<メッセージノート>

2013/9/1
昔、昔…ユアチャーチの20年  永原真理

1) 初めの一歩から(1コリント1:26-31)
兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。


2) 組み合わされて(1コリント12)
体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。(12-14)
一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。(26,27)


3) どんなときもユアチャーチ(ヨハネ15:4-5)
わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである

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<メッセージ全文>

2013/9/1
昔、昔…ユアチャーチの20年  永原真理

1) 初めの一歩から(1コリント1:26-31)
兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。

1993年9月12日、ユアチャーチの前身であるライトハウスチャペルは、私たちが住んでいた横浜の自宅リビングルームでスタートしました。最初のメンバーは30代半ばで最年長の私たち夫婦と、小学生だった我が家の2人の子供たちを含めてもやっと10人になるぐらいの小さなグループでした。
実は、私たちは、ライトハウスを始める前には、横浜の国際教会の中で日本人のグループをリードする役割を担当していたのです。そこでは様々な国籍を持つ多くのすばらしい友人を与えられ、多様な経験をさせて頂いていましたが、同時に越えることが難しい壁にも突き当たり、そこが私たちのミニストリーにとって最終目的地ではないことを確信するに至りました。そこで約5年間、最大の努力を続けましたが、これ以上は無理であることがハッキリした後で、私たちは数人の日本語礼拝を願う人々と一緒にその教会を発ち、新たな活動の場所を求めることになりました。
けれども、その時点で、「さあ、新しい教会を始めよう!」と意気揚々と乗り出した…のかと言えば、私たち夫婦は決してそのような状態にはありませんでした。むしろ、私たちは、夫が神学大学を出てから4年余りの母教会での副牧師時代、その後の1年足らずで終わった最初の船出、そして約5年間の横浜での働き…と、合計10年間の牧会プラス仕事生活の後で、率直なところ、私たちは疲れ果てて放心状態にあったのです。いくら頑張っても報われない、この先が分からない、どうしたものかと思案しながら、1993年の6月、子供達を連れてアメリカ旅行に出ました。かつて、夫が大学の卒論の取材で伺った、シアトルやロスの教会や宣教団体などを訪ねながら、できれば現地で職を得たいと祈りつつインタビューも受けました。結果は、特定の場所について神様からの確信は得られず、最終的にどのドアも開かれませんでした。
そこで、帰国の途中、子供達とせめて少し楽しい夏休みを…との想いで、ハワイのオアフ島に寄ったのです。内心は、まだ何も決まっていないのに、もうすぐ日本に戻らなくてはならないという焦りと、漠然とした大きな不安が立ちこめていたのを覚えています。しかし、その地で、日曜日に初めて出会ったホープチャペルの礼拝に出席し、語られたメッセージに励まされ、礼拝後に夫は一言、「よし、日本に帰って教会を作る」と宣言。ああ~やっぱり…⁈ それは、私たちにとってまさに土壇場での神様からのスペシャルアレンジメントでした。
先に触れた、横浜の教会での難しい大きな壁…それは、私たち夫婦が神様から頂いていたヴィジョンとの違いによるものでした。かつて夫が母教会の副牧師をしていた頃、1985年と1986年のふた夏に、カリフォルニアのヴィンヤード教会で開かれた礼拝セミナーに参加することを通して、私たちはそれまでそれしかないと思っていたただ厳粛で一方通行的な礼拝ではなく、神様と近く親しく過ごす礼拝の核心(哲学)を学びました。神様が生きて働き心に触れてくださることを、知識としてでなく実感として得ることができ、日本でこういう礼拝をしたいと切実に願うようになったのです。いつも、神様がそばにいて私を愛してくださっていることを忘れずに、どんな心の状態にあっても(嬉しい、悲しい、怒っている、辛い…)、そのままの自分で来て、神様に必要を満たして頂ける礼拝。まさに、目から鱗が落ちる経験でした。
ですから、私たちにあったのは、僅かばかりの若さの名残りと、経験させてもらった心からの礼拝をしたい!という大きな願い、ほとんどそれだけでした。繰り返しになりますが、私たちは自信がなく疲れていて不安でした。これから先はどうなるのか? できれば遠くに行って何か別のことをしたい…とさえ思っていたところを、神様がもう一度心に語って、ここだよ!と教えてくださった。知恵にも勇気にも欠けと限界のある私たちを、承知の上で敢えて用いられる…神様の計画は私たちの想像を遥かに超える何て不思議なものでしょうか⁉
1993年に教会をスタートした当初は、毎週、日曜日の礼拝と水曜日のホームチャペルを自宅で開きながら、週日は共働きをして子供達を学校に送りました。翌1994年には戸塚駅にほど近い会館の一室を日曜日の数時間だけ借りて礼拝をするようになりました。当時、会館の近くに住んでいた朋子ちゃんが、毎週会館の利用予約を取ってくれていました。またこの頃、基さん&文美さん一家が教会に加わることになりました。そして、トヨタのバンに積んだ音楽機材一式を都筑区の自宅から運びこみ、終わると自宅に片付けるのが私たち家族の毎週のルーティーンでした。それを苦に感じなかったのですから、若いってスゴイなぁ…と今さらながら思います。

ライトハウスが町田のこのビルに移転したのは、1995年の春、阪神淡路大震災の2-3ヶ月後のことでした。当時、まだレギュラーメンバーはやっと20人を数えるぐらいだったでしょう。今、ホールとして使っている一室のみを借りていましたが、家賃の支払いを補うために、ウィークデイはグリーティングカードを中心としたアメリカからの輸入クリスチャン雑貨を扱うお店を約3年間開いていました。素人仕事のお店でしたが、コミュニティ新聞などにも紹介され、町田をはじめ近隣のクリスチャンに口コミで広がって行き、クリスチャンでない方々ともお店を通じて出会う貴重で楽しい体験でした。
そして、1999年5月以降は、教会の名前をユアチャーチと変え、リーダーシップにジョン&順子という国際結婚のカップルが加わったことをきっかけに、神様からの促しと受け取って、現在のような日本語と英語両方を使う礼拝となりました。その結果、この教会は地上の国境を越えて多様な背景を持つ神様の国民が集められる場所となり、豊かに祝福されて今日に至っています。ここにいて、イエス様の名の下に全ての人が愛され、一つの民とされていることの素晴らしさを改めて知ることができて本当に感謝します!
2004年からは、隣りの部屋に加えてチャペルとして使っているこの部屋も借りることができるようになり、スペースが広がってさらに人数も加えられていきました。当時は「2部屋分の家賃を払い続けられるのか?」という不安もありましたが、その後一度も払えなかったことはありません。神様は本当に誠実な良い方です!
また、忘れられないことの一つは、バド&キャシー ピアソンさんたちのことです。彼らとの出会いは、1992年に横浜の教会ででしたが、それ以来、彼らが1994年にアメリカへ戻ってからもほとんど毎年のように来日して、私たち夫婦を子供のように愛して励まし、ユアチャーチを覚えて祈り続けてくれています。彼らは、カリフォルニアに住んでいながらも、自分たちはずっとユアチャーチのメンバーであると思っているのです。もちろん、彼らの他にも、日本の内外で遠く離れて住む方々が、かつて共に過ごしたユアチャーチを今も愛してくださっていることを私たちは知っています。

2) 組み合わされて(1コリント12)
体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。(12-14)
一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。(26,27)

駆け足でお話してきたユアチャーチの20年史ですが、その中身はまさに神様からの『訓練と励まし』の道のりだったと言えます。沢山の試行錯誤、失敗と悔い改め、許しと受け入れが、私たちと神様の間で、そして私たち同士の間でもずっと続いて来ました。ちょうど、社交ダンスの練習をする時のように、私たちは互いに親しみと楽しさを味わうと同時に、誤解や不注意によって足を踏み合いながらもなお愛し、愛される練習をしているのです。
20年間に、多くの大切な出会いがあり、共に主に仕える喜びがあり、涙にくれた別れがありました。一生懸命に愛し祈っても、それが通じない辛さも何度味わったことでしょう。
山あり谷ありの歩みのなかで、けれども、私たちは自分の無力を徹底的に知ると同時に、神様の恵みと支えが決して揺るがないことを何度も確認させられてきました。主は本当に誠実な良い方です!思いがけない出来事は後から後から起こりますが、起こってくる全てのことで神様が知らないことは何一つありません。ですから、私たちには今その出来事の理由が分からないとしても、いつかそれを知る時まで信頼しつつ歩み続けることができるのです。これまでの歩みの中から、ユアチャーチは神様から大切な価値感を教えられています。それは、『私たちは組み合わされて用いられる』ということです。教会の頭はイエス様であり、一人一人はその体の一部です。頭につながらなくては、部分が生かされることはあり得ません。また、体の中の多くの部分が互いの働きを補い合ってこそより良い活動できるのです。私たちの願いは、一人でも多くの人がイエス様に出会い、愛され生かされていることに気づいて、彼と共に最高の人生を歩むことです。そして、信じて歩む時に、私たちはイエス様の体の一部分として、教会という生きた繋がりの中でこそ素晴らしく用いられるのです。


3) どんなときもユアチャーチ(ヨハネ15:4-5)
わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである

ユアチャーチは、一言で表現するならとてもシンプルな教会です。なぜなら、牧師夫婦がかなりシンプルだからです…? いいえ、実は複雑にしようとすればいくらでもそうできますし、時間の経過や人数の増加に連れてもっと複雑にしたいという誘惑も全くないわけではありません。けれども、私の願いは、たとえこれから教会がどのように大きくされたとしても、やはり出来るだけシンプルでいたい、のです。また、神様からの提案にいつも敏感で柔軟でいられるようでありたいと思います。ユアチャーチは、その名の通り神様に向かってユアチャーチ!と言い、また互いにユアチャーチ!と言い迎え合う場所なのです。
ユアチャーチカベナントをご存知でしょうか? 新約聖書の中でイエス様は新しい掟として従う者の生き方を教えてくださっていますが、私たちはこの教会のメンバーになる時、その生き方を土台とする約束を神様に向かってします。内容は、『1.神様を愛し神様に仕えます。2.互いに愛し仕え合います。3.世界を愛し世界に仕えます。』シンプル…でしょう?
20年目の今年を大切な通過点として、神様はもっと先に私たちを連れて行かれます。これからも、シンプルに、でもしっかりとイエス様に繋がって、さらに沢山の仲間と一緒に21年目への歩みを続けて行きましょう!