<メッセージノート>

2014/9/28 ルカによる福音書 5:1-11
神様の恵みにふれる時

A. 平凡な日常?(1-3)

1 イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。2 イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。3 そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。

B. 神様が働かれる時 (4-10a)
1) それは一見無意味なことかもしれない (4-5)

4 話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。5 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。

2) 神様の恵みにふれて驚く (6-10a)

6 そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。7 そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。8 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。9 とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。10 シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。


C. 伝える喜び、伝える苦しさ

10b すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」11 そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。


メッセージのポイント
 神様は私たちの日常の中で働いて下さる方です。一人一人に分かるように出会って下さる方です。神様が自分の生活で働いて下さっていると知る時、私たちは恐れさえ抱きます。神様の恵みはあまりに大きく、私たちがそれにふさわしくないと知るからです。でも、神様はそんな私たちに「恐れるな」と言って、共に生きるように招いて下さっています。日常生活の中で神様の恵みを経験できるように、神様に期待して、恐れず主と共に歩んで行きましょう。 


話し合いのために
1) これは自分ではなくて神様が働いて下さったんだと感じた経験をシェアして下さい。
2) 「すべてを捨ててイエスに従う」とは、あなたにとってどういう意味ですか?

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<メッセージ全文>

2014/9/28 ルカによる福音書 5:1-11
神様の恵みにふれる時

先週はイエス様が宣教を開始されてすぐに、故郷のナザレで人々と衝突したというエピソードからお話ししました。今日の箇所もイエス様の宣教の初期の頃の出来事ですが、その前に少しだけイエス様の宣教旅行全体についてお話ししておきたいと思います。イエス様は最初、自分が生まれ育ったナザレ近辺のガリラヤ地方の村や町で教えて回りました。その間にイエス様の噂が広まり、エルサレムの宗教指導者たちはイエス様を危険視するようになりました。イエス様はそれを知っていましたが、人々に教え続けながら、エルサレムに向けて旅を始めます。エルサレムには当時ユダヤ教の神殿があり、ユダヤ人たちの信仰の中心地でした。イエス様はエルサレムに入ってから1週間後に十字架に架けられて亡くなりました。ガリラヤで人々に教えて回るようになってから十字架で亡くなるまで、5年くらいだと言われています。さて今日は、先週に引き続き、ガリラヤ近辺でのイエス様についての記録から読みます。今日の箇所では、後に12人の弟子に選ばれる、ペテロたち3人の漁師たちと出会ったことが書かれています。少しずつ読んでいきましょう。

A. 平凡な日常?(1-3)

1 イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。2 イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。3 そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。


群衆が押し寄せてきたので、イエス様は近くにいた漁師に舟に乗せてもらって、湖の上から話し始めたと書かれています。この時にはイエス様が既に大変な人気を得ていたことが分かります。ただ、ここで漁を終えて網を洗っていた漁師たちにとってはどうでしょうか。彼らは普段と同じようにここで漁をしていただけです。彼らもイエス様のことは知っていました。それはこれより前の箇所で、既にシモンとイエス様は出会っていることが書かれているからです。このシモンというのがペテロのことです。ですから、この時のペテロたちは、イエス様を、ありがたいことを教えてくれたり、奇跡を起こせたりするすごい人物としては認識していたと思います。でも、彼らにとって、イエス様はまだ自分たちの生活を変えるほどの影響力を持った人ではありませんでした。彼らはいつも通り漁をして、普段の生活を送っていただけでした。イエス様の話を聞こうとイエス様の周りに押し寄せてきた群衆の方が、彼らよりずっとイエス様に興味を持っていたと言えます。彼ら漁師たちは、ただその場に居合わせただけです。でも実は、神様は彼らのことを知っていました。続きを読みます。

B. 神様が働かれる時 (4-10a)
1) それは一見無意味なことかもしれない (4-5)

4 話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。5 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。

イエス様は、突然ペテロたちに「もう一度漁をしてみなさい」と言います。ペテロたちは、夜通し魚を追いかけて何もとれず、もうあきらめて陸で網を洗っていました。そんな状況でもう一度漁をするというのは、彼らにとっては非常識で無意味なことと思われたと思います。でも、それは神様の計画が目に見える形で表されるための、彼らに対する最初の神様の働きかけでした。ペテロはこの後、イエス様の言葉に従って漁をしてみたことを、一生忘れなかったんじゃないかと思います。「私は無駄だと思いますが、あなたが言うならやってみましょう」と言って、やってみたことによって、彼は人生を変える神様との出会いを果たしたからです。私たちには無駄だと思えても、神様は私たちの日常のどんなところでも私たちを用いることができます。そんな時私たちは、神様が共にいて下さるということを力強く感じる恵みをいただくことになります。ペテロたちに何が起こったか、続きを読みます。

2) 神様の恵みにふれて驚く (6-10a)

6 そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。7 そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。8 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。9 とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。10 シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。

 ペテロたちの舟は、引き上げた魚の重さで沈みそうになるほどでした。イエス様はもう一度漁をしなさいと言っただけで、細かく漁の仕方を指示したわけではありません。ペテロたちは、自分たちがいつもやっている通り、網を下ろしてみただけです。それなのに、結果は驚くべきものでした。偶然だと思えばそれでおしまいですが、ペテロにはとても偶然とは思えませんでした。ペテロはこれが自分の力ではなく、何か自分には想像のつかない力が働いているのだと感じて恐ろしくなりました。彼が漁師だったから、目の前で起こった大漁が普通はあり得ないことだと分かったのです。イエス様はペテロを知っていました。イエス様は、漁師であるペテロに一番分かりやすい方法で、神様が彼の生活の中で働いて下さるということを示しました。そして、神様はあなたのことを知っていて、あなたに関係ない方ではない、と教えました。ペテロはイエス様の噂を聞いていましたし、イエス様が群衆に語りかけるのも聞いていました。でも、この時初めて、自分に語りかけるイエス様の言葉に気が付きました。神様は、舟が沈みそうになるくらいの大漁という奇跡を起こすことで、ペテロに分かる方法で、ペテロに語りかけました。
 神様は私たちと個人的に関わって下さる方です。もしまだそのことを自分で経験されていないなら、イエス様に期待して下さい。イエス様は私たち一人一人に分かる方法で「私はいるよ」と教えて下さる方です。いるなら教えて下さい、と自分で直接頼んでみて下さい。私も、まだ本当にイエス様がいるのか、信じていいのか決めかねていた時、本当にいるんだ、と思わせられる経験をしました。ある人を励ましたくて手紙を書きました。書く時に、「イエス様、いるならどうぞこれであの人を励まして下さい」と祈っていました。その人はアルバイト先の知り合いで、特に仲が良かったわけでもなく、その後ももう親交はありません。でも、驚いたことに、その人が私のその手紙を読んで、涙を流してお礼を言ってくれました。本当に驚きました。私には、それが自分の力ではなくて、本当にイエス様がいたんだと思えました。私はそれまでも教会でたくさん話を聞いてもらって、自分で聖書を読んであれこれ考えてはいましたが、最終的にイエス様についていこうと決心したのは、この手紙の出来事があったからです。それは私に分かる方法で、神様が教えて下さったのだと思います。
 また、このことはイエス様に初めて出会う時だけではありません。イエス様との歩みを続けている中で、私たちは繰り返し体験するように望んでいいことです。神様は、私たちの生活の中で、私たちが驚くようなことをします。神様が生きて働いておられるということを、私たちに分かるように、教えて下さいます。また、お互いのそんな体験を聞くことを通して励まし合える場が教会です。教会がキリストの体と言われるのは、イエス様が生きて動いておられるのが教会だからです。教会は建物のことではありません。教会に集う一人一人のことです。私も、皆さんの中でイエス様が生きて働いておられるということを聞いて、いつもどれだけ助けられているかわかりません。自分一人では忘れてしまう時があるからです。
 ペテロの話に戻りましょう。今日の最後の部分です。

C. 伝える喜び、伝える苦しさ

10b すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」11 そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。

 神様の大きな恵みに触れても、私たちの小ささは変わりません。自分のあまりの小ささに愕然とすることもあります。でも、イエス様は「恐れることはない」と言っています。イエス様が私たちの生活に入ってきて下さったのは、イエス様ご自身が、私たちと共にいたいと望んで下さったからです。神様の恵みに触れたペテロたちは、迷うことなく、それまでの生活を捨てて、イエス様と共に旅をする道を選びました。それは、ペテロたちがイエス様の魅力に取り憑かれたからです。イエス様に惚れたと言ってもいいかもしれません。大漁の奇跡とその後のイエス様の言葉が、彼らの心を奪いました。私たちは、このペテロたちと同じように、イエス様に惚れているでしょうか?惚れていないとしたら、それはイエス様に魅力が欠けているのではなくて、私たちがイエス様の魅力に気が付いていないだけです。私たちは、自分の生活の中でイエス様が生きて働いて下さることをもっと期待していいのです。自分に分かるように、イエス様が教えて下さることを求めましょう。また、自分に自信がなさ過ぎて、「恐れることはない」と言って共にいて下さるイエス様を無視していることがあります。自分の問題は数え始めたらきりがありません。自分にはできないと決めてしまったら、神様がその先で見せて下さろうとしていることを見逃してしまいます。イエス様と私たちの関係は、人間関係と同じように変化し、成長していきます。でもそれは、ずっと最初から変わらないイエス様を、私たちが惚れ直していく過程なのかもしれません。
 どうぞ、神様に期待して下さい。日常生活の中で、私たちに分かるように、神様が一緒にいると教えて下さるように、求めて下さい。

メッセージのポイント
 神様は私たちの日常の中で働いて下さる方です。一人一人に分かるように出会って下さる方です。神様が自分の生活で働いて下さっていると知る時、私たちは恐れさえ抱きます。神様の恵みはあまりに大きく、私たちがそれにふさわしくないと知るからです。でも、神様はそんな私たちに「恐れるな」と言って、共に生きるように招いて下さっています。日常生活の中で神様の恵みを経験できるように、神様に期待して、恐れず主と共に歩んで行きましょう。 


話し合いのために
1) これは自分ではなくて神様が働いて下さったんだと感じた経験をシェアして下さい。
2) 「すべてを捨ててイエスに従う」とは、あなたにとってどういう意味ですか?