<メッセージノート>

2013/02/02 使徒言行録 18:12-22 (ルカ 9:57,58)
イエスに従う者の覚悟

A 反対される、迫害を受ける (12,13)

ガリオンがアカイア州の地方総督であったときのことである。ユダヤ人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行って、「この男は、律法に違反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております」と言った。

 
B 他の権威の保護を期待しない (14-17)

パウロが話し始めようとしたとき、ガリオンはユダヤ人に向かって言った。「ユダヤ人諸君、これが不正な行為とか悪質な犯罪とかであるならば、当然諸君の訴えを受理するが、問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。」そして、彼らを法廷から追い出した。すると、群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた。しかし、ガリオンはそれに全く心を留めなかった。



C 神の意志に従う (18-22, ルカによる福音書 9:57-62)

パウロは、なおしばらくの間ここに滞在したが、やがて兄弟たちに別れを告げて、船でシリア州へ旅立った。プリスキラとアキラも同行した。パウロは誓願を立てていたので、ケンクレアイで髪を切った。一行がエフェソに到着したとき、パウロは二人をそこに残して自分だけ会堂に入り、ユダヤ人と論じ合った。人々はもうしばらく滞在するように願ったが、パウロはそれを断り、「神の御心ならば、また戻って来ます」と言って別れを告げ、エフェソから船出した。カイサリアに到着して、教会に挨拶をするためにエルサレムへ上り、アンティオキアに下った。

一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。(ルカによる福音書 9:57-62)


メッセージのポイント
私たちは神の国を伝えるために招かれました。もっとやわらかな言い方をするなら、この世界を、互いに利用しあう関係から互いに愛し合う関係に、自分の周りから変えてゆくために招かれているのです。それがイエスに従って歩むということです。イエスに従うということは心の中に留まる事柄ではなく行動に現れます。行動には誤解、反対、妨害が起こります。そのような中で、私たちを取り巻く様々な権威は私たちを保護してくれるとは限りません。だから、イエスに従って歩む人には、ただ神の権威に頼り、神の意志に従って生きる覚悟が必要です。

話し合いのために
1) なぜガリオンはこの混乱に関心を示さなかったのですか?
2) どうしたら神の意思を知ることができますか?

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<メッセージ全文>

2013/02/02 使徒言行録 18:12-22 (ルカ 9:57,58)
イエスに従う者の覚悟

A 反対される、迫害を受ける (12,13)

ガリオンがアカイア州の地方総督であったときのことである。ユダヤ人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行って、「この男は、律法に違反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております」と言った。

 ガリオンは、アテネでの出来事をお話した時に触れたストア派に属する哲学者セネカの兄で51年から52年にかけて、アテネ、スパルタ、コリントなどが含まれれるアカイア州を治めていたローマ人です。父親は北イタリア生まれですが、セネカやガリオンはスペインで生まれ育ちました。ローマ帝国が大変大きな国であったことがわかります。このガリオンのもとにコリントのユダヤ人たちはパウロを引き出し、裁きを求めたのです。イエスに従おうとする者がこれ以上増えることを嫌ったからです。彼らは総督の前にパウロを引き出すことができるほど大きな力を持っていたということです。
 パウロの活動はユダヤ人にとっては大きな脅威となっていました。振り返って私たちはどうでしょうか?反対されたり迫害を受けたりしないことを喜んでばかりはいられません。表立った反対に合わないのは社会に対するインパクトがなさすぎるからとも言えるからです。もちろん、カルト化した集団が主張するような、迫害を受けるから正しいということにはなりません。わざわざ反対が起こるような激しい活動することも間違っています。しかし神様は私たちが地の塩、世の光として存在することを期待しておられます(マタイ5:13,14)。それは、イエスご自身がそのような者として世に来られ、世に衝撃を与え、世に理解されなかった仕事を私たちに委ねられたということです。塩として、光として存在感を増してゆくことが私たちの使命の一つです。イエスの心にかなった方法で、しかも積極的にイエスを紹介し、神の喜ばれる社会のあり方を求めて行動するなら、反対されることがあっても、主がパウロに語りかけられたように、共にいて守り導いて下さいます。虚しい時を過ごさずに、充実した祝福に持ちた神の国に続く道を歩き続けましょう。

 
B 他の権威の保護を期待しない (14-17)

パウロが話し始めようとしたとき、ガリオンはユダヤ人に向かって言った。「ユダヤ人諸君、これが不正な行為とか悪質な犯罪とかであるならば、当然諸君の訴えを受理するが、問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。」そして、彼らを法廷から追い出した。すると、群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた。しかし、ガリオンはそれに全く心を留めなかった。


パウロが反論を始めようとする前にガリオンは、ユダヤ人たちの訴えを却下してしまいました。ローマ帝国にとっては、その中で許されている公認宗教の中の内部対立でしかなかったからです。ユダヤ人たちはこのことにひどく失望し、法廷の前で自分たちの指導者の一人に襲いかかりました。ユダヤ人たちは自分たちが住民で、自分たちの敵を政府も敵とみなしてくれることを期待していたのです。しかし政府はどちらに味方することも得ではないと判断したのです。もちろん、パウロの側に肩入れしたわけでもありません。私たちは、それがどのようなものであれ地上の権力に過度の期待をかけてはいけないのです。距離を置くべきです。権力は宗教を利用することしか考えていません。あらゆる国の歴史がそれを証明しています。権力は、利用できるものは利用し、無視できるものは無視し、都合の悪いものは排除するだけです。政治からできるだけ離れるということではありません。関心を持たないということでもありません。Aでもお話ししたように、世の光として、塩として必要な働きかけをするのです。私たちには頼るべき権威があります。地上の権威に頼ってはいけないのです。それはかつてユダヤの民が忘れ、その結果国を滅ぼした重要な教訓なのです。パウロは、ここでは結果的にローマの権力に助けられた形となりましたが、後にローマは教会を激しく迫害する時代、国教とする時代を経て滅びてしまいます。私たちを社会にどう守ってもらうかではなく、私たちがこの社会にどう働きかけてゆけるかということを考え、行ってゆきましょう。


C 神の意志に従う (18-22, ルカによる福音書 9:57-62)

パウロは、なおしばらくの間ここに滞在したが、やがて兄弟たちに別れを告げて、船でシリア州へ旅立った。プリスキラとアキラも同行した。パウロは誓願を立てていたので、ケンクレアイで髪を切った。一行がエフェソに到着したとき、パウロは二人をそこに残して自分だけ会堂に入り、ユダヤ人と論じ合った。人々はもうしばらく滞在するように願ったが、パウロはそれを断り、「神の御心ならば、また戻って来ます」と言って別れを告げ、エフェソから船出した。カイサリアに到着して、教会に挨拶をするためにエルサレムへ上り、アンティオキアに下った。

この出来事のあと、しばらくコリントに滞在していたパウロですが、ついにコリントを離れ、帰途につく時がきました。パウロはこの宣教の旅が実り多いものとなるように誓願をしていたようです。誓願とは願いが守られるように行う、行動を伴う誓いです。その一つに、その時期が終わるまで髪を切らないということがあったのです。民数記6章のナジル人の誓願がその原型だと考えられています。時々、イエス様は<一切>誓ってはならないとおっしゃった(マタイ5:34)のだから、裁判所の宣誓や大統領就任の宣誓、結婚の誓いもダメという人がいます。しかしそれは「エホバの証人の輸血ダメ」に匹敵する大きな誤解です。当時は、<神様>にではなく<天とか地とかエルサレムとか頭>にかけてなされた誓いなら破ってもいい、という変な理屈が通っていたので、そのような表面的な言葉や行いにこだわる律法主義に対して、「何に対してであれ、守れない、守るつもりがないなら誓うな」とおっしゃったのです。イエス様は、裁判所の宣誓や高校野球の選手宣誓、結婚の誓いを禁止しているのではありません。だからここでパウロも誓いを行動で表したのです。「誓い」は誠実に行いますという表現であり、誠実な願いです。神様はその誓いを果すために力を貸してくださいます。パウロは、コリントのエーゲ海側の港ケンクレアで感謝の気持を込めて髪を切り船出します。コリントで出会ったプリスキラとアキラも住み始めて間もないコリントを去ることにしたようです。もう問題も少なくなったのだから、コリントに留まるという選択肢もあったはずです。しかし、パウロは神の意志はここにはないと確信したのです。そして海路でアジア州エフェソに渡り、そこでアジア州の重要な拠点となる共同体をつくります。しかしここもすぐに、プリスキラとアキラらに後を任せてエルサレムに向かうのです。パウロは神の導きを大切にしました。衝撃的な復活されたイエスとの出会いから始まった彼の後半の人生は、イエスを紹介する三回の旅と、ローマに連行される最後の旅で自宅に落ち着くことは最後までありませんでした。イエスを伝え、各地に教会をスタートさせるという意義深い旅ではありましたが、その体は疲れきっていたはずです。皆さんは、イエスに従う、これからの人生をどのようなものだと想像しますか?イエスご自身のこの事についての言葉を最後に紹介したいと思います。ルカによる福音書 9:57,58です。

一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。(ルカによる福音書 9:57-62)

イエスに従う者はパウロのように地上では旅人なのです。パウロのように実際に旅に明け暮れていなくても旅人です。ここは最後の場所ではなく、私たちには目指すふるさと「神の国」があるからです。寂しいでしょうか?落ち着かないでしょうか?いいえ、ここには争いがあり、哀しみがあり、苦しみがあります。しかし私たちはここに第一に属してはいません。私たちは第一に神の国の市民なのです。旅行中の不便はあっても、こことは比べようのない完全なところに帰れることが約束されていることが一番の幸せです。そして、ここに縛られていないからこそ、ここが少しでも神の国に近づくように働くことができるのです。神の国の市民なので、地上の争いに巻き込まれることなく、少しずつ、不完全ではあっても、そこに神の愛と正義をもたらすことができるのです。


メッセージのポイント
私たちは神の国を伝えるために招かれました。もっとやわらかな言い方をするなら、この世界を、互いに利用しあう関係から互いに愛し合う関係に、自分の周りから変えてゆくために招かれているのです。それがイエスに従って歩むということです。イエスに従うということは心の中に留まる事柄ではなく行動に現れます。行動には誤解、反対、妨害が起こります。そのような中で、私たちを取り巻く様々な権威は私たちを保護してくれるとは限りません。だから、イエスに従って歩む人には、ただ神の権威に頼り、神の意志に従って生きる覚悟が必要です。

話し合いのために
1) なぜガリオンはこの混乱に関心を示さなかったのですか?
2) どうしたら神の意思を知ることができますか?