<メッセージノート>
2013/10/13 使徒言行録 16:1-5
教会の成長とは?
A パウロ、テモテと出会う
1) 前回の訪問でイエスを信じた夫人の息子 (1,2)
パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。
2) なぜパウロはテモテに割礼を授けたのか? (3,1コリント9:20)
パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。
ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。(コリントの信徒への第一の手紙 9:20)
B 伝えた後のアフターケア
1) 訪問の目的 (4, ペトロII 2:1,2)
彼らは方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた。
かつて、民の中に偽預言者がいました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。自分の身に速やかな滅びを招いており、しかも、多くの人が彼らのみだらな楽しみを見倣っています。彼らのために真理の道はそしられるのです。 (ペトロの手紙II 2:1,2)
2) それぞれの教会の成長 (5)
こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった。
メッセージのポイント
パウロは彼の働きを引き継ぐテモテを見出しました。テモテはパウロからイエスを紹介された夫人の息子でした。イエスを信じる信仰は第二の世代に引き継がれようとしています。パウロはテモテを訓練し、テモテはやがて小アジアの教会の中心的な指導者となります。教会は今も昔も、聖霊の導きによって、また聖霊の導きを正しく受け取ることのできるリーダーたちの指導によって、そこに連なる一人一人のユニークな働きによって成長してゆくのです。
話し合いのために
1) テモテはどのような人?
2) 今回のパウロの旅行の目的は?
教会の成長とは?
A パウロ、テモテと出会う
1) 前回の訪問でイエスを信じた夫人の息子 (1,2)
パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。
2) なぜパウロはテモテに割礼を授けたのか? (3,1コリント9:20)
パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。
ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。(コリントの信徒への第一の手紙 9:20)
B 伝えた後のアフターケア
1) 訪問の目的 (4, ペトロII 2:1,2)
彼らは方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた。
かつて、民の中に偽預言者がいました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。自分の身に速やかな滅びを招いており、しかも、多くの人が彼らのみだらな楽しみを見倣っています。彼らのために真理の道はそしられるのです。 (ペトロの手紙II 2:1,2)
2) それぞれの教会の成長 (5)
こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった。
メッセージのポイント
パウロは彼の働きを引き継ぐテモテを見出しました。テモテはパウロからイエスを紹介された夫人の息子でした。イエスを信じる信仰は第二の世代に引き継がれようとしています。パウロはテモテを訓練し、テモテはやがて小アジアの教会の中心的な指導者となります。教会は今も昔も、聖霊の導きによって、また聖霊の導きを正しく受け取ることのできるリーダーたちの指導によって、そこに連なる一人一人のユニークな働きによって成長してゆくのです。
話し合いのために
1) テモテはどのような人?
2) 今回のパウロの旅行の目的は?
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<メッセージ全文>
2013/10/13 使徒言行録 16:1-5
教会の成長とは?
A パウロ、テモテと出会う
1) 前回の訪問でイエスを信じた夫人の息子 (1,2)
パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。
テモテはその母と祖母とともに、パウロの前回の訪問の時にイエスの従う者となった人でした。前回の訪問から数年の間にリストラとイコニオンの主を信じ従った人々の中でも、良い働きをしている評判の良い青年として成長していました。彼の父親はギリシャ人だったので、彼はパウロ同様、ヒブル語もギリシア語も話せ、ユダヤ、ギリシャ両方の文化もよく理解していましたから、ヨーロッパにイエスについての良い知らせをもたらす働きの協力者として最適であっただけでなく、子どものないパウロにとっては息子のような存在でもあり、パウロが地上での命を終えるまで、パウロをよく助け、また自分に与えられた責任を全うした人でした。
しかしテモテは自分だけでそのようなものになったわけではありません。今よりもっと男性社会の当時にあって、使徒言行録もパウロも彼の母親のことをわざわざ記していることに注目しましょう。パウロは、彼への二番目の手紙の中で、わざわざ名前を上げて、始めに祖母ロイスと母エウニケに宿った信仰があなたにも宿ったと書いています。彼は一人で信仰の成長を果たせたのではありません。そこのは祖母の祈り、母の祈りがあったのです。このことを家族の中だけに限定して考えることはありません。私たちの信仰は、互いの祈りに支えられて果たされるのです。
2) なぜパウロはテモテに割礼を授けたのか? (3,1コリント9:20)
パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。
ユダヤ人の男子にとって割礼を受けていることは当然のことでした。しかし父親がギリシア人だったテモテは割礼を受けてはいませんでした。パウロは以前にエルサレムで持たれた会議において、異邦人がイエスを信じる信仰を持つにあたって割礼を受ける必要はない、という保証を得ていました。そのパウロが、なぜここでテモテに割礼を授けたのでしょうか?
それは、「ユダヤ人にはユダヤ人のようになった。それはユダヤ人を獲得するためです」 (Iコリント9:20) という彼の考え方からは当然のことでした。
ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。(コリントの信徒への第一の手紙 9:20)
パウロは、割礼をイエスに従う者の条件としては、はっきりと否定しエルサレムにもそれを納得させました。しかし、テモテへの割礼は、その習慣を当然と思っている人々がテモテに心を開き、彼の言葉に耳を傾けさせるためには良いことだと考えたのです。まだこの時点では、パウロはこの旅行がギリシャにまで向かうことになるとは知りません。まだ小アジアのユダヤ人コミュニティーを中心とした働きにと理解していたのです。できるだけ多くのユダヤ人がこの旅行の中でパウロやテモテを通して主イエスを知る事を願っての割礼だったのです。パウロは単に、原理原則ですべてを押し通そうとする原理主義者ではなかったことが分かります。すべての人に共通の真理と特定の人の中で共有される伝統を注意深く見極めて、真理に関しては一切の妥協を許さないが、それ以外の部分は、全て伝えたい相手に合わせようという態度です。福音書を読めば、それがイエスの態度であったことがよくわかります。
そしてそれは現代の教会もまた持つべき態度であると信じてユアチャーチは歩んできました。これからも妥協してはいけない真理とは何か?譲ったほうが良い文化や伝統は何かをよく見分けながら、新しい革袋で在り続けましょう。
B 伝えた後のアフターケア
1) 訪問の目的 (4, ペトロII 2:1,2)
彼らは方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた。
ここはガラテアの信徒への手紙などで知ることの出来るパウロ自身の考えと使徒言行録の著者ルカとの意識の差がでているように思える記述です。パウロのスピリットから考えるなら、ただエルサレムで決められた決まりを守りなさいと伝えるために町々を巡回することは考えにくいのです。パウロが伝えたかったのは、むしろ割礼をはじめとするユダヤ的な慣習は救いの条件ではないから、ユダヤ的習慣を強要するような人々の教えに惑わさずに、のびのびとイエスを紹介しようということだったと思えます。これは聖書の読み方でよく注意しなければならない点です。聖書は全体として受け取る必要があるということです。だからこそ同じ出来事について複数の視点から記録があり、福音書も四つあるのです。聖書は神の言葉です。真理として受け取るべきです。しかし神の言葉だと思うあまり、目の前にある一つの部分がコンテキストから独立して真理であるかのように受け取ったり、そのように扱って自分の考えを神が保証しているかのように考えるのは聖書の正しい読み方ではありません。ましてや、そのように勝手に解釈して自分の考えを神の真理であるかの教えるなら、それは神と聖書と教会を冒涜することになります。ペトロは彼の手紙 (ペトロの第二の手紙2:1) の中で、そのような事をする者を「偽教師」と呼んで厳しく警告しています。
かつて、民の中に偽預言者がいました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。自分の身に速やかな滅びを招いており、しかも、多くの人が彼らのみだらな楽しみを見倣っています。彼らのために真理の道はそしられるのです。 (ペトロの手紙II 2:1,2)
偽教師は今でも、どこの国にも現れ、人の心を惑わしイエスの名を汚します。
2) それぞれの教会の成長 (5)
こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった。
キリスト教界では「教会成長」という言葉が使われてきました。いったい教会が成長するとはどのようなことを意味するのでしょうか? 今読んだように、小アジアの諸教会の人数は日毎に増えていきました。「信仰が強められて」とあります。これが教会の成長ということでしょう。しかし多くの人はむしろ、後ろの「人が増える」ということの方を成長だと考えます。 人が増えることは確かに教会の成長の一要素です。しかし、信仰とは関係なしに、あるいは信仰が健やかではなくても一時的に人を増やすことは可能なのです。健康でなければ成長とは言えません。ただ体重が増えるのは成長ではないのと同じです。教会の目的は人数を増やすことではありません。神に与えられている使命を果たすことが教会の存在目的です。この目的に向かって働きを強め、より効果的に働けるようになることが教会の成長ということでしょう。また人間の場合でも心と体のバランスの取れた成長が大切だと考えられるように、教会の成長も目に見える部分と見えない部分のバランスの取れた成長が望まれます。しかしどうしても目に見える成長の方に目が行ってしまう傾向がある。これも、人の成長を考えるのと同じ傾向です。
ユアチャーチの20年は祝福された成長の歩みでした。それは、多くの人々がこの神の家族に加わったこと、その規模が増えるとそれに見合った、共に礼拝をささげたり集まりをする建物が与えられたこと、活動を支える十分な経済状態であることなど、目に見える部分にも現れていて、それはそれでもちろん素晴らしく感謝なことではあります。しかし私たちが本当に感謝するべきことは、神が一人一人の信仰を成長させていて下さることです。一人一人の成長のスピードは違いますが、皆成長しています。今年、この家族に加えられた人も、20年前からいた人もそれぞれのペースで成長していて、それが調和しているからこそユアチャーチは健康で成長しているといえるのです。これからも共に成長してゆきましょう。
メッセージのポイント
パウロは彼の働きを引き継ぐテモテを見出しました。テモテはパウロからイエスを紹介された夫人の息子でした。イエスを信じる信仰は第二の世代に引き継がれようとしています。パウロはテモテを訓練し、テモテはやがて小アジアの教会の中心的な指導者となります。教会は今も昔も、聖霊の導きによって、また聖霊の導きを正しく受け取ることのできるリーダーたちの指導によって、そこに連なる一人一人のユニークな働きによって成長してゆくのです。
話し合いのために
1) テモテはどのような人?
2) 今回のパウロの旅行の目的は?
教会の成長とは?
A パウロ、テモテと出会う
1) 前回の訪問でイエスを信じた夫人の息子 (1,2)
パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。
テモテはその母と祖母とともに、パウロの前回の訪問の時にイエスの従う者となった人でした。前回の訪問から数年の間にリストラとイコニオンの主を信じ従った人々の中でも、良い働きをしている評判の良い青年として成長していました。彼の父親はギリシャ人だったので、彼はパウロ同様、ヒブル語もギリシア語も話せ、ユダヤ、ギリシャ両方の文化もよく理解していましたから、ヨーロッパにイエスについての良い知らせをもたらす働きの協力者として最適であっただけでなく、子どものないパウロにとっては息子のような存在でもあり、パウロが地上での命を終えるまで、パウロをよく助け、また自分に与えられた責任を全うした人でした。
しかしテモテは自分だけでそのようなものになったわけではありません。今よりもっと男性社会の当時にあって、使徒言行録もパウロも彼の母親のことをわざわざ記していることに注目しましょう。パウロは、彼への二番目の手紙の中で、わざわざ名前を上げて、始めに祖母ロイスと母エウニケに宿った信仰があなたにも宿ったと書いています。彼は一人で信仰の成長を果たせたのではありません。そこのは祖母の祈り、母の祈りがあったのです。このことを家族の中だけに限定して考えることはありません。私たちの信仰は、互いの祈りに支えられて果たされるのです。
2) なぜパウロはテモテに割礼を授けたのか? (3,1コリント9:20)
パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。
ユダヤ人の男子にとって割礼を受けていることは当然のことでした。しかし父親がギリシア人だったテモテは割礼を受けてはいませんでした。パウロは以前にエルサレムで持たれた会議において、異邦人がイエスを信じる信仰を持つにあたって割礼を受ける必要はない、という保証を得ていました。そのパウロが、なぜここでテモテに割礼を授けたのでしょうか?
それは、「ユダヤ人にはユダヤ人のようになった。それはユダヤ人を獲得するためです」 (Iコリント9:20) という彼の考え方からは当然のことでした。
ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。(コリントの信徒への第一の手紙 9:20)
パウロは、割礼をイエスに従う者の条件としては、はっきりと否定しエルサレムにもそれを納得させました。しかし、テモテへの割礼は、その習慣を当然と思っている人々がテモテに心を開き、彼の言葉に耳を傾けさせるためには良いことだと考えたのです。まだこの時点では、パウロはこの旅行がギリシャにまで向かうことになるとは知りません。まだ小アジアのユダヤ人コミュニティーを中心とした働きにと理解していたのです。できるだけ多くのユダヤ人がこの旅行の中でパウロやテモテを通して主イエスを知る事を願っての割礼だったのです。パウロは単に、原理原則ですべてを押し通そうとする原理主義者ではなかったことが分かります。すべての人に共通の真理と特定の人の中で共有される伝統を注意深く見極めて、真理に関しては一切の妥協を許さないが、それ以外の部分は、全て伝えたい相手に合わせようという態度です。福音書を読めば、それがイエスの態度であったことがよくわかります。
そしてそれは現代の教会もまた持つべき態度であると信じてユアチャーチは歩んできました。これからも妥協してはいけない真理とは何か?譲ったほうが良い文化や伝統は何かをよく見分けながら、新しい革袋で在り続けましょう。
B 伝えた後のアフターケア
1) 訪問の目的 (4, ペトロII 2:1,2)
彼らは方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた。
ここはガラテアの信徒への手紙などで知ることの出来るパウロ自身の考えと使徒言行録の著者ルカとの意識の差がでているように思える記述です。パウロのスピリットから考えるなら、ただエルサレムで決められた決まりを守りなさいと伝えるために町々を巡回することは考えにくいのです。パウロが伝えたかったのは、むしろ割礼をはじめとするユダヤ的な慣習は救いの条件ではないから、ユダヤ的習慣を強要するような人々の教えに惑わさずに、のびのびとイエスを紹介しようということだったと思えます。これは聖書の読み方でよく注意しなければならない点です。聖書は全体として受け取る必要があるということです。だからこそ同じ出来事について複数の視点から記録があり、福音書も四つあるのです。聖書は神の言葉です。真理として受け取るべきです。しかし神の言葉だと思うあまり、目の前にある一つの部分がコンテキストから独立して真理であるかのように受け取ったり、そのように扱って自分の考えを神が保証しているかのように考えるのは聖書の正しい読み方ではありません。ましてや、そのように勝手に解釈して自分の考えを神の真理であるかの教えるなら、それは神と聖書と教会を冒涜することになります。ペトロは彼の手紙 (ペトロの第二の手紙2:1) の中で、そのような事をする者を「偽教師」と呼んで厳しく警告しています。
かつて、民の中に偽預言者がいました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。自分の身に速やかな滅びを招いており、しかも、多くの人が彼らのみだらな楽しみを見倣っています。彼らのために真理の道はそしられるのです。 (ペトロの手紙II 2:1,2)
偽教師は今でも、どこの国にも現れ、人の心を惑わしイエスの名を汚します。
2) それぞれの教会の成長 (5)
こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった。
キリスト教界では「教会成長」という言葉が使われてきました。いったい教会が成長するとはどのようなことを意味するのでしょうか? 今読んだように、小アジアの諸教会の人数は日毎に増えていきました。「信仰が強められて」とあります。これが教会の成長ということでしょう。しかし多くの人はむしろ、後ろの「人が増える」ということの方を成長だと考えます。 人が増えることは確かに教会の成長の一要素です。しかし、信仰とは関係なしに、あるいは信仰が健やかではなくても一時的に人を増やすことは可能なのです。健康でなければ成長とは言えません。ただ体重が増えるのは成長ではないのと同じです。教会の目的は人数を増やすことではありません。神に与えられている使命を果たすことが教会の存在目的です。この目的に向かって働きを強め、より効果的に働けるようになることが教会の成長ということでしょう。また人間の場合でも心と体のバランスの取れた成長が大切だと考えられるように、教会の成長も目に見える部分と見えない部分のバランスの取れた成長が望まれます。しかしどうしても目に見える成長の方に目が行ってしまう傾向がある。これも、人の成長を考えるのと同じ傾向です。
ユアチャーチの20年は祝福された成長の歩みでした。それは、多くの人々がこの神の家族に加わったこと、その規模が増えるとそれに見合った、共に礼拝をささげたり集まりをする建物が与えられたこと、活動を支える十分な経済状態であることなど、目に見える部分にも現れていて、それはそれでもちろん素晴らしく感謝なことではあります。しかし私たちが本当に感謝するべきことは、神が一人一人の信仰を成長させていて下さることです。一人一人の成長のスピードは違いますが、皆成長しています。今年、この家族に加えられた人も、20年前からいた人もそれぞれのペースで成長していて、それが調和しているからこそユアチャーチは健康で成長しているといえるのです。これからも共に成長してゆきましょう。
メッセージのポイント
パウロは彼の働きを引き継ぐテモテを見出しました。テモテはパウロからイエスを紹介された夫人の息子でした。イエスを信じる信仰は第二の世代に引き継がれようとしています。パウロはテモテを訓練し、テモテはやがて小アジアの教会の中心的な指導者となります。教会は今も昔も、聖霊の導きによって、また聖霊の導きを正しく受け取ることのできるリーダーたちの指導によって、そこに連なる一人一人のユニークな働きによって成長してゆくのです。
話し合いのために
1) テモテはどのような人?
2) 今回のパウロの旅行の目的は?