<メッセージノート>

2014/01/12 使徒言行録 18:1-11
語り続けよ。黙っているな。

A アテネからコリントへ

1. 働きながらイエスを紹介したパウロ (1-4)


その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。

 
2. 服の塵を振り払う (5,6)

シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」



B コリントでの働きの継続

1. 拠点を移して、多くの人々が主に従った (7,8)


パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。


2. 主の言葉を聞いて一年半コリントにとどまった (9-11, コリント I 2:1-5)

ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。

「兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。」(コリントの信徒への手紙 I 2:1-5)


メッセージのポイント
イエス・キリストを紹介する働きは私達の共同の働きです。牧師を伝道者と呼ぶこともあるので誤解が生まれますが、牧師など教会のリーダーは、皆が自分の置かれている生活の中で、イエスの香りを放ち、イエスを紹介することができるように整えるために立てられています。私達がイエスを伝えるときに、大きな抵抗があれば無理矢理に続ける必要はありません。少し方向転換をするときに期待していなかった成果を上げられることもあるのです。何よりも、私達は「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。」というイエスの声に支えらているので、神の許しがある限り、その置かれたところで伝え続けることができるのです。

話し合いのために
1) コリントはどのような都市ですか?
2) このテキストはあなたにどのようなことを教えてくれましたか?

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<メッセージ全文>

2014/01/12 使徒言行録 18:1-11
語り続けよ。黙っているな。

A アテネからコリントへ

1. 働きながらイエスを紹介したパウロ (1-4)


その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。

パウロのコリントでの活動は、やがてそこで大きなムーヴメントとなり、多くの人々の集う教会となってゆきます。多くの妨害に遭いながらも、ベレアやアテネとは異なり、パウロが一年半に渡って基礎づくりをしたからです。活気のある教会には、サタンの誘惑も強く、問題もたくさん起こったようで、パウロは後にコリントの信徒に向かって二回も手紙を書いています。その両方を合わせると、彼の代表的な手紙であるローマの信徒への手紙よりもはるかに多い分量を書き送らなければならないほどだったです。当時のコリントは、現在のコリントスの3kmほど南西にあったようです。アテネからは直線距離で80キロの位置でイタリア側のコリント湾とエーゲ海側の最も狭く近づく付近にあり、今では1800年代の終わりに作られたコリントス運河で有名です。アテネやスパルタと並んで有力な都市国家の一つでもありました。コリントには、ギリシア人、ローマ人、ユダヤ人が多く住む都市でユダヤ教の会堂もあったので、パウロは今までもそうしてきたように安息日ごとにそこで話していたのです。ここで出会った夫婦はユダヤ人がイタリアから追放されたときに、移り住んできた人たちでした。追放令がだされたのは49年か50年なので、ここでの出来事はおそらく紀元50年のことです。テント作りと記されていますが、ちょっと意味を広くとったほうが良さそうです。羊毛を織った布や革を加工していくつかの製品にして販売する仕事だったのでしょう。ポイントはパウロが生活の糧を得るために働きながら教えていたということです。ユアチャーチでは聞いたことのない伝統が古くからある教会にはいろいろあって、そのような教会の人と話すと聞いたことのない宗教的用語が当たり前のように出てくるので、皆さんをびっくりさせてしまうことがあるのですが、その一つとして牧師を伝道者と呼ぶことがあります。私たちは伝道という言葉さえあまり使いませんが、つまりイエスを誰かに紹介するということです。私たちは、それが自分たちの働きであって、特別な人のすることだと思っていません。さらに、私たちは紹介する前に、その人をイエスのように愛するということが前提であることを知っていますから、自分たちのことを、伝えるだけの伝道者ではなく、愛を持ってお世話をする“牧師”だと知っています。私は、皆さんが牧師として元気に活躍できるように整えるリーダーズティームの責任者に過ぎません。私も数年前まで他の仕事をしながら、この役割を果たしてきたのです。先輩の牧師から、やっと一人前になったな的なことを言われましたが。私自身は30年前から、パウロのようにプロフェッショナルだったつもりです。皆さんもそうです。メッセージをするプロでなくても、普段毎日仕事に忙しくても、イエスのように愛する、イエスを紹介するプロなのです。

 
2. 服の塵を振り払う (5,6)

シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」

しばらくパウロと離れたところで人々のお世話をしなければならなかったシラスとテモテがやってくるとパウロは当面、伝えることに専念して労働をしなくてもよくなりました。他の二人が働いたのか、あるいはマケドニアの教会からの献金がもたらされたのか、いずれにしてもパウロは他の働きから解放されました。しかしそのように働きに力が加わったことは、反対する者たちを怒らせる結果になりました。パウロは自分と同じユダヤ人に気付いてほしいと考え、まず彼らに向かって働きかけをしていましたが、ここでついにパウロは考えを変えました。もう自分には手に負えない、神様にお任せしよう。それが「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」という宣言になったのです。神に対する反逆を続けることでどのような結果となってあなたがたに降りかかっても、もう私の責任ではありませんよ、という意味です。一見すると、売り言葉に買い言葉のようなやりとりに聞こえてしまうかもしれませんが、パウロはイエスを信じて以来、ユダヤ人に伝えたいのに外国人以上に反発が強いというジレンマをずっと抱えてきたのです。ユダヤ人に伝えることは自分の責任でもあると考えてきました。パウロは彼らを愛していましたから、どんな目にあってもイエスを伝えたいと思っていたのです。ですから、威勢よく切った啖呵でもなければ、呪いの言葉でもありません。残念な気持ち、哀しみを湛えた言葉です。神様の愛、正義を土台として働きかけても、がっかりするような反応しか帰ってこないことが起こります。頑張り続けることも大切ですが、同様に手を離す時を見失ってはいけません。神様がもういいよと言っているのに、頑張り続ければ、それは神の愛と正義によるものではなく、自己愛と自分の正義によるものになってしまうからです。パウロはここで裁きは神様に委ね良い方向転換をしたのです。


B コリントでの働きの継続

1. 拠点を移して、多くの人々が主に従った (7,8)


パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。

パウロが服の塵を払って拠点を変えても、彼が諦めたはずのユダヤ人の中にイエスを信じる人が起こされ、そのような人々のサポートを受けながら、彼の働きが勧められていたことがわかります。その中にはユダヤ人会堂のリーダーも含まれていました。神様の計画は、私たちが困難のために前進を諦めて方向転換をしても続いてゆき、私たちはよくそのようなことに励まされます。なかなか自分では納得出来ない方向転換でも、あとからそれが神様の働きにとっても必要なものであったことがわかります。パウロにとっては残念な展開の中で、ユダヤ教の拠点の会堂のリーダーとその家族がみなイエスを知り、イエスに従う者となりました。この出来事によって、さらに多くのコリントの人々がイエスに従う者となりました。このことを私たちは一人一人の生活の中でも、教会としての歩みの中でも経験します。しかし私たちが誠実にイエスに従って歩んでいる限り、どのような変化も恐れる必要はありません。イエスはいつでもあなたのそばを離れず「わたしがあなたと共にいる」と語りかけて下さいます。実は偉大な伝道者で知られるパウロも、この時イエスの語りかけを必要としていました。そのパウロにイエスはこう語りかけてくださいました。9-11節を読みましょう。


2. 主の言葉を聞いて一年半コリントにとどまった (9-11, コリント I 2:1-5)

ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。

使徒言行録だけを読んでいると、パウロはあちこちで反対運動に出会いながらも、がっかりすることなくエネルギッシュに旅してコリントでも活躍している、という印象を受けますが、彼自身の書いた手紙を読むと、心も体も疲れきって、恐れや不安でいっぱいな状態でコリントに到着したことがわかります。そのパウロにイエスはこう語りかけて下さいました。だから、ここで長く留まり働くことが出来ました。彼はこう言っています。

「兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。」(コリントの信徒への手紙 I 2:1-5)

私たちは、この町田を拠点としてパウロと同じことをしています。できるだけ多くの人に、イエスを紹介すること。イエスと共に歩むことによって、聖霊の働きに与り神の力を体験してもらうことです。弱っていても、不安があっても、恐ろしくても大丈夫です。イエスが「わたしがあなたと共にいる」と言われています。恐れることはありません、愛し続けましょう。黙ってしまわずにイエスを紹介し続けましょう。私たちの周りの、イエスに愛されているのに、まだ彼を知らずに迷っている大勢の人のために。


メッセージのポイント
イエス・キリストを紹介する働きは私達の共同の働きです。牧師を伝道者と呼ぶこともあるので誤解が生まれますが、牧師など教会のリーダーは、皆が自分の置かれている生活の中で、イエスの香りを放ち、イエスを紹介することができるように整えるために立てられています。私達がイエスを伝えるときに、大きな抵抗があれば無理矢理に続ける必要はありません。少し方向転換をするときに期待していなかった成果を上げられることもあるのです。何よりも、私達は「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。」というイエスの声に支えらているので、神の許しがある限り、その置かれたところで伝え続けることができるのです。

話し合いのために
1) コリントはどのような都市ですか?
2) このテキストはあなたにどのようなことを教えてくれましたか?