<メッセージノート>

2014/1/5 2014年カヴェナントメッセージ
あなたは神の家
お前たちは自分の歩む道に心を留めよ。山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。わたしはそれを喜び、栄光を受けると主は言われる。 (ハガイ 1:7,8)


A 主人の満足を求める

あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。 (1コリント 3:16)

 


B 結び合わされてしっかりとした構造となる


キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。 (エフェソ 2:21,22)



C この家に招かれる人々の満足を求める

イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。 (ヨハネ 2:19-22)



メッセージのポイント
神様は、私たちがもっとしっかりとご自身に結びついていることを望んでおられます。建物に定期的なメンテナンスが必要なように、キリストの体である教会も日々のメンテナンスが大切です。ユアチャーチカヴェナントは、神様と私たちとの間で交わすメンテナンス契約です。私たちは目に見える建物や備品については、気になってメンテナンスを怠らないように気をつけますが、実は事の本質は「霊」なのです。目に見える立派な神殿や事細かな律法の体系の維持に腐心していたのに、心は神様からすっかり離れてしまったユダヤの民の失敗を、私たちは繰り返したくありません。

話し合いのために
1) 神様はあなたに今年どのように歩むことを求めておられますか?
2) あなたにとって神殿を立てなさいという命令はどのようなことを意味していますか?

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<メッセージ全文>

2014/1/5 2014年カヴェナントメッセージ
あなたは神の家
お前たちは自分の歩む道に心を留めよ。山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。わたしはそれを喜び、栄光を受けると主は言われる。 (ハガイ 1:7,8)

イエスの誕生の500年ほど前、イスラエル周辺の状況は好転し、破壊された神殿を再建し始めることが出来ましたが、再び始まった近隣国との抗争や、内部の対立によって中断してしまいました。しかしハガイはこの出来事の本質は、人々が神のことではなく、それぞれ自分のことに夢中になっていたことであることをこの前後の節で明らかにしています。人々は自分の建てた立派な家を楽しんだり、新しい家を建てるために走り回っている。それは神の意志を求めるものではなく、利己的な満足を求めることなので良い結果を得ることはできないだろうという預言です。イエスは「神殿とは建物である」という当時の常識を完全に覆され、神の求める神殿とは、ご自身を頭とする体であるといわれましたが、その時には弟子たちも含めて誰も理解することができませんでした。目に見えるものを所有することに安心を求めやすい私達の性質は昔も今も変わりありません。だから私達は教会を建てることと教会堂を建てることと混同しやすいのです。しかし神が求めておられるのは建物ではありません。ユアチャーチというキリストの体の一つの部分がより良く機能するということが目的です。そのために建物を持つという手段がどうしても必要ならそうすればよいのです。
 ですから、このテキストを今年のキーノートとしたのは、建物を建てることを考え始めようということではありません。もっと本質的な意味で私達が個人的にもユアチャーチとしても、キリストの体の一部として、強くなること、成長することを目指そうということなのです。ユアチャーチカヴェナントはユアチャーチのメンバーとしての約束です。私達は毎年、心新たにこの約束を神と交わすことにしています。このカヴェナントに忠実に歩むことが私達の成長の秘訣です。この約束はとても単純です。自分がユアチャーチの一部として神様を愛し、互いに愛しあい、人々を愛します。これらは3つの別々なことではありません。「愛します」と一言で表現してもいいのです。神のあり方が父子聖霊の三位一体であると同様、愛することも三位一体です。神を愛する、互いに愛しあう、人々を愛することのひとつでも欠けるなら、相手が誰であれ本当に愛しているとは言えません。神を愛するという前提があってこそ、本当に誰かを愛することが可能になるのです。また、本当に神を愛しているなら、そこには人を愛することが必ず伴うのです。さらに神を信じている私達が互いに愛し合わないなら、あなたのサークルの外側(世界)にいる人がどうして神の愛を認めることができるでしょうか?私達の周りが憎しみや争い無関心であるよりも、より多くの愛で包まれることを望むなら、まず第一に「神を愛すること」を知りましょう。


A 主人の満足を求める

あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。 (1コリント 3:16)


コリントの信徒への手紙でパウロはこのように述べています。コリントの教会の人々がイエスを主と受け入れたのに相変わらず、お互いの間に妬みや争いが絶えない状況であることに対して書いている言葉です。パウロは彼らを肉の人、キリストとの関係では乳飲み子であると表現して、成長を求めました。あなた方自身が神の神殿であることを自覚してくださいと言っているのです。神が住まわれるのにふさわしい神殿とはどのようなものでしょうか?多くの人は自分の体の主人は自分の霊だと考えて生きています。だから自己実現に邁進します。けれども聖書は、あなたは神の神殿だというのです。オーナーはあなたではなく神です。建物はそれ自身のためにあるものではなく、そこに住む人のためにあるのです。神が望まれる教会の在り方を追い求めることが第一のことです。神の満足は、心からの礼拝が捧げられていることはもちろんですが、ここでなされる神の働きがより良くなされるという事にも大きな関心を持っていらっしゃいます。この礼拝を中心とする教会の営みや、後でお話する私達の互いの関係、周りの人々に対する働きのすべてが神の働きです。それらを良い物にするために私達は時間や財や労力を神に捧げるのです。私達がこの集まりをユアチャーチと呼ぶ第一の相手は神です。「私達はあなたの教会です」という神に対する告白がそのまま私達の名前です。


B 結び合わされてしっかりとした構造となる

キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。 (エフェソ 2:21,22)

このテキストと、先ほどのコリントの信徒への手紙を合わせて読むなら、私達は一人一人が聖霊の住まいであると同時に組み合わされて一つの神の神殿でもあることがわかります。イエスを信じる信仰は、一人一人の心の中の個人的な事である側面と共同体の一員となりその責任を果たす側面があるのです。私達は自分たちの利害が一致しているので共にいるのではなく、神の目的によって呼び出されて組み合わされた者として、神の愛を世に現すために共にいるのです。私達が神の愛によって互いに愛し合うことを知ることによって、人々は神の愛を知るのです。神は愛ですということをいくら説明しても、教会の中の人間関係が愛の無い冷たいものであるなら、誰も神は愛だとは思えません。だから私達は、ここにある人間関係の中で神に仕えるようにあなたに仕えます、神を愛するようにあなたを愛します、という告白としても、私達はユアチャーチなのです。


C この家に招かれる人々の満足を求める

イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。 (ヨハネ 2:19-22)

日本にも神社と呼ばれる神殿があります。普段は神を信じないと言っている人も、自分は仏教徒と思っている人も、正月になると神社に行って一年間のお願いをして、お金を捧げます。私達は自分の願いを叶えるために投資するのではなく神の意志がなされることを期待して捧げます。お賽銭と献金は意味合いが全く違うのです。しかし、前者が日本のマジョリティーです。日本人の常識です。この常識を持った人々が、何か自分の知らないこと、持っていないものを求めて私達のところに来てくれます。イエスの素晴らしさを知ってもらうことは困難なことです。良い悪いではなく発想を逆転しなければわからないことなのです。聖霊の働きであって、私達が説得できることではありません。では、私達のところに来てくれる人々や、まだ神を信じられない家族や友達のために私達ができることとはどのようなことなのでしょうか?消極的な言い方をするなら、神の邪魔をしないことです。しかしそう言わなければなりません。聖書を読むと、そこに記されている人々の営みの多くは、神の邪魔をする人々の歴史でもあるように見えます。教会の歴史もそうです。人に神を紹介するために存在しているにもかかわらず、自分が神とその人の間に立ちはだかって、神に近づけないしていることにもなりかねないのです。それは、自分たちをマイチャーチと意識することによって起こることです。私たちは自分のためにではなく「あなた」と呼ぶ神と人々に仕えるためにここにいるのです。教会は、私たちが礼拝を捧げる場であるとともに、神とまだ神を知らない人が出会う場でもあるのです。私たちは、神に対してと同様に、神が招いた人々のためにも「わたしたちはあなたの教会です」と私達の名前を言い表すのです。
 今年も私たちがもっと「ユアチャーチ」になれるように成長させていただきましょう。そういうわけで、ここを私の連なるべきキリストの体と思う人は、今年もカヴェナントに署名してください。またこれらのテキストを時々読み返して、自分が神の神殿のいち部分であることを思い起こしてください。


メッセージのポイント
神様は、私たちがもっとしっかりとご自身に結びついていることを望んでおられます。建物に定期的なメンテナンスが必要なように、キリストの体である教会も日々のメンテナンスが大切です。ユアチャーチカヴェナントは、神様と私たちとの間で交わすメンテナンス契約です。私たちは目に見える建物や備品については、気になってメンテナンスを怠らないように気をつけますが、実は事の本質は「霊」なのです。目に見える立派な神殿や事細かな律法の体系の維持に腐心していたのに、心は神様からすっかり離れてしまったユダヤの民の失敗を、私たちは繰り返したくありません。

話し合いのために
1) 神様はあなたに今年どのように歩むことを求めておられますか?
2) あなたにとって神殿を立てなさいという命令はどのようなことを意味していますか?