<メッセージノート>

2014/12/21 アドヴェント第4日曜日 (ルカによる福音書1:1-21)
永遠の喜びと平和


A. 飼い葉桶に寝かせられた神の子?

1) ヨセフとマリアの戸惑い(1-7)

 
1 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。


2) 羊飼いたちは喜んだ(8-21)

 
8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。14 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。21 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。


B. 私たちのための救い主(10-14)

1) 神様が人間となられた

 
20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。


2) 喜びと平和をもたらす方

 
10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。14 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」


メッセージのポイント
2000年前、神様はイエスという人間としてこの世界に来てくださいました。イエス様が生まれた状況は、そのまま神様がどういう方かを示しています。人間の罪が神様の意志よりも強く働いているように見えるこの世界に、神様は身分が低くて弱い者として来られました。それは十字架の死に至るまで一貫した、私たちと共にいたいという神様の愛の証です。イエス・キリストが私のために来られたと信じることが、どんなことがあっても消えることのない喜びと平和を私たちに与えます。

話し合いのために
1) イエス・キリストは私たちを何から救うのでしょうか?
2) 神様が与えてくださる永遠の喜びと平和とは何ですか?

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<メッセージ全文>

2014/12/21 アドヴェント第4日曜日 (ルカによる福音書1:1-21)
永遠の喜びと平和

 
1年も終わりに近づいてきました。皆さんにとってこの一年はどんな年だったでしょうか?人生が変わるような嬉しい出来事があった方も、反対にもう生きていく希望を失いそうになった方もいると思います。また、今、悲しみや不安の中にいる方もいるでしょう。どんな人でも、日々喜びと悲しみがあり、急展開の局面もあれば、停滞しているかのように思える時期もあります。目に見える世界で起こっている出来事、または起こらない出来事にだけ集中していたら、私たちは疲れ果ててしまうでしょう。今週はクリスマスです。クリスマスは、私たちに永遠に変わらない喜びと平和をもたらす出来事です。目に見える世界で何があっても、どんな時でも、決してかき消されない確かなものがあると教えてくれる出来事です。どのようにでしょうか。クリスマスの出来事が書かれている聖書の箇所を読んでいきたいと思います。ルカによる福音書の2章1節からです

A. 飼い葉桶に寝かせられた神の子?

1) ヨセフとマリアの戸惑い(1-7)

 
1 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

 先週と先々週のメッセージで、マリアとヨセフそれぞれに天使が現れ、聖霊によってマリアの体に宿ったイエス様を彼らが迎え入れるように告げている場面を読みました。聖霊によって子供を妊娠するという、普通では考えられない非常識な出来事を、マリアとヨセフは受け入れました。でも、今読んだところに書かれているイエス様が生まれた状況には、天使も神様も出てきません。ただ事実が書いてあるだけです。当時ユダヤを支配していたローマ帝国は、支配している地域から税を取り立てるため住民登録をしていたことが、歴史にも残っています。この住民登録のために、人々はそれぞれの家系が始まった場所に行かなければならなくなりました。ヨセフとマリアもそうでした。ナザレからベツレヘムへは、少なくとも歩いて3日はかかる道のりです。マリアはお腹が大きいにもかかわらず、その道のりを行かなければなりませんでした。そして彼らがやっとたどりついた町では泊まる宿もなかったと書かれています。それでしかたなく、どこかははっきり書いてありませんが、おそらく家畜小屋か家畜のいた洞窟のようなところを見つけ、マリアはそこで出産の時を迎えました。ヨセフとマリアがいかに神様を信頼していたにしても、旅先で泊まる場所も見つけられないまま、急きょ家畜小屋で出産することになったのには戸惑いがあったはずです。まして、生まれてくる子は自分たちの子ではなく、聖霊によって宿った神様の子と言われていました。神様の子というには、あまりに貧しく質素な誕生の状況を、彼らはどう思ったでしょうか。それは書いていないので分かりません。でも次に読む箇所で、マリアはこの状況が神様の計画のうちにあると受け止めていることが分かります。8節から21節を読みましょう。


2) 羊飼いたちは喜んだ(8-21)

 
8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。14 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。21 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

 イエス様の誕生を祝う天使が現れたのは、ヨセフとマリアではなく、直接には何の関係もない羊飼いたちでした。羊飼いたちは天使の告げたことを聞いて、急いでイエス様を探しに行きます。目指すのは、天使に言われた「布にくるまれて家畜のえさ入れに寝ている赤ちゃん」です。羊飼いは当時の社会で決して尊敬される職業ではありませんでした。もしイエス様が王様のような身分に生まれていたとしたら、羊飼いたちは会うことすらできなかったでしょう。でもイエス様は、むしろ羊飼いたちのような身分の低い者にこそ親しみのある、家畜小屋のような場所で生まれました。イエス様を探し当てた羊飼いたちは、天使に告げられた内容をマリアたちに告げて、喜んで帰って行きました。「マリアは、これらの出来事を全て心に納めて、思い巡らした」と書いてあります。彼女は突然羊飼いたちが現れたことも、彼らが告げた内容にも驚いたでしょう。でも同時に、安心もしたかもしれません。羊飼いたちによれば、天使は「その子は飼い葉桶に寝かせられている」と言ったし、「これがしるしである」と言ったといいます。羊飼いたちを通して、マリアは神様が目の前の状況を全部知っていることを確かめられました。マリアが目にしていた光景、天使たちが羊飼いに告げ、羊飼いも見て喜んだ光景、それは、「飼い葉桶に寝かせられた神の子」です。天使はそれが「あなたたちへのしるし」だと言いました。ヨセフとマリアが戸惑うようなイエス様誕生の状況は、全て神様の計画のうちにありました。そして、イエス様が生まれた状況一つ一つが、神様がどういう方かを私たちに語っています。このことをもう少し詳しく知るために、天使が羊飼いたちに告げた内容を振り返ってみましょう。


B. 私たちのための救い主(10-14)

1) 神様が人間となられた

 
20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。

 11節で天使は「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主が生まれた」と告げています。ベツレヘムは、旧約聖書に登場するユダヤ人の王、ダビデが生まれ育った町でした。イエス様の時代のユダヤ人は、ダビデ王のような救い主が再びベツレヘムから登場して、彼らを救うと信じていました。今日最初に読んだところに書いてあったように、マリアとヨセフがナザレからベツレヘムに旅をしなければならなかったのは、表面上はローマ帝国の命令によるものです。でも、実は神様はそんなローマ帝国の支配者の思惑を用いて、旧約聖書の預言を実現しました。また、それは同時に、神様ご自身が、人間の様々な思惑の支配するこの世界に入って来て下さったということも意味します。マリアとヨセフは、マリアが臨月であろうと、ローマ帝国の命令に従うしかありませんでした。やっとたどり着いたベツレヘムでは泊まるところすら見つけられませんでした。彼らの状況は、そのままこの世界に生きる私たちの現実でもあります。私たちは皆、この世界でそれぞれの都合でその時その時を生きており、誰もが他の誰かの都合に多かれ少なかれ振り回されます。そしてそれが、単に不運だったとあきらめるのは不可能なくらい、苦しい時が襲ってくるのも現実です。病気も、災害も、誰かとの衝突も、大切な人を失うことも、生きていると辛いことや悲しいことがあふれているようにも思えます。それだけなら虚しく感じるのが当然です。でも、そんな私たちの現実の中に、神様はおられます。そう確信を持って言えるのは、クリスマスの夜、私たちと同じようにこの世界の現実に翻弄される一組の夫婦の元に、何もできない赤ちゃん、イエス様として、神様が生まれてこられたからです。それだけでなく、イエス様が生まれてすぐに寝かされた場所は飼い葉桶でした。全ての人の上におられるはずの神様が、人間社会の底辺と言えるような身分になりました。それは十字架に架けられて死なれるまで一貫した、神様のすべての人に対する愛によるものです。神様は、この世界で苦しみながら生きる私たち人間のうちの一人となり、どんな苦しみも悲しみも私は一緒に受け入れる、というしるしを与えてくださいました。イエス様は、弱く低い立場に自分を置いて、社会の片隅にいる人にまで届きたいという神様の愛の証明です。だから、天使は「これがあなたたちへのしるしだ」と言いました。そして、イエス様が救い主だというのも、同じ理由です。イエス様が神様の私たちに対する愛を実現して下さる方だからです。イエス様が人間となって、そして十字架で苦しんで私たちの罪を背負って下さったことによって、私たちは神様といつも一緒にいることができるようになりました。これが、天使の告げた「民全体に与えられる大きな喜び」を私たちにもたらします。最後に、もう一度10節から14節の天使の言葉を読んでみましょう。


2) 喜びと平和をもたらす方

 
10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。14 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

 神様は、私たちに大きな関心を持っています。この世界で起こっていることで、神様が知らないことは何もありません。私たちが自分の罪によって、また他人の罪によって傷つけあい、苦しみの原因を作っていることにを知っています。イエス様がこの世界に来られたのは、そんな状態から私たちを解放するためでした。自分や他人の罪に支配されず、神様の愛によって私たちが生きられるようにするためでした。それは、自分にも他の誰かにも絶対の信頼を置くことなく、ただ神様だけを信頼して生きるということです。自分も他人も間違いを犯すことを受け入れて、ただ私を信頼して、私が示す道を歩んで行きなさいと、神様は私たちに呼びかけています。その呼びかけに応えて神様を信頼することが、この世界で唯一永遠に消えることのない喜びと平和を私たちにもたらします。具体的な問題の解決がすぐに与えられるわけではないかもしれません。でも、どんな時でもどんな状況でも、神様は私たちのことをよく知っていて共にいて下さると確信できるなら、私たちは神様に自分のするべきことを教えていただいて、できることを続ける力を持つことができるはずです。そして、苦しみの中でも、神様は共にいるという喜びと平和を保つことができます。

このクリスマスの季節、私たち一人ひとりのことを神様はよく知っていて、一人一人に語りかけてくださっていることを、どうぞ深く受け取ってください。神様は、自分を弱い者として、私たちのために自分を与えることを惜しみませんでした。


メッセージのポイント
2000年前、神様はイエスという人間としてこの世界に来てくださいました。イエス様が生まれた状況は、そのまま神様がどういう方かを示しています。人間の罪が神様の意志よりも強く働いているように見えるこの世界に、神様は身分が低くて弱い者として来られました。それは十字架の死に至るまで一貫した、私たちと共にいたいという神様の愛の証です。イエス・キリストが私のために来られたと信じることが、どんなことがあっても消えることのない喜びと平和を私たちに与えます。

話し合いのために
1) イエス・キリストは私たちを何から救うのでしょうか?
2) 神様が与えてくださる永遠の喜びと平和とは何ですか?