<メッセージノート>
2013/12/22 クリスマス礼拝 ルカによる福音書 2:1-20
今日ダビデの町で、あなたがたのために
救い主がお生まれになった!
A ヨセフとマリアがベツレヘムに行かなければならなかった本当の理由
1) 皇帝の計画を超えて神の計画があった (1-7)
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
2) 出来事の意味を最初に知らされた羊飼いたち (8-13)
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
B 神からのメッセージをどう受け止めたらよいのか?
1) マリアから学ぶ (19)
しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
2) 羊飼いたちから学ぶ (14-18, 20)
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
メッセージのポイント
主イエス誕生という神様からの贈り物は唐突になされたのではありません。それは旧約聖書の預言として知らされていました。マリアやヨセフにはマリアが身ごもった時から、そして、その前夜には羊飼いや、東方に住む賢人たちにも天使を通して伝えられていました。彼らが、人の考えをはるかに超えた神の出来事を受け止めることができたように、あなたも頭では理解できないこの出来事を受け入れることができます。イエスはあなたの救い主、信頼できる唯一の神です。
話し合いのために
1) なぜヨセフとマリアはベツレヘムに行かなければならなかったのですか?
2) マリアはどんな気持ちで「出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」のでしょう?
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<メッセージ全文>
2013/12/22 クリスマス礼拝 ルカによる福音書 2:1-20
今日ダビデの町で、あなたがたのために
救い主がお生まれになった!
A ヨセフとマリアがベツレヘムに行かなければならなかった本当の理由
1) 皇帝の計画を超えて神の計画があった (1-7)
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
今からおよそ二千年前、ユダヤ地方はローマ帝国に支配されていました。人口調査は皇帝にとって収税のために必要なことでした。人々はユダヤの宗教的支配とローマの政治経済的支配という二重の支配の下に置かれている厳しい時代に生きていたのです。ヨセフも登録のために、身重のマリアを連れてダビデの家系の者の登録地ベツレヘムに行かなければなりませんでした。約160キロの道のりです。徒歩旅行ですし、マリアの状態を考えれば一日の行程はせいぜい20キロ、一週間かけての長旅であったと思われます。いつでも、どこでも為政者の計画に庶民は翻弄されるのです。それでも世界は為政者に支配されているわけではなく、彼らの計画によって動いているわけでもありません。イエスが、両親の暮らす町ナザレではなく、ダビデ家のゆかりの町ベツレヘムで生まれることを預言者ミカは預言していました。(ミカ書5章) 神様はご自身の計画の内にこのことが起こることを許し、臨月に旅行しなければならなかったマリアの体を守って、イエスのベツレヘムでの誕生に至ったのです。私達には人の計画しか見えません。自分の計画が順調に進むことが一番だと思えるのですが、そう旨くは行きません。他の人の計画によって、自分の計画を諦めなければならなくなることもしばしばです。それを不条理だと感じるのです。しかしイエスを主と信じる人は、人の計画が目の前でどのように進んでいたとしても、すべての人の計画を包み込む神の計画が進行していることを信じています。だから、目に見える状況がどうであれ、心の平安を保つことができるのです。
2) 出来事の意味を最初に知らされた羊飼いたち (8-13)
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
救い主がやがて来られる、ユダヤ人なら皆聞かされていたことでした。しかし、もう長く待たされてきました。それらしき人が何人も現れましたが、誰も本物ではありませんでした。しかしついにその時は来たのです。羊飼いは、その仕事の性質によって、細かい律法の規定を守ることができませんでした。宗教家たちからは軽蔑されていた人々でした。その羊飼いたちに、神は天使を通して、この世界で最初で最後の特別な出来事を告げました。「あなたがたのために救い主がお生まれになった」と。神様の良い知らせが、権力者や宗教家ではなく羊飼いに告げられたのは、政治的な力を持たない者、貧しい者、宗教的、民族的、性的少数者、弱い者、小さい者のためにこそ、イエスは来てくださったからです。彼らが恐れたのは異常な出来事だったからです。しかし天使は「恐れるな、大きな喜びを伝えるのだから」と語りかけました。みんなが待ち望んでいた救い主がついに生まれた、という知らせです。この出来事をどう受け止めるのか?それは、この聖書が知らせる良い知らせを聞いたすべての人に向けられている問いなのです。聞く前と変わらず、イエスを無視して生き続けることも可能です。けれどもこの呼びかけに応えるなら、世の誰も与えることのできない喜びを受け取ることができます。
B 神からのメッセージをどう受け止めたらよいのか?
1) マリアから学ぶ (19)
しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
誰でも突然、あなたの救い主が生まれましたと言われても、全然納得出来ないでしょう。若いマリアにとってはこの一年、全く想像のつかないことに振り回され、挙句の果てに、見知らぬ土地の馬小屋で、夫の子ではない赤ちゃんを出産したのです。ただ一つの救いは、自分を捨てていてもおかしくはないヨセフが彼女を信じて、妻として受け入れていたことです。ヨセフも、マリアもただ天使を通して語りかけられた神の言葉だけを信じてここまでやって来ました。理解できない出来事と、それに対する神様からの語りかけによって耐えてこられたとも言えます。そうしたこれまでの出来事の一つ一つすべてを心に納めて、思い巡らしていたというのです。このことが、これからさらに三十年、イエスの復活の喜びの時までのマリアの歩みを支えたのです。時にはイエスの言葉を理解できず、イエスの苦しみを見ても何もしてやれるわけではないことを悩み、あの十字架の出来事に涙する人生でした。イエスの受胎を告知した天使の「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」という言葉とともに、マリアの人生は一転しました。普通の平穏な幸せとは違う歩みが始まったのです。「これが恵みか?本当に主が共におられるのか?」と言いたくなるような出来事も多かったのです。しかしイエスの復活によって、マリアは自分の人生の意味を知り、自分が本当に幸いであることを知ったのです。イエスとの出会いは、新しい人生の始まりです。けれども私達には神の計画、神の恵みの全容は見えません。辛いこと、悲しいことにも直面するのです。私達もまた、マリアのように、すぐに理解できないようなものであっても、出来事の一つ一つが神の計画のもとに許されて起こったことをみとめて、心に収めて未来に向かって歩みを進めましょう。
2) 羊飼いたちから学ぶ (14-18, 20)
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
この羊飼いたちから教えられるのは、単純な信仰です。彼らは、聞いて、確かめて、人々に知らせ、神を賛美しました。聞いた言葉が本当かどうか確かめ、そのとおりだということがわかると人々の知らせました。神の恵みを受け取るということは、本当は彼らがしたように単純な事なのです。宗教は真理にまとわりついて、複雑な体系にしてしまいます。皆さんに知ってもらいたいのは、キリスト教という宗教の体系ではありません。イエスという誰よりも信頼できる友であり、生き方のマスターであり、唯一の神を知ってほしいのです。今日私達は、聖書が伝える救い主の誕生を聞いています。私達はそれが本当に信頼に値するかどうか、聖書を読み、また先に信じた人々の生き方を見て、それを確かめることができます。私は、羊飼いのようにイエスをあなたに紹介せずにはいられないのです。聖書の言葉は真実で、私の人生を変えたからです。そして私は神を賛美せずにはいられません。イエスに出会えたことが何よりも大きな恵みであり、そのイエスが日々に喜びと導きを豊かに与えてくださっているからです。
メッセージのポイント
主イエス誕生という神様からの贈り物は唐突になされたのではありません。それは旧約聖書の預言として知らされていました。マリアやヨセフにはマリアが身ごもった時から、そして、その前夜には羊飼いや、東方に住む賢人たちにも天使を通して伝えられていました。彼らが、人の考えをはるかに超えた神の出来事を受け止めることができたように、あなたも頭では理解できないこの出来事を受け入れることができます。イエスはあなたの救い主、信頼できる唯一の神です。
話し合いのために
1) なぜヨセフとマリアはベツレヘムに行かなければならなかったのですか?
2) マリアはどんな気持ちで「出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」のでしょう?