<メッセージノート>
2012/12/30
主は応えて下さった (詩編86:1-13)
1) 私たちが身をかがめた時 (1-4)
(祈り。ダビデの詩。)主よ、わたしに耳を傾け、答えてください。わたしは貧しく、身を屈めています。わたしの魂をお守りください。わたしはあなたの慈しみに生きる者。あなたの僕をお救いください あなたはわたしの神 わたしはあなたに依り頼む者。主よ、憐れんでください絶えることなくあなたを呼ぶわたしを。あなたの僕の魂に喜びをお与えください。わたしの魂が慕うのは 主よ、あなたなのです。
2) 私たちが呼び求めた時 (5-10)
主よ、あなたは恵み深く、お赦しになる方。あなたを呼ぶ者に豊かな慈しみをお与えになります。主よ、わたしの祈りをお聞きください。嘆き祈るわたしの声に耳を向けてください。苦難の襲うときわたしが呼び求めればあなたは必ず答えてくださるでしょう。主よ、あなたのような神は神々のうちになくあなたの御業に並ぶものはありません。主よ、あなたがお造りになった国々はすべて御前に進み出て伏し拝み、御名を尊びます。あなたは偉大な神 驚くべき御業を成し遂げられる方 ただあなたひとり、神。
3) 私たちが聞き従った時(11-13)
主よ、あなたの道をお教えください。わたしはあなたのまことの中を歩みます。御名を畏れ敬うことができるように一筋の心をわたしにお与えください。主よ、わたしの神よ 心を尽くしてあなたに感謝をささげとこしえに御名を尊びます。あなたの慈しみはわたしを超えて大きく 深い陰府から わたしの魂を救い出してくださいます。
メッセージのポイント
主の前に身をかがめるようにいつも謙遜で、呼び求め続ける熱心を保ち、もっと近づいてゆこうという年頭の決心に神様はどう応えてくださいましたか?恵みを振り返り、数えて感謝しましょう。2013年は去年よりも、今年よりもさらに、主により頼み、主を求め、慕い、心からの礼拝と讃美を献げる年にしましょう。
話し合いのために
1) 今年、特に熱心に主に祈り求めたことは何ですか?
2) 今年、主の道について新たに知ったことは何ですか?
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<メッセージ全文>
2012/12/30
主は応えて下さった (詩編86:1-13)
1) 私たちが身をかがめた時 (1-4)
(祈り。ダビデの詩。)主よ、わたしに耳を傾け、答えてください。わたしは貧しく、身を屈めています。わたしの魂をお守りください。わたしはあなたの慈しみに生きる者。あなたの僕をお救いください あなたはわたしの神 わたしはあなたに依り頼む者。主よ、憐れんでください絶えることなくあなたを呼ぶわたしを。あなたの僕の魂に喜びをお与えください。わたしの魂が慕うのは 主よ、あなたなのです。
ダビデは王であり、実際のところ、貧しくもなければ、誰かに身を屈めなければならないような者ではありません。しかし神様に向かって切実に願うのです。私を救って下さい、憐れんで下さいと。多くの人に尊敬され信頼されていたダビデですが、自分の乏しさ、弱さを知っていました。自分に敵対する者が彼の生命を狙っていることも彼の大きな恐れでした。自分が神様に身を屈めてお願いするしかない者であることをよく分かっていたのです。
けれども、ダビデにとって神様は、自分を助けることが出来る偉大な存在というだけではありませんでした。心の奥底から神様を主と呼んで慕っているのです。自分の魂に喜びを与えることができるのは神様以外にないことを堅く信じていました。
身を屈めるのは、服従の表現ですが、ダビデのそれは見せかけでもなければ、ただ恐れてのことでもなく、彼の魂が神様を慕っていることの、自然な、しかし切実な態度なのです。
目に見える物事が私たちの邪魔をして、自分の魂の状態を客観的に見ることは困難です。大抵の人は、自分は特別に富んではいないけれど、貧しくもない、誰かに心から服従する必要はないと考えています。ここに記されているダビデの心の叫びは非現実的に思えるのです。しかしそう思えるのはコンディションが整っている時だけです。自分にはどうすることもできないことが起これば誰かに叫ばなければいられなくなるのです。そのような時に人は様々な勧めを受け入れます。私の信じる神様に多額の献金をしなさい、この壺を買いなさい。数十箇所の霊場を歩いて回りなさい。滝に打たれなさい。そうすれば願いがかないます。あなたの家の近くにいる黒猫が不幸の原因です。庭に入らないように、目の前を横切られないように気をつけなさい。世の中は偽預言者と偽の神様であふれかえっています。
ダビデと同様に誰に強制されるでもなく、神様を慕い、その前に出れば喜んで身を屈める人は幸いです。この一年私たちは様々な困難に直面しましたが、このように神様の前に進み出て礼拝を捧げています。なんと幸いなことでしょうか?その問題はまだ完全な解決には至っていないかもしれません。それでもここで神様の前に身を屈めているということは、その結果を含めすべてを神様にお任せできているということです。ここから離れてはいけません。
自分に主と呼ぶべき方がいることを認めることは、自分の貧しさ、弱さを認めることです。そこにこそ本当の強さがあるのです。ところが多くの人にとっては、自分には主が必要であると思うことが困難なのです。この事に気づいていることは大きな特権なのです。この特権を手放してはいけません。私達がダビデの信仰に励まされるように、皆さんの大切な人々も、いつかあなたの弱さに働く「豊かさ」、弱さに働く「強さ」に気づいて、あなたと共に主を慕う時が来ることを信じて、主の前に身を屈めましょう。
2) 私たちが呼び求めた時 (5-10)
主よ、あなたは恵み深く、お赦しになる方。あなたを呼ぶ者に豊かな慈しみをお与えになります。主よ、わたしの祈りをお聞きください。嘆き祈るわたしの声に耳を向けてください。苦難の襲うときわたしが呼び求めればあなたは必ず答えてくださるでしょう。主よ、あなたのような神は神々のうちになくあなたの御業に並ぶものはありません。主よ、あなたがお造りになった国々はすべて御前に進み出て伏し拝み、御名を尊びます。あなたは偉大な神 驚くべき御業を成し遂げられる方 ただあなたひとり、神。
ダビデは何度も失敗し、神様を怒らせ悲しませました。それだからこそ彼は私達にとって良いお手本です。間違わない、失敗しない人は一人もいません。見習うべきなのは、失敗しても、神様や人のせいにせず、私を赦してくださいと祈ったことです。自分の弱さ、愚かさを嘆き祈ったことです。そして神様は彼を赦し、決して見放すことはありませんでした。もっとも愚かなこと、残念なことは祈ること、呼び求めることを止めてしまうことです。
神様は、私たちに「来て、身を屈めて、何も言わずに命じるままにしなさい」と言っているのではありません。私たちの願い、祈り、叫びに耳を傾けてくださる方です。そして最善をなしてくださいます。
神様は最善を与えて下さると信じていますか?祈りは正しく聞かれると信じていますか?私たちは物事が思い通りに行かないと、祈りが聞かれなかったと感じてしまいますが、それは間違いです。思い通りになることが、祈りを聞かれた証拠ではありません。私たちの考えと神様の考えとは違う場合があるからです。私達はかなり傲慢なので、自分の願いこそ正しいと思うのですが、あなたは、あなた自身の考えと、神様の考えとどちらが信頼をおけますか?
どうしたら神様の意思にかなった祈りができますか?と問われることがありますが、そのようなことを気にかける必要はありません。そうであれば「主の祈り」を唱えること以外には祈れなくなってしまいます。明らかに神様の愛と相容れないようなことでなければ、願うとおりに祈れば良いのです。そして神様からの応えを受け取るのです。神様が応えてくれない祈りは一つもありませんが、その応えは三種類あります。YESかNOかWAIT、それはあなたにとって必要なので与えましょう、それはあなたには必要ありません、もう少し待ちなさい、です。神様はあなたのどんな祈りも聞き逃されたりはなさいません。自分にとって最悪の時のように見えても、神様が最善のプロセスの中にあるのです。ですから、諦めずに呼び求め続けましょう。
3) 私たちが聞き従った時(11-13)
主よ、あなたの道をお教えください。わたしはあなたのまことの中を歩みます。御名を畏れ敬うことができるように一筋の心をわたしにお与えください。主よ、わたしの神よ 心を尽くしてあなたに感謝をささげとこしえに御名を尊びます。あなたの慈しみはわたしを超えて大きく 深い陰府から わたしの魂を救い出してくださいます。
私たちはこの一年を歩み通してきました。今年はじめてイエス様と共に、イエス様に従う者たちと共に歩み始めた人もいます。道に迷うこともありました。分かれ道に来て思い切った判断をした人もいるでしょう。この一年を振り返れば、数えきれないほどの神様への感謝がそれぞれにあるはずです。大きな分かれ道は、人との新しい出会いや進学、就職先の選択として目の前に現れます。「あなたの道をお教え下さい」と祈らざるをえない数々の出来事を経て、最後に神様の国に迎え入れられる時までやり直しの効かない選択の連続です。神様のまことの中を歩みつづけるためには、神様に聞く態度を保つことが欠かせません。 「主よ、わたしの神よ 心を尽くしてあなたに感謝をささげとこしえに御名を尊びます。」 この言葉は言い換えれば、「真心からの礼拝を捧げ続けます。あなたへの礼拝をあらゆる営みの中心として大切にして歩んでゆきます」という信仰の告白なのです。ただ身を屈めるだけではなく、そこに祈り続けることを加えることだけでもなく、聞いて行なったとき、大きな祝福を感じられたのではないでしょうか? 2013年が去年よりも今年よりもさらに、主により頼み、主を求め、慕い、心からの礼拝と讃美を献げる年になることを期待して新しい年を迎えましょう。
メッセージのポイント
主の前に身をかがめるようにいつも謙遜で、呼び求め続ける熱心を保ち、もっと近づいてゆこうという年頭の決心に神様はどう応えてくださいましたか?恵みを振り返り、数えて感謝しましょう。2013年は去年よりも、今年よりもさらに、主により頼み、主を求め、慕い、心からの礼拝と讃美を献げる年にしましょう。
話し合いのために
1) 今年、特に熱心に主に祈り求めたことは何ですか?
2) 今年、主の道について新たに知ったことは何ですか?