<メッセージノート>

2013/10/6 使徒言行録 15:36-41
神の働きの中で起こる対立

 

A パウロとバルナバの対立

1) 宣教のアフターケア (36)

数日の後、パウロはバルナバに言った。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」




2) 対立の原因 (37-39a,ガラテア2:11-14)

バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、


さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」 (ガラテア2:11-14)



B 分裂が発展につながった

1) バルナバはマルコとキプロスへ (39b)

バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、



2) パウロはシラスと小アジアへ (40,41)


一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた。



メッセージのポイント
パウロはその初期の活動の最大の保護者、理解者、協力者であったバルナバと決定的に対立します。きっかけは、同行者マルコが信頼出来るかどうかの食い違いですが、背後には「イエスに従う者が旧約の律法をどのように理解し守るべきなのか?」ということについての意見の相違があったことが根本原因であったようです。それは二人にとっては決して譲れない重要な事柄だったかもしれませんが、神は両者を別々に用いられました。神の律法をどう守るかという実践について、神は私たちよりも広い考えをお持ちのようです。自らが正しいと考えることに従って進むべきですが、そう考えない人々を裁くのは私たちのすることではありません

話し合いのために
1) なぜパウロとバルナバは共に働けなくなったのですか?
2) この出来事から私たちはどのようなことが学べますか?

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<メッセージ全文>

2013/10/6 使徒言行録 15:36-41
神の働きの中で起こる対立

 

A パウロとバルナバの対立

1) 宣教のアフターケア (36)

数日の後、パウロはバルナバに言った。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」

小アジアを最初に訪ねてから3年ほど経っていたと考えられます。今ほど交通や通信が便利ではなくても、それほどの遠方ではありません。様々な情報が耳に入っていなかったわけではなかったと思われます。しかしパウロは、始めたことに対する責任があると感じていたのでしょう。教会の様子を見て指導したり、励ますべきことがあればそうしようと考えたのですしかしこの旅行はパウロの考えをはるかに超えて、単に以前訪ねた所を再訪問するだけではなく、福音がヨーロッパに伝わる最初の旅行となります。それでも、ヨーロッパ(マケドニア、ギリシア)に向かう道の途中にあった多くの教会が励まされたことが40節に記されています。このようなそれぞれの働きへ指導や励ましは今でも必要なことです。キリストのひとつの体に連なっているものとして、ユアチャーチは全体の教会の中で健康な一部分として生きているか?そのユアチャーチの中で私たち一人一人は健康な一部分として生きているか?自分たちだけでそう思っているのではなく、客観的に検証される必要があります。教会も、そこにつながる一人一人も関係の中で生かされているものです。ユアチャーチは他の教会との、私たちはユアチャーチの中だけに限りませんが、イエスに従う他の人々との交流によって健康を保つことが出来るのです。例えばユアチャーチにとっては、この夏、ブルーオーシャンフェイスサミットに参加したことや町田の他の教会と交流していることで自分たちを客観的に見ることができ、進むべき方向性を見出したり、調整したりすることが出来るのです。私たち個人にとっては、ミニチャーチや422やマムズやダッズ、ボーイズランチや女子会、他の教会に属する友人など様々なレベルでの交流が自分の歩みを知る助けになります。



2) 対立の原因 (37-39a,ガラテア2:11-14)

バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、

アジア州の教会を再訪しようというパウロの考えは賢明でしたが、計画は最初からつまずきました。バルナバとの間には、以前には無かった溝ができていました。その直接のきっかけとなったのは、前回の旅行に連れて行ったマルコを連れて行くかどうかの判断の違いでした。ある人物を信頼するかどうか、意見が相違することはよくあることです。それだけで意見が激しく衝突するような事柄ではありません。マルコのことはきっかけに過ぎなかったのです。後に書かれたパウロの手紙の中には、信頼を回復したマルコのことが書かれており、パウロの晩年まで信頼関係があったことが確認できます。むしろバルナバの歩みについては、この場面を最後に全く記されなくなってしまいます。マルコの問題よりはるかに深刻な対立があったことをパウロはガラテアの信徒への手紙に記しています。

さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」 (ガラテア2:11-14)

パウロもユダヤ人です。他のユダヤ人のクリスチャンから見れば、「パウロはなんて非妥協的なのだろう。ユダヤ人のくせに、なぜ慣れ親しんできた習慣を軽んじ異邦人の味方をするのだろう。」と感じられたことでしょう。しかし「ユダヤの律法を根拠に、神の民対異邦人、聖い人対汚れている人を区別する。神の言葉である聖書を引き合いにして人を裁き差別することは、イエスの良い知らせを後退させることになる」ということをパウロは確信していましたから、ここで妥協することは決してできなかったのです。この判断は適切でした。これがなければイエスの福音は変質して消滅するか、せいぜいユダヤ教の一派にとどまるところでした。しかし神はパウロとともにおられました。新約聖書においてはパウロの影響がとても大きいので、それがイエスの真意を反映していない「パウロ教」なのではないかと疑う人もいますが、パウロはルターやカルバンと同様に福音から逸れてゆく教会を何とか引き戻したイエスの本当の弟子の一人なのです。
私たちもまた、自分たちが「イエスの愛で包もうとしているのか」それとも「自分の文化慣習で裁こうとしているのか」ということを時々吟味してみる必要があります。


B 分裂が発展につながった

1) バルナバはマルコとキプロスへ (39b)

バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、

 しかしパウロの旅行は前にも触れたように、福音がさらに広がる新しい展開のきっかけとなりました。最初はシリア州キリキア州の教会を訪問して励ますという当初の目的通りの働きをして行きましたが、この時点でパウロはまだ神が自分をどこに導こうとしているか知らずにいました。しかし神はこの時点ですでに本当の目的のために着々と準備を始めておられました。それは、ヨーロッパに足を踏み入れるために必要な同労者テモテとの出会いです。詳しくは次回お話しますが、この目的のためのパートナーとしてはユダヤ人で律法の影響をより強くうけていたバルナバやマルコでは務まりません。一方、テモテはギリシャ人を父、ユダヤ人を母に持つ若者で、律法にとらわれずに働ける人だったのです。
 神の計画は人間の思惑をこえて進みます。 パウロとバルナバの対立はどちらにとっても決して譲れない重要な事柄だったかもしれませんが、神は両者を別々に用いられました。神の律法をどう守るかという実践について、神は私たちよりも広い考えをお持ちのようです。そこで私たちができることは、自らが正しいと考えることに従って進むとともに、そう考えない人々を裁くことはせず神にお任せするということです。もちろん不正や不法行為をであっても、他の教会のこと、他人のことなら関与しないということではありません。そのような場合には諌める責任があります。信仰の事柄、聖書の解釈については任せておきましょうということです。



2) パウロはシラスと小アジアへ (40,41)


一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた。

 しかしパウロの旅行は前にも触れたように、福音がさらに広がる新しい展開のきっかけとなりました。最初はシリア州キリキア州の教会を訪問して励ますという当初の目的通りの働きをして行きましたが、この時点でパウロはまだ神が自分をどこに導こうとしているか知らずにいました。しかし神はこの時点ですでに本当の目的のために着々と準備を始めておられました。それは、ヨーロッパに足を踏み入れるために必要な同労者テモテとの出会いです。詳しくは次回お話しますが、この目的のためのパートナーとしてはユダヤ人で律法の影響をより強くうけていたバルナバやマルコでは務まりません。一方、テモテはギリシャ人を父、ユダヤ人を母に持つ若者で、律法にとらわれずに働ける人だったのです。
 神の計画は人間の思惑をこえて進みます。 パウロとバルナバの対立はどちらにとっても決して譲れない重要な事柄だったかもしれませんが、神は両者を別々に用いられました。神の律法をどう守るかという実践について、神は私たちよりも広い考えをお持ちのようです。そこで私たちができることは、自らが正しいと考えることに従って進むとともに、そう考えない人々を裁くことはせず神にお任せするということです。もちろん不正や不法行為をであっても、他の教会のこと、他人のことなら関与しないということではありません。そのような場合には諌める責任があります。信仰の事柄、聖書の解釈については任せておきましょうということです。


メッセージのポイント
パウロはその初期の活動の最大の保護者、理解者、協力者であったバルナバと決定的に対立します。きっかけは、同行者マルコが信頼出来るかどうかの食い違いですが、背後には「イエスに従う者が旧約の律法をどのように理解し守るべきなのか?」ということについての意見の相違があったことが根本原因であったようです。それは二人にとっては決して譲れない重要な事柄だったかもしれませんが、神は両者を別々に用いられました。神の律法をどう守るかという実践について、神は私たちよりも広い考えをお持ちのようです。自らが正しいと考えることに従って進むべきですが、そう考えない人々を裁くのは私たちのすることではありません

話し合いのために
1) なぜパウロとバルナバは共に働けなくなったのですか?
2) この出来事から私たちはどのようなことが学べますか?