたのだと思います。自分のために救い主が生まれたということが、本当かどうか、自分で確かめずにいられなかったのだと思います。そして、確かめられたから、天使たちに言われたように「この人が私たちの救い主なんだ」と他の人たちに伝え、神様をほめたたえました。
私たちがイエス様のことを知るときも、他の人に知らせるときも、同じだと思います。確かめずにいられない、知らさずにいられない、大きな喜びをイエス様が下さるからだと思います。それは神様が私たちの心に起こしてくださる思いであって、誰かに強制されたり、誰かを強制したりすることはできないと思います。自分のことを振り返ってみても、最初は「イエス様イエス様」と言っている人たちが気になる、くらいの気持ちでした。イエス・キリストという人が自分を救ってくださる?救うって何?と、自分とは関係ない話だと思っていました。でも、自分でも他人でもなく、何か確かなものを求めていて、それを持っていそうな人たちが気になっていました。それはクリスチャンの小説家の三浦綾子さんや、この教会の人たちや他のクリスチャンの友達でした。最初はイエス様を「イエス様」と呼ぶことも警戒して、私はこの世界にははまらないぞ、という気持ちで教会に来たり、聖書を読んだりしていました。でも、だんだん「イエスと言う人、いるんですか?いるなら答えてください」と言いはじめ、「やっぱりあなたはいるんですね」と思うようになりました。疑いながらも、いつの間にか、イエス様が本当に自分のために死んでくださった
のかどうか、確かめずにはいられなくなっていました。だから、私たちが他の人にイエス様のことを知ってもらいたいと願うなら、まず自分がイエス様のことを本当に喜んでいることがなにより大切だと思います。イエス様が自分とどんな時でも共にいてくださって、自分を救ってくださる神様だと繰り返し確かめることで、私たちの中にイエス様からの喜びが大きくされていきます。


・そこにいた人々:不思議に思った
興奮した羊飼いたちの話を聞いて、そこにいた人々は「不思議に思った」と言われています。羊飼いたちの喜びが、彼らには伝わらなかったのでしょうか?伝わらなかったわけではないと思いますが、羊飼いたちの話を聞いただけでは、まだ理解できなかったのだと思います。それは、私たちが誰かにイエス様と共にいる喜びを伝える時と同じだと思います。伝えても、すぐに相手にそれが伝わるわけではなく、その人自身が、やはり自分で確かめることが必要なのだと思います。


・マリア:全てを心に納め、思い巡らした
イエス様の母マリアは、他の人が不思議に思った羊飼いの話を、「全て心に納め、思い巡らしていた」と言われています。自分の理解できないことも含め、自分の心に受け止め、ゆっくり消化しようとしたということだと思います。マリアは、自分自身が天使からイエス様が偉大な人となるということを、既に知らされていました。今日の箇所より前の1章30-33節では、天使がマリアにこう言っていました。

すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。


もしかしたら、マリアは、この時点で羊飼いたちよりもさらに深く大きく、神様の計画の大きさに気が付いていたのかもしれません。面識のない羊飼いたちまでが突然訪ねてきて、自分の産んだ子について天使から知らされて、その子を確かめて喜んでいるなんて、やはり常識をはるかに超えた出来事です。

 神様に選ばれた王様、私たちの救い主がお生まれになったという知らせは、私たち一人一人にとってどのようなものでしょうか?大きな喜びをもたらすいい知らせでしょうか?もしまだこの喜びに触れていないなら、ぜひご自分で本当かどうか確かめてみてください。


メッセージのポイント
クリスマスは、神様に選ばれた真の王様、私たちの救い主がお生まれになったという出来事です。イエス様は、神様でありながら、弱くて小さい人の一人として生まれてくださいました。それは私たちと共に歩んでくださるためです。それは、イエス様が飼い葉桶に寝かされていたこと、天使たちが羊飼いに遣わされたことからも分かります。このことを自分には関係のない不思議なことだと思ってしまえばそれでおしまいですが、私たちは自分たちで確かめることができます。確かめて、尽きない喜びの源をいただいて、他の人々にも伝えていきましょう。

話し合いのために
1) なぜクリスマスは「大きな喜びの知らせ」なのでしょうか?
2) マリアは羊飼いたちの知らせを、どう受け止めたのでしょうか?