<メッセージノート>

2013/02/10 Acts 使徒言行録4:1-22
自由になろう   

A 力の表れと宗教家指導者の妬み


1)
エルサレムに起こった出来事 (1-4)

ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来た。二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだち、二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。既に日暮れだったからである。しかし、二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった。(1-4)



2)
反対し迫害することしか思いつかなかった宗教指導者たち (5-7)



B 力の表れと弟子たちの一貫した説明


1) 神様が新しい名を持った時 (8-12)

そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の議員、また長老の方々、今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」 (8-12)



2)
真理に従う (13-22)

議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返せなかった。そこで、二人に議場を去るように命じてから、相談して、言った。「あの者たちをどうしたらよいだろう。彼らが行った目覚ましいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない。しかし、このことがこれ以上民衆の間に広まらないように、今後あの名によってだれにも話すなと脅しておこう。」そして、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令した。しかし、ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」議員や他の者たちは、二人を更に脅してから釈放した。皆の者がこの出来事について神を賛美していたので、民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかったからである。このしるしによっていやしていただいた人は、四十歳を過ぎていた。(13-22)



メッセージのポイント
神様は天地創造からこの時まで、ご自身を預言を通して表して来られましたが、十字架と復活は、この神様と人との関係の歴史のパラダイムシフトとなりました。神様はイエスという新しい名をお持ちになったのです。神様について誰よりも詳しかったはずの宗教家たちが、この事実を受け取れなかったのは、それが自分の地位や収入、名声を危うくする事になったからです。弟子たちは無学な普通の人々であったのに、真理に従う事ができました。彼らには守るべき地位も財産もありませんでした。真理を見極めようとする時に目を曇らせる人間的に価値観にとらわれず、神様の真理を求めましょう。

話し合いのために
1) 宗教家たちはなぜいらだっていたのですか?
2) 十字架と復活の出来事によって何が変わったのですか?

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<メッセージ全文>

2013/02/10 Acts 使徒言行録4:1-22
自由になろう   

A 力の表れと宗教家指導者の妬み


1)
エルサレムに起こった出来事 (1-4)

ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来た。二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだち、二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。既に日暮れだったからである。しかし、二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった。(1-4)

ここでペトロたちの活動をやめさせようとしているのはサドカイ派と呼ばれる人たちです。イエス様が活動を始める前から、イスラエルの宗教界にはサドカイ派とパリサイ派という二つの有力なグループがあり、対立していました。サドカイ派は政治的な権力と結びついて神殿の実権を握っていました。パリサイ派と呼ばれる人々は特権階級となっていたサドカイ派を軽蔑して、律法を忠実に守ることを追求している自分たちの正統性を主張していました。どちらにとっても、イエス様と誕生した新しい教会は都合の悪い存在でした。イエス様が、権力をふるうサドカイ派にも、律法主義で人々を苦しめるパリサイ派にも真理がないことを、人々に気づかせようとしたからです。サドカイ派は自分たちの教えとは異なる「死者の復活」が起こったことをこれ以上広めてほしくありませんでした。ペトロたちの影響力がこれ以上大きくなることは避けたかったのです。しかし、二人を捕らえたところで、人々がイエス様を信じて従い始めるという流れを止めることはできませんでした。当時のエルサレムの人口は5万人~10万人ほどであったと考えられますが、この時男性だけでも5000人が信じていたのです。彼らにとってはとんでもないことが起こりつつあったのです。そこで次の日に二人を引き出して尋問します。


2)
反対し迫害することしか思いつかなかった宗教指導者たち (5-7)

次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった。大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族が集まった。そして、使徒たちを真ん中に立たせて、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問した。(5-7)

ペトロたちは、彼らにとって得体のしれない恐ろしい存在でした。権力もない教養もないお金もない、しかもイエス様という強力な指導者を失い、一時は歴史から消え去ろうとしていた11人の弟子と少数の仲間が数日のうちに5000人にもなっていたからです。起こったことは、歴史上類を見ない革命だったと言ってもいいと思います。それは暴力によらない革命で、人の身体だけではなく、心も解放する革命でした。
2000年は途方もなく昔に感じられるかもしれませんが、30世代遡るとこの時代になるのです。そして、この時始まった流れは、今すべての大陸に届けられています。それはあなたに届き、そしてあなたからあなたの大切な人々に届こうとしているのです。
どの時代の、どの国にもサドカイ派のように現状を変えたくない人は存在します。イエス様が自分を解放するために来てくれてくれたことを信じられないのです。イエス様が下さろうとしている良いものの価値がわからないので、持っているものを失いたくないのです。そのような人々は、あなたを敵とみなすかもしれませんが、あなたにとって彼らは敵ではありません。ペトロたちもサドカイ派の人々を、イエス様を知って貰いたい友として丁寧に説明しました。彼らの「
何の権威によって、だれの名によって」という問いは、宗教家たちの意図に反して、弟子たちの正しさを引き出してしまうことになりました。


B 力の表れと弟子たちの一貫した説明


1) 神様が新しい名を持った時 (8-12)

そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の議員、また長老の方々、今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」 (8-12)

「あなたたちがあがめ従ってきた神様は、イエスという一人の人として来られ、あなた方に殺され、しかしよみがえられ、今も生きて働いておられます。長い間、立つことが出来なかったこの人が立ち、躍り上がって喜んでいるのは、イエス様の名によってなされたことです。」 ペトロという教養のない漁師が、イスラエルのエリートたちに教えているのです。しかも「『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です」と詩編118編22節を引用して、それが預言されていた神様の計画に基づくものであることも付け加えたので彼らは驚く他ありませんでした。イエス様の革命は今も続いています。わたしたちも、相手が誰であれこういえるのです。「 ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」 あなたはこのことにどう応答しますか?
このことに正しく答えるために、次の部分、13節から22節を読みましょう。


2)
真理に従う (13-22)

議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返せなかった。そこで、二人に議場を去るように命じてから、相談して、言った。「あの者たちをどうしたらよいだろう。彼らが行った目覚ましいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない。しかし、このことがこれ以上民衆の間に広まらないように、今後あの名によってだれにも話すなと脅しておこう。」そして、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令した。しかし、ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」議員や他の者たちは、二人を更に脅してから釈放した。皆の者がこの出来事について神を賛美していたので、民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかったからである。このしるしによっていやしていただいた人は、四十歳を過ぎていた。(13-22)

ペトロとヨハネを変えたのは、机の上で学んだことではなく、イエス様との出会いであり、「私に従ってきなさい」と呼びかけられたことでした。私たちもまた誰かを通して主に呼びかけられて従ったのです。彼らも私たちも、様々な哲学や宗教、人生についての教えを読んで学んでイエス様に決めたというのではありません。誰よりも優れた教師であることをイエス様の言葉と行いを見て確信しただけではなく、十字架の死と復活を目の当たりにして、従うべき神様だということを知ったのです。幸いな事に、私たちは知識に富んだ宗教家や哲学者ではなく、自分が無学で無力な者であることを認められたので、方向転換することができました。もちろん多少の持ち物、小さなプライドや、自分の夢を後回しにすることには皆抵抗があったのです。しかしイエス様の素晴らしさと、主を信じる人々が行った目覚ましいしるしは、それらを手放すことを助けてくれました。例えば、ここにも将来を諦めなければならないような大きな病を癒されて共にいる人々がいるのです。ペトロはどんなに脅されてもイエス様のことを話さずにはいられないというのです。この2000年の間、私たちに届くまで次々にイエス様を紹介してくれた人々が時には大きな反対にあっても
「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」と言い続けてきました。私たちもそう言い続けます。誰も自分の周りで悲しいことは見たくないはずです。しかしその根本原因は、この「罪」にあるのですから、私たちも伝え続けるしかないのです「もうこれ以上神様に背を向けているという罪を捨てて、イエス様の十字架の前に置きイエス様に従いましょう、 ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」 と。
最後の一文で、ペトロを通していやされたこの人は、40年以上変わらなかった不自由から解放されたのだということが分かります。この人にとってはある意味、その不自由さはすっかり慣れていたものでもあったのです。そうでなければ40年も生き続けることはできません。ペトロが差し出した手を振り払って「からかわないで下さい。私は立てないのです。それよりここにお金を入れてください!」ということもできたのです。
もしあなたが、イエス様の招きに躊躇しているなら、自分の今までの歩みがほんとうに自由だったのかよく考えてみて下さい。彼は、ペトロの招きに応えて立ち上がり、躍り上がって喜ぶことができました。彼は躍り上がって喜んで、初めて、いかに自分が不自由であったかを知って神様をほめたたえたのです。今までの人生の歩みが、10年間でも80年間でも、イエス・キリストは全く新しい自由を与えることができます。それを聖書は「救い」と呼ぶのです。「主イエスを信じなさ、そうすればあなたも家族も救われます」(16:31)


メッセージのポイント
神様は天地創造からこの時まで、ご自身を預言を通して表して来られましたが、十字架と復活は、この神様と人との関係の歴史のパラダイムシフトとなりました。神様はイエスという新しい名をお持ちになったのです。神様について誰よりも詳しかったはずの宗教家たちが、この事実を受け取れなかったのは、それが自分の地位や収入、名声を危うくする事になったからです。弟子たちは無学な普通の人々であったのに、真理に従う事ができました。彼らには守るべき地位も財産もありませんでした。真理を見極めようとする時に目を曇らせる人間的に価値観にとらわれず、神様の真理を求めましょう。

話し合いのために
1) 宗教家たちはなぜいらだっていたのですか?
2) 十字架と復活の出来事によって何が変わったのですか?