<メッセージノート>

2014/11/23 Malachi マラキ書3章 (NIV 3,4)シリーズ「絶望から希望へ」2
洗礼者ヨハネ登場の預言


A. 裁きために来る神の使者

1) 神様の前に道を備える者 (1-4)


見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者 見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。彼の現れるとき、誰が耐えうるか。彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。彼は精錬する者、銀を清める者として座しレビの子らを清め金や銀のように彼らの汚れを除く。彼らが主に献げ物を正しくささげる者となるためである。そのとき、ユダとエルサレムの献げ物は遠い昔の日々に過ぎ去った年月にそうであったように主にとって好ましいものとなる。(1-4)


2) 現実に目覚めさせるために来る者 (5-18)


裁きのために、わたしはあなたたちに近づき直ちに告発する。呪術を行う者、姦淫する者、偽って誓う者雇い人の賃金を不正に奪う者寡婦、孤児、寄留者を苦しめる者わたしを畏れぬ者らを、と万軍の主は言われる。(5)

人は神を偽りうるか。あなたたちはわたしを偽っていながらどのようにあなたを偽っていますか、と言う。それは、十分の一の献げ物と献納物においてである。あなたたちは、甚だしく呪われる。あなたたちは民全体で、わたしを偽っている。(8, 9)


まことに、主であるわたしは変わることがない。あなたたちヤコブの子らにも終わりはない。あなたたちは先祖の時代からわたしの掟を離れ、それを守らなかった。立ち帰れ、わたしに。そうすれば、わたしもあなたたちに立ち帰ると万軍の主は言われる。しかし、あなたたちは言うどのように立ち帰ればよいのか、と。(6, 7)

十分の一の献げ物をすべて倉に運びわたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き祝福を限りなく注ぐであろう。また、わたしはあなたたちのために食い荒らすいなごを滅ぼしてあなたたちの土地の作物が荒らされず畑のぶどうが不作とならぬようにすると万軍の主は言われる。諸国の民は皆、あなたたちを幸せな者と呼ぶ。あなたたちが喜びの国となるからだと万軍の主は言われる。(10-12)


そのとき、主を畏れ敬う者たちが互いに語り合った。主は耳を傾けて聞かれた。神の御前には、主を畏れ、その御名を思う者のために記録の書が書き記された。わたしが備えているその日に彼らはわたしにとって宝となると万軍の主は言われる。人が自分に仕える子を憐れむようにわたしは彼らを憐れむ。そのとき、あなたたちはもう一度正しい人と神に逆らう人神に仕える者と仕えない者との区別を見るであろう。(16-18)



B. エリヤに匹敵する預言者として

1) 罪の状態が続くなら恐ろしい日が来る (19)

 
見よ、その日が来る 炉のように燃える日が。高慢な者、悪を行う者はすべてわらのようになる。到来するその日は、と万軍の主は言われる。彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。(19)


2) 絶望を希望に変える鍵を持つ方 (20-24)

 
しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。あなたたちは牛舎の子牛のように躍り出て跳び回る。わたしが備えているその日にあなたたちは神に逆らう者を踏みつける。彼らは足の下で灰になる、と万軍の主は言われる。わが僕モーセの教えを思い起こせ。わたしは彼に、全イスラエルのためホレブで掟と定めを命じておいた。見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもってこの地を撃つことがないように。(20-24)


メッセージのポイント
私たちが自分の現実を知るために、神様は預言者を通して厳しく語られましたが、それは変更不可能な断罪ではなく私たちが立ち返るチャンスを与えるための選択の提供でした。旧約聖書はイエスによって与えられるそのチャンスを未来の希望として預言しています。それは2000年前のクリスマスに実現しました。イエスの働きは今も信じる者を通して行われていますが完成してはいません。私たちは完成を目指してイエスと共に歩んでいます。

話し合いのために
1) 神様の使者はどのようなことをすると預言されていましたか?
2) あなたには希望がありますか?その希望の根拠は何ですか?

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<メッセージ全文>

2014/11/23 Malachi マラキ書3章 (NIV 3,4)シリーズ「絶望から希望へ」2
洗礼者ヨハネ登場の預言


A. 裁きために来る神の使者

1) 神様の前に道を備える者 (1-4)

来週からキリスト教会のカレンダーでは、クリスマスを待ち望む四週間、「待降節・アドヴェント」と呼ばれる時となります。ユアチャーチでは、来週からアドヴェントシリーズのメッセージが始まります。特に第四週はクリスマス礼拝&ポトラック、クリスマスイヴの夜はキャンドルライトサービスがあります。さてその直前の今日のテキストはクリスマスの出来事より500年位になされた預言です。先週その前半をお話ししましたが、それは大変厳しい裁きの預言です。ところが3章に入ると、将来への希望が見えて来るのです。最初に4節までを読みます。

見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者 見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。彼の現れるとき、誰が耐えうるか。彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。彼は精錬する者、銀を清める者として座しレビの子らを清め金や銀のように彼らの汚れを除く。彼らが主に献げ物を正しくささげる者となるためである。そのとき、ユダとエルサレムの献げ物は遠い昔の日々に過ぎ去った年月にそうであったように主にとって好ましいものとなる。(1-4)


それまでは、もう神様に見捨てられるしかないという宣告に聞こえていましたが、ここに来て、新しい未来が存在するように言われています。神様ご自身が歴史の中に介入されること、その道を備える使者が送られるというのです。ただ預言者はいただいた神様の言葉を十分に理解できずに伝えたように見えます。この預言はイエスとそれに先立って現れたバプテスマのヨハネによって成就します。しかし預言者は、ここでは使者にしか注目していません。それは、イエスにおいて起こった「神様ご自身が、直接世界に登場される」ということが想像できなかったからでしょう。しかし神様はイエスという一人の人として登場されました。それが約2000年前の最初のクリスマスの出来事です。使者、ヨハネは悔い改めを勧めて、多くの人々が悔い改めのためのバプテスマを受けました。何故これを備えと言うのでしょう。それは、悔い改めることは出発に過ぎないからです。悔い改めのあと求められているのは、今度こそ神様にしっかりとつながりついて行くことです。ヨハネは私に従いなさいとは言いませんでした。私の後に来る方こそ従うべき方だと言ったのです。


2) 現実に目覚めさせるために来る者 (5-18)

 ヨハネの役割は、人々が悔い改めてイエスに従う備えをするためでした。彼らは何を悔い改めなければならなかったのでしょうか?5節と8、9節を読んでみましょう。

裁きのために、わたしはあなたたちに近づき直ちに告発する。呪術を行う者、姦淫する者、偽って誓う者雇い人の賃金を不正に奪う者寡婦、孤児、寄留者を苦しめる者わたしを畏れぬ者らを、と万軍の主は言われる。(5)

人は神を偽りうるか。あなたたちはわたしを偽っていながらどのようにあなたを偽っていますか、と言う。それは、十分の一の献げ物と献納物においてである。あなたたちは、甚だしく呪われる。あなたたちは民全体で、わたしを偽っている。(8, 9)

 彼らの社会は正義が行われていませんでした。神様を恐れず、人を苦しめる者。神様に捧げるべきものを偽って、正しく捧げない者が裁きの対象であることがわかります。しかし一方で、まだ間に合う、悔い改めて行いを正し、私のもとに立ち帰れと勧められていることもわかります。6、7、10-12節です。

まことに、主であるわたしは変わることがない。あなたたちヤコブの子らにも終わりはない。あなたたちは先祖の時代からわたしの掟を離れ、それを守らなかった。立ち帰れ、わたしに。そうすれば、わたしもあなたたちに立ち帰ると万軍の主は言われる。しかし、あなたたちは言うどのように立ち帰ればよいのか、と。(6, 7)

十分の一の献げ物をすべて倉に運びわたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き祝福を限りなく注ぐであろう。また、わたしはあなたたちのために食い荒らすいなごを滅ぼしてあなたたちの土地の作物が荒らされず畑のぶどうが不作とならぬようにすると万軍の主は言われる。諸国の民は皆、あなたたちを幸せな者と呼ぶ。あなたたちが喜びの国となるからだと万軍の主は言われる。(10-12)

 なぜ神様はすべてを滅ぼし去る決断をせずに、もう一度チャンスを与えようとしたのでしょう?それは、このような時代にあっても、神様を畏れ敬う人々が少しだけ存在していたからです。16−18節です。

そのとき、主を畏れ敬う者たちが互いに語り合った。主は耳を傾けて聞かれた。神の御前には、主を畏れ、その御名を思う者のために記録の書が書き記された。わたしが備えているその日に彼らはわたしにとって宝となると万軍の主は言われる。人が自分に仕える子を憐れむようにわたしは彼らを憐れむ。そのとき、あなたたちはもう一度正しい人と神に逆らう人神に仕える者と仕えない者との区別を見るであろう。(16-18)

 神様は、このような人々まで滅ぼしてしまおうとは考えませんでした。そこで、羊と山羊を左右に分けるように、正しい者、神に仕える者と神に逆らい仕えない者との区別を明らかになさろうと、ヨハネを送り、そしてご自身はイエスとして登場されました。



B. エリヤに匹敵する預言者として

1) 罪の状態が続くなら恐ろしい日が来る (19)

 
見よ、その日が来る 炉のように燃える日が。高慢な者、悪を行う者はすべてわらのようになる。到来するその日は、と万軍の主は言われる。彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。(19)

 世界に、最後の日は来ていません。旧約聖書の預言によれば終わりの時はすでに始まっています。イエスの登場が終わりの時の始まりです。しかし最後の最後のときが来るまでそれがいつなのかは、誰にも知らされません。明日かもしれないし、5000年後かもしれません。だから、それが来年あたりなどと計算してみたり、預言したりする者は偽預言者として非難しなければなりません。しかしその日が来ることは確実です。逃れる方法はあるのでしょうか?最後の20−24節を読みましょう。


2) 絶望を希望に変える鍵を持つ方 (20-24)

 
しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。あなたたちは牛舎の子牛のように躍り出て跳び回る。わたしが備えているその日にあなたたちは神に逆らう者を踏みつける。彼らは足の下で灰になる、と万軍の主は言われる。わが僕モーセの教えを思い起こせ。わたしは彼に、全イスラエルのためホレブで掟と定めを命じておいた。見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもってこの地を撃つことがないように。(20-24)

 ヨハネは自分のことを偉大な預言者エリヤの再来とも、私が救い主だとも言いませんでした。自分はイザヤ書に預言されていた「主の道をまっすぐにせよ」と荒野で叫ぶ声(イザヤ書40:3, ヨハネによる福音書1:23)だと言っています。どうしたら、正しく、平和に、喜ばしく人生を歩めるのか?呪いではなく、祝福を受ける側に区別されることができるのか?それは、ヨハネの勧めに従って、人生の方向転換をし、イエスに従って歩む人生を始めることです。イエス以前の多くの人々は、実際にどのようにしたら神様に喜ばれて歩むことができるのかを間違い、細かいきまりをしっかりと守ることだと考え、神様からどんどん離れて行くしかありませんでした。しかし私たちには、はっきりと目に見えるしるしが与えられています。イエスです。イエスに従って歩むことができるのです。世界は依然として、良い麦と毒麦が混在しているような状態です。それは最後の最後まで変わらないとイエスは言われました。だから、私たちは世界の状態を必要以上に悲観的に見てはいけません。世界はいつか滅びます。そしておそらく、私たちは世界の滅びよりも早く、この世界から移されます。しかしイエスと共に歩いている人は、この世を離れようと、世界が消え去ろうと、イエスはその人とともに永遠にいてくださいます。これがクリスマスの福音、良い知らせです。
 最後に、マラキによって来ることが預言されていた最後の預言者、バプテスマのヨハネのイエスを指して言われた言葉を聞き、心に留めてクリスマスを待ち望む心の準備をしたいと思います。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」(ヨハネによる福音書1:29)


メッセージのポイント
私たちが自分の現実を知るために、神様は預言者を通して厳しく語られましたが、それは変更不可能な断罪ではなく私たちが立ち返るチャンスを与えるための選択の提供でした。旧約聖書はイエスによって与えられるそのチャンスを未来の希望として預言しています。それは2000年前のクリスマスに実現しました。イエスの働きは今も信じる者を通して行われていますが完成してはいません。私たちは完成を目指してイエスと共に歩んでいます。

話し合いのために
1) 神様の使者はどのようなことをすると預言されていましたか?
2) あなたには希望がありますか?その希望の根拠は何ですか?