<メッセージノート>

2013/11/24 使徒言行録 17:1-9
イエスという別の王
 
A. テサロニケの教会の始まり
1) ユダヤ人会堂でのパウロのメッセージ (1-3)

パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。


わたしたちは羊の群れ道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた。苦役を課せられて、かがみ込み彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように毛を切る者の前に物を言わない羊のように彼は口を開かなかった。(6,7)

彼は不法を働かずその口に偽りもなかったのにその墓は神に逆らう者と共にされ富める者と共に葬られた。病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは彼の手によって成し遂げられる。(9,10)


2) 受け入れたユダヤ人とギリシア人 (4)

それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。

 


B.キリストに従う者が現れた時に起こる反対 (5-9)

しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしているならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。しかし、二人が見つからなかったので、ヤソンと数人の兄弟を町の当局者たちのところへ引き立てて行って、大声で言った。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」これを聞いた群衆と町の当局者たちは動揺した。当局者たちは、ヤソンやほかの者たちから保証金を取ったうえで彼らを釈放した。(5-9)

1) イエスにもなされた反対


2) 今でも起こる反対



メッセージのポイント
イエスに従う者が増え存在感を増せば、それに危機感を感じる人々によって、反対、妨害、迫害が起こります。それはイエスご自身もパウロも経験し、イエスに従う者なら誰もが経験することです。イエスを王とすることは、地上の権威を全く認めないということではありません。しかしそれが神の義に反するなら、私たちは神の側に立って反対します。

話し合いのために
1) 反対者はなぜ暴動を起こしたのでしょう?
2) 日本ではどのような反対が起きたのでしょうか?

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<メッセージ全文>

2013/11/24 使徒言行録 17:1-9
イエスという別の王
 
A. テサロニケの教会の始まり
1) ユダヤ人会堂でのパウロのメッセージ (1-3)

パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。

 フィリピを後にしたパウロたちは、直線距離で西に120㎞ほどの町テサロニケに到着しました。聖書に出てくる都市の中には現在では廃墟となってしまっていたり、正確な位置が特定できない町も多いのですが、このテサロニケはパウロが到着した頃すでに300年以上の歴史のある港のある大都市で地域の交通、商業の中心地でした。現在でもギリシャではアテネに次ぐ大都市です。パウロの時代から今に至るまでユダヤ人が多く暮らす町でもあります。パウロはそこにユダヤ人の会堂があれば、まずそこでイエスを紹介することにしていました。三回の連続した土曜日にメッセージをする機会が与えられて、パウロは聖書から聖書からイエスを紹介したのです。もちろんこの時代の聖書とは旧約聖書のことです。旧約聖書のどこにイエスのことが書かれているのでしょう?パウロが旧約聖書のどの部様々な分を引用したのか興味がありますね。一言でイエスについての預言と言っても、その誕生についての預言とか、十字架の出来事についての預言とか、様々な角度から多くの書に預言を見出すことができます。来週から、キリスト教会のカレンダーでは、救い主の誕生を待ち望むという意味の「アドヴェント」をむかえます。それで私たちは今日、中掃除をしたり、来週はクリスマスの飾り付けをしたりするのですが、来週のメッセージは、旧約聖書の中で預言されていたキリストの誕生についてお話しすることにしています。ここには「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」とありますから、おそらくパウロはイザヤ書の53章あたりを中心に話したのだと考えられます。

わたしたちは羊の群れ道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた。苦役を課せられて、かがみ込み彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように毛を切る者の前に物を言わない羊のように彼は口を開かなかった。(6,7)

彼は不法を働かずその口に偽りもなかったのにその墓は神に逆らう者と共にされ富める者と共に葬られた。病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは彼の手によって成し遂げられる。(9,10)

パウロはこのような旧約の記事とともに、イエス御自身の歩みや十字架、復活、自分の前に現れたことなどを合わせて話し、イエスを紹介したのです。私たちもまた聖書の証言するイエスを紹介するのですが、どんなに聖書のイエスにを詳しく伝えても、それだけでは人の心に伝わりにくいのです。パウロがしたようにそれが自分にとってどのような意味を持つのかということをつたえ、私たちの生活が実際にそのことによってどうほかの人とは違うのかが見えなければ、誰もイエスについてゆきたいとは思わないでしょう。ですから私たちは、もっともっとイエスに近づき、イエスを知る必要があるのです。それが私達が生きている限り礼拝し続ける理由の一つなのです。

2) 受け入れたユダヤ人とギリシア人 (4)

それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。

パウロのメッセージを聞いた人々の中に、ユダヤ人もギリシア人もイエスに従う決心をした多くの人がいました。こうしてフィリピ同様、テサロニケの教会も初代キリスト教の重要な拠点となったのです。そして、この教会は様々な国籍や文化的背景を持つ人々が、それらの違いを超えて一つとなることのできた教会だったのです。すべての教会がそうでなければならないわけではありませんが、このことは他の教会にはできないユニークな働きができるということを意味します。同じ意味で私たちユアチャーチは、国民感情や政治の世界では必ずしもうまくいっていない国に属していても互いに愛し合うことのできることを世界に示すことができるという素晴らしい特権が与えられていることを喜びたいと思います。私たちは全ての民の平和のために用いられているのです。
 


B.キリストに従う者が現れた時に起こる反対 (5-9)

しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしているならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。しかし、二人が見つからなかったので、ヤソンと数人の兄弟を町の当局者たちのところへ引き立てて行って、大声で言った。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」これを聞いた群衆と町の当局者たちは動揺した。当局者たちは、ヤソンやほかの者たちから保証金を取ったうえで彼らを釈放した。(5-9)

1) イエスにもなされた反対
 先にユダヤ人たちの中にもイエスを信じた者がいたことを話しましたが、多くのユダヤ人たちはイエスが救い主であることを認めようとはしませんでした。パウロの話を不快に思い、これを政治的な陰謀であるかのように言いふらして、町の有力者を動かしパウロを黙らせようとします。ヤソンという人はパウロがテサロニケ滞在中に住まわせてもらっていた家の主人です。捉える理由がないので政治的な反逆者と訴えるという彼らのやり方は、イエス御自身にも向けられました。例えばルカによる福音書の23章には
「そして、イエスをこう訴え始めた。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」 そこで、ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」とお答えになった。」 (2,3) と記されています

2) 今でも起こる反対
 第二次世界大戦下の日本でも、イエスを堅く信じ、天皇は神ではないと言ったり、天皇を礼拝することを拒む者は国家に反逆する者として捉えられたのです。君が代を歌わない教師に対する処罰がきびしくなっていることなどからもわかるように、この時の雰囲気が今再び息を吹き返しています。天皇自身が自分は神ではないと明言されたのに、天皇を神格化して自分たちの望むように国の形を変えようと企む人々が政治的な権力を握ろうとしています。 イエスに従う者が増え存在感を増せば、それに危機感を感じる人々によって、反対、妨害、迫害が起こります。それはイエスご自身もパウロも経験し、イエスに従う者なら誰もが経験することです。イエスを王とすることは、地上の権威を全く認めないということではありません。しかし地上の権威がが神の義に反するなら、私たちは人間の権威の上に立つ神の権威を畏れる者として反対する義務があるのです。今ある自由を楽しむことがいけないのではありません。ただそのような自由を奪われても、イエスに従い続けることができるように、神様に信仰を強めていただきましょう。また今この時にも、イエスを信じイエスに従うことが国家に対する反逆だと看做される国が多くあり、そこにも多くの主に従う人達がいることを忘れずに彼らのために祈りましょう。


メッセージのポイント
イエスに従う者が増え存在感を増せば、それに危機感を感じる人々によって、反対、妨害、迫害が起こります。それはイエスご自身もパウロも経験し、イエスに従う者なら誰もが経験することです。イエスを王とすることは、地上の権威を全く認めないということではありません。しかしそれが神の義に反するなら、私たちは神の側に立って反対します。

話し合いのために
1) 反対者はなぜ暴動を起こしたのでしょう?
2) 日本ではどのような反対が起きたのでしょうか?