<メッセージノート>
迫害の中で起こされた奇蹟
A 迫害の激化
1) ヤコブの殉教 (1,2)
そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。(1,2)
2) ペトロの逮捕 (3,4)
そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。 ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。(3,4)
B 祈りと奇蹟
1) 絶望的な状況のために祈る (5)
こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。(5)
2) ペトロの解放 (6-11)
ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。 すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。 天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。 それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。 第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」 (6-11)
メッセージのポイント
神の働きに対する妨害や迫害は、神に背く者がいる以上、当然起こってくることです。イエスの福音が今まで伝えられてくるまでに、多くの弟子たちが命を落とすほどの迫害を受けて来ました。ヤコブは殺され、ペトロは逃れることができましたが、ペトロにはさらに困難な生涯が待っています。人は皆、いつかこの世界での働きを終える日を迎えます。その日は神様の手に委ねられています。私たちには唐突に感じられるようなタイミングでやって来る場合もありますが、それもまた神様が備えられた最良のタイミングです。しかしその時が来るまでは、困難の中でも生き延びることが出来るようにあらゆる方法で守り導いてくださいます。ただ主を信頼して歩み続けましょう。
話し合いのために
1) ヘロデ王はなぜペトロをとらえたのですか?
2) 神はなぜペトロを獄から救い出したのでしょうか?
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<メッセージ全文>
迫害の中で起こされた奇蹟
先週まで、ペトロやバルナバによる新しい地域やユダヤ人以外の人々に主を伝える働きを見て来ましたが、今日のテキストは、同じ時期のエルサレムでの出来事について記録しています。
A 迫害の激化
1) ヤコブの殉教 (1,2)
そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。(1,2)
ステファノの殉教のあと、迫害は少しづつ激しさを増してゆきました。多くの人々がエルサレムを追われたことは先週まで見てきたとおりです。そして、ついに使徒たちの中に犠牲者が出てしまいました。三人の中心的な弟子の一人のヤコブです。同時代のエルサレム教会の指導者の中には、12弟子の中のアルファイの子ヤコブと、やがてエルサレム教会の実質的なリーダーとなり、伝統的にはヤコブの手紙を書いたとされる主の兄弟ヤコブと三人のヤコブがいました。ヘロデ王の年代ははっきりしているので、出来事はユダヤを領地に加えられた41年から亡くなった44年の間に起きた出来事であったことが分かります。つまり十字架と復活の出来事から約10年、またステファノの殉教も比較的早く起こったので、少なくとも5,6年は指導者たちへ危害が加えられるようなことはなく、激しい対立はあったものの、教会はそう簡単には抹殺できない存在になっていたのです。 そのような状況の中で、ヤコブの死は、イエスやステファノの死と異なり、処刑ではなく暗殺だったのです。聖書を連続して読んでいくと出来事が次から次へと移ってゆくように感じられますが、実はかなりの年月を要しているのだということに注意しておきましょう。私たちの信仰を取り巻く状況も、数年の間では変化を認めにくいものですが、もう少し長いスパンで見ると状況はかなり変化するものです。主の身体:教会の在り方も人の組織という面では変わってゆかなければなりません。
2) ペトロの逮捕 (3,4)
そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。 ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。(3,4)
ところが、このヤコブの暗殺をユダヤ人がひどく喜んでいるのを見て、王はユダヤ人の歓心を買おうとペトロを捕らえました。 この時のヘロデ王は、イエスの時代のヘロデ大王の孫に当たり、ローマで教育を受けた人物でした。旧約聖書のヤコブの兄エサウの子孫とされるイドマヤ人だったので、厳密にはユダヤ人ではなかったのです。ですから、ローマ皇帝の権威の下にある支配者としてユダヤの民衆から人気を得ることに気を使っていました。ローマもこのような支配者も宗教家たちも、みな自分の利益のためにお互いを利用しあっていました。10年前に互いの利益が一致してイエスを十字架につけたように、今回ペトロを捕らえて牢に入れたのです。自分の欲望を満たすことを目的としている者にとって一番目障りなのは、欲望によって動かない者です。やましいところや、人に取り入る必要がないので、正しいことは正しい、悪いことは悪いとするのが、彼らにとって気に障るのです。ペトロは彼らの都合によって投獄されました。そのような事はこの国の過去60数年前にも起きています。私たちは信仰により、個人の利益よりも、民族の利益よりも、神の義を求める者となりました。あなたが本気でイエスに従う者であるなら、神様以外のものを一番大切にする、あらゆる〇〇主義者にとって目障りな者なのです。 だからこのようなことは、これからも起こらないとはいえないことなのです。
B 祈りと奇蹟
1) 絶望的な状況のために祈る (5)
こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。(5)
それは衝撃的な事件でした。ヤコブの悲劇だけでは終わらなかったのです。教会のリーダーが投獄されてしまったのですから状況はさらに絶望的なものでした。そのとき教会で何が起こっていたのでしょうか?「彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。」のです。抗議活動を始めたのでも、署名活動を始めたのでも、奪還チームを編成したのでもありませんでした。 私たちに必要なことの全てはここから始まります。 そして私達が軽んじて怠りやすいことです。私たちは時々「祈ることしかできない」などといってしまいますが、それはイエスに従うものが言うべきことではありません。祈ることは、何をしてあげるより、大切なことです。神様は私たちが状況を寝転んで見物しているような状態で奇跡を起こしたりはなさいません。期待を込めた熱心な祈りの中で、私たちは数々の奇蹟を見て来ました。そうして主の体の一部はここにもあるのです。私たちが直面している絶望の中でするべきことは、心を合わせ熱心に祈ること以外にはありません。ユアチャーチは絶望的な状態ではありません。しかし、委ねられた役割を果たすために、もっと強くなりたいし、成長したいのです。それも熱心に祈ることから始まります。またそれぞれに置かれた状況の中で、皆にシェアして熱心に祈りを合わせるべきことがあるのではないでしょうか?そのように皆で祈って欲しいリクエストがあるならどうぞ知らせてください。そして皆で奇蹟を期待して祈りましょう。
2) ペトロの解放 (6-11)
ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。 すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。 天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。 それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。 第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」 (6-11)
はたして奇蹟は起こりました。ペトロ自身あまりにも突然の出来事に、幻を見ているとしか思えなかったのです。2本の鎖で繋がれ、二人の兵士の間に挟まれ、牢の戸口にはもう二人の兵士が見張る、このチームが4組いて交替で警護しているのです。ペトロは兵士の間でぐっすり寝ていたのです。天使に脇腹を突かれるまで気づかず、起き上がっても寝ぼけてボーとしているので、寝坊した子供のように、天使に、靴を履きなさい、ベルトを閉めなさいといわれてしまいます。完全に外に出て天使が離れ去るまで現実とは思えなかったのです。無理もありません。神様は奇蹟を起こされるのです。あらゆる人間的な妨害の中でも、私たちを助け出すことがおできになるのです。このような初期の経験が、教会をその後のはるかに過酷な迫害に耐えさせました。2000年後のこの国で、主に従って歩もうとする者には新しい困難がやってきます。ユアチャーチの20年の歩みの中にも様々な困難がありましたが、これからもそれらを主に信頼して乗り越えてゆけることを知っています。そしていつか私たちは気がつけば背後に辿ってきた道がはるかに続いていることを見て、歩み続けてきてよかったと思えるようになるのです。祈り続けましょう。歩み続けましょう。
メッセージのポイント
神の働きに対する妨害や迫害は、神に背く者がいる以上、当然起こってくることです。イエスの福音が今まで伝えられてくるまでに、多くの弟子たちが命を落とすほどの迫害を受けて来ました。ヤコブは殺され、ペトロは逃れることができましたが、ペトロにはさらに困難な生涯が待っています。人は皆、いつかこの世界での働きを終える日を迎えます。その日は神様の手に委ねられています。私たちには唐突に感じられるようなタイミングでやって来る場合もありますが、それもまた神様が備えられた最良のタイミングです。しかしその時が来るまでは、困難の中でも生き延びることが出来るようにあらゆる方法で守り導いてくださいます。ただ主を信頼して歩み続けましょう。
話し合いのために
1) ヘロデ王はなぜペトロをとらえたのですか?
2) 神はなぜペトロを獄から救い出したのでしょうか?