<メッセージノート>

2014/12/28 2015年最終日曜日
神の家はどうなりましたか?


お前たちは自分の歩む道に心を留めよ。山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。わたしはそれを喜び、栄光を受けると主は言われる。 (ハガイ 1:7,8)

A. 主に満足していただけたでしょうか?(1コリント 3:16)
 
あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。 (1コリント 3:16)


B. 結び合わされてより強固になりましたか?(エフェソ 2:21,22)
 
キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。 (エフェソ 2:21,22)


C. ドアは広くなりましたか?(ヨハネ 2:19-22)
 
イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。 (ヨハネ 2:19-22)



メッセージのポイント
今年の最初の日曜日に「私たちは神の家」というお話をしました。もっとしっかりと神様に結びつきましょう。しっかりメンテナンスして強い構造を保てるように互いにしっかり結びつきましょう。内向きにならず誰でも入ってきやすいように扉を開きましょうとチャレンジしました。神の家のメンテナンスを怠らないように気をつけないと、目に見える立派な神殿や事細かな律法の体系の維持には熱心だったのに、神様からすっかり離れてしまったユダヤの民の失敗を繰り返すことになってしまうからです。この一年、神の家の一つであるわたしたちは、良いメンテナンスをしてきたでしょうか?

話し合いのために
1) あなたの信仰はどのような面で成長しましたか?
2) ユアチャーチは変わりましたか?そうであればどう変わりましたか?

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<メッセージ全文>

2014/12/28 2015年最終日曜日
神の家はどうなりましたか?


お前たちは自分の歩む道に心を留めよ。山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。わたしはそれを喜び、栄光を受けると主は言われる。 (ハガイ 1:7,8)


 今読んだハガイ書の一節は、今年のテキストの中心で、自分の歩みの過去、現在、未来を見直し、神殿としての自分をしっかりと建て上げてゆこうというものでした。健康な体を維持するためには三つの栄養素をバランスよく取らなければなりません。しかしそれだけではなく充実した仕事や趣味、人間関係によって得られる心の栄養も必要です。しかし心の栄養や体の栄養よりもっと大切な栄養が人間には必要です。それは魂の栄養です。魂の栄養とは、イエスに従って生きるための、聖書に記された「神様の言葉」です。中でも毎年、年の初めに与えられた「今年のテキスト」は今年よく注意してしっかり取ろうと勧められたものです。これらの言葉を、折に触れて味わっていただけたでしょうか? 神様は私たちの魂が健康であることを何よりも願っておられます。

A. 主に満足していただけたでしょうか?(1コリント 3:16)
 
あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。 (1コリント 3:16)


 私たちは、今年の初めにこう問いかけられたのです。私たちは自分たちが神の神殿、つまり神様の霊が住まうところだと知ってこの一年を過ごしました。魂の健康の根本は、このことの自覚なのです。かつて「健全な肉体に健全な精神が宿る」と言われていた時代がありました。軍国主義が世界を覆い尽くした7、80年前に、イエスの少し後の時代のローマの詩が歪められて広まった言葉です。今の私たちは、それが真実ではないことを知っています。身体にハンディがあっても心健やかでいられるのです。しかし、今でも多くの人に知られていない真実がここにあるのです。それは魂の健やかさこそ求めるべきだということです。そしてそのためには聖霊に住んでいただくしかないということです。魂は心よりももっと根本的な人間存在の本質です。魂がどのような霊に影響されているかによって、心の有り様も変わってきます。そして、それは体の健康にも影響を及ぼすこともあるのです。愛である神様の霊が心に住んでおられることを知ったなら、それが自分の魂に良い影響が現れることを期待すると心と行動が変わり始めるのです。それが強く美しい神様の神殿を建設することなのです。
 しかし次の箇所を読むことによって、自分が単独で神の神殿であるわけではないということが明らかになりました。エフェソ 2:21,22です。


B. 結び合わされてより強固になりましたか?(エフェソ 2:21,22)
 
キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。 (エフェソ 2:21,22)

 これが世界の教会の存在理由です。そして私たちもその一部なのです。ただ私たちは、基本的には、私たち以外の部分についての成長の責任を負っているわけではありません。応援したり、協力したりすることはありますが、私たちはユアチャーチというこの部分の健全な成長の責任を担っているのです。この一年の間に、神様に招かれて、共にに責任を担おうと決心をした人がいます。バプテスマを受けた人や今年初めてカベナントメンバーとなった人々です。神様の神殿の一部であるユアチャーチに新しい部分が増築されたということです。また、一人一人が神様を信頼することにおいて、愛することにおいて成長しました。それは強度が増し加えられたということです。神の家族の祈りや助けによって病気や、辛い体験から立ち直った人たちもいます。私たちが心と力を合わせてこわれた部分を修理して、神様が住みやすくなったということです。確かにユアチャーチは強くなり、広くなりました、しかしこの努力はいつまでも止めてはいけないことなのです。教会はイエスが再び来られる日までその努力を止めることはありません。今も、困難の中にいる、例えば闘病中の人々のために祈り続けましょう。そのようにしてもっと強く美しい神様の住まいを目指して行きましょう。


C. ドアは広くなりましたか?(ヨハネ 2:19-22)
 
イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。 (ヨハネ 2:19-22)

 ここで神の神殿とはイエスの体だということが明らかにされています。イエス以前の時代、神殿は実際の建造物でした。しかしイエスの誕生によって、それは過去のこととなったのです。かつて神殿は、異邦人や罪人の侵入を許さない堅固な要塞でもあったのです。しかし、イエスは求めて来る者を拒まない方です。そして私たちは「キリストの体」なのですから、入って来たくない、入って来にくいものであるわけにはいきません。けれどもキリストの体である教会にも人間の組織という側面があることは否定できません。組織は自分たちの利益、心地よさを追求するものです。それが自然の姿です。その意味ではイエスはあえてその自然に逆らいオープンであろうとされました。先月、池田牧師が話してくれた五つのパンと二匹の魚の奇跡を起こされた時のように、イエスは弟子たちの思惑よりも、イエスを知りたくて訪ねてくる人々のことを気遣われました。教会の居心地がよければよいほど私たちは警戒しなければなりません。例えば日曜日です。イエスに関心を持ってきてくれる人に最高の配慮がなされたでしょうか?礼拝において最も関心を払うべきは神様です。そしてその次が、イエスを訪ねて来てくださった人たちです。この人々は、いわば私たちの主人であるイエスの大切なお客様なのです。互いについて気遣いあうことはもちろん大切です。ユアチャーチカヴェナントでは神様を愛する>互いに愛し合う>世界を愛する、とあるとおり二番目に大切なことなのです。しかし、日曜日の優先順位としては三番目です。だからお互いのための時としては「ミニチャーチ」があるのです。
 初めてのお店に入るのには勇気がいります。それでも中が気になって、勇気を出してドアを開けるのです。あなたは、店員さんにどのような対応を望みますか?寄って来て欲しくない時には離れていてくれて、何かを聞きたいなと思った時、声をかけなくても来てくれたら最高です。しかしその正反対の対応もよくあります。しかし最悪なのは、店員同士がおしゃべりに夢中で客が入ってきても、チラッと見てまたおしゃべりに戻るようなところです。実際にはそんなお店は滅多にありません。それでは潰れるしかないからです。私たちは店員ではなく家族です。大人もいれば子供もいます。具合の悪い人もいます。だから誰もが積極的な店員のようになる必要はありません。しかし、自分が初めて神さまの家に迎え入れられた時のことを思い出して、イエスに興味を持ってきてくださった方に接していただきたいのです。あなたが初対面の人と話すのが苦手なら。そうではない人を引き合わせればいいのです。別に牧師でなくても構いません。それより、同じ世代、性別、国籍(わかれば)の人が良いのです。来年はもっと入りやすく、この人たちと一緒に居たいと思っていただける教会を目指しましょう。


メッセージのポイント
今年の最初の日曜日に「私たちは神の家」というお話をしました。もっとしっかりと神様に結びつきましょう。しっかりメンテナンスして強い構造を保てるように互いにしっかり結びつきましょう。内向きにならず誰でも入ってきやすいように扉を開きましょうとチャレンジしました。神の家のメンテナンスを怠らないように気をつけないと、目に見える立派な神殿や事細かな律法の体系の維持には熱心だったのに、神様からすっかり離れてしまったユダヤの民の失敗を繰り返すことになってしまうからです。この一年、神の家の一つであるわたしたちは、良いメンテナンスをしてきたでしょうか?

話し合いのために
1) あなたの信仰はどのような面で成長しましたか?
2) ユアチャーチは変わりましたか?そうであればどう変わりましたか?