<メッセージノート>
もっと大きなことを起こそう
1. 私を分かりなさい (6-9)
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。
2. 私を信じなさい (10, 11)
わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。
3. 私より行いなさい (12-14)
はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」
メッセージのポイント
頭ではイエスが道であり、真理であり、命であることを知っていて、神様ご自身でもあることも知っているのに、しばしばそう感じられない私たちです。一緒にいてくださるのに、見たことがないかのように、空に向かって、誰かに向かって、いるのなら見せてください、と求めてしまう私たちです。今年は、このインマヌエルの事実に基づいた歩みがもっとできるように、知ることによって、信じることによって、行うことによって成長しましょう。
話し合いのために
1) フィリポは何が分かっていなかったのですか?
2) 本当に何でもかなえていただけるのですか?
子供達のために
子供達にも新しい一年ということを、思い浮かべてもらいましょう。そして、イエスをもっと知ること、信頼すること、行うことを励ましてください。なぜイエスより大きな業が出来るのでしょう。世界中にイエスの仲間がいるからです。地上におられた頃のイエスは、ヨーロッパにも、アジアにも、アフリカにも、アメリカにも行ったことはありませんでした。でもイエスを信じ、従う者がイエスの業を行うので、世界中に神様の愛が広がっています。愛を広げるのは私たち一人ひとりです。
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<メッセージ全文>
もっと大きなことを起こそう
1. 私を分かりなさい (6-9)
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。
この箇所の前半を皆さんはよくご存知です。大切な真理です。しかし私たちに求められているのは、真理を大切に抱え込むことではありません。「真理の上に立って歩む」ことです。そこで、今年はこれに続く節を携えて歩んでいただきたいのです。フィリポの反応とそれに対するイエスの答えに注目しましょう。フィリポは「神を見せてください」とイエスに願うのです。「そうしないと満足できない」とさえ言っています。神様のことがわからない。本当に私を愛していてくれるの?ということでしょう。イエスはがっかりしてこう言ったのです。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。」 耳が痛いですね。私も、去年何度も、そう言われてしまいました。イエスは続けます。「わたしを見た者は、父を見たのだ。」 イエスを知らない人なら、神様を見せてくださいと言う権利があります。しかしイエスに従っている者が、こう問うのは間違っています。イエスを発見することが神様を見ることなのですから。それなのになぜ私たちは「神様がわからない」と思ってしまうのはどういうことなのでしょうか?イエスは会話の中でヒントを与えています「わたしが分かっていないのか?」 イエスを分かることが神様を知ることにつながっているということです。反対に言えば、神様がわからない、と感じてしまうのはイエスを十分に分かっていないということなのです。イエスを今よりももっと分かるために必要なことはシンプルです。イエスの言葉、イエスの行動を学び、実際に生活の中で真似をすることです。他には方法はありません。だからイエスはご自身を、私たちに命を与え、真理を教えるだけではなく、歩くべき道だとおっしゃったのです。
2. 私を信じなさい (10, 11)
わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。
イエスと共に歩んでいても、わからないことはいくらでも出てきます。先にお話ししてきたように、学びと経験は私たちにより多くの理解を与えてくれますが、私たちは全てを理解することはできません。私たちはより多く知ることを求められてはいますが、完全な理解を求められているわけではありません。そうではなく信じなさいと言われるのです。理解ができなくても、信頼することができます。生活の中でイエスを体験することによって、イエスに対する信頼が生まれるのです。イエスを分かろうとして、その言葉に親しみ、生活の中で期待して祈り求めれば、自分の歩みの中でイエスが働いていることが実感できます。そうすればそこに信頼が生じるのです。
3. 私より行いなさい (12-14)
そして、イエスを信頼して生きる人々に対してイエスは意外なことを言われるのです。
はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」
イエスを信頼して歩む者は、イエスより大きな業を行うというのです。なぜ私たちが?イエスは「私が天に帰るから」だと言っています。イエスの昇天後、イエスの働きが海を越えて拡大していったことを、去年私たちは使徒言行録で学びました。イエスご自身は天に帰られましたが、その体として私たちは、イエスが不在となるために送られた聖霊に助けられて、もっと拡大してゆくイエスの働きを担っているのです。願うことはなんでもかなえてあげよう、というのはコンテキストから言えば、イエスの業を行なうことにおいて「なんでも」です、私たちの好き勝手な願いについて行っているわけではありません。
これが今年私たちに与えられた、2015年のテキストです。キリストの体が担う大きな働きの一部を、自分が与えられて持ち場で果たしてゆきましょう。もっと知ろう、もっと信じよう、もっと行おう。そういう者にさせていただこう。それを今年の祈り、願いとして持ち続けてゆきましょう。
メッセージのポイント
頭ではイエスが道であり、真理であり、命であることを知っていて、神様ご自身でもあることも知っているのに、しばしばそう感じられない私たちです。一緒にいてくださるのに、見たことがないかのように、空に向かって、誰かに向かって、いるのなら見せてください、と求めてしまう私たちです。今年は、このインマヌエルの事実に基づいた歩みがもっとできるように、知ることによって、信じることによって、行うことによって成長しましょう。
話し合いのために
1) フィリポは何が分かっていなかったのですか?
2) 本当に何でもかなえていただけるのですか?
子供達のために
子供達にも新しい一年ということを、思い浮かべてもらいましょう。そして、イエスをもっと知ること、信頼すること、行うことを励ましてください。なぜイエスより大きな業が出来るのでしょう。世界中にイエスの仲間がいるからです。地上におられた頃のイエスは、ヨーロッパにも、アジアにも、アフリカにも、アメリカにも行ったことはありませんでした。でもイエスを信じ、従う者がイエスの業を行うので、世界中に神様の愛が広がっています。愛を広げるのは私たち一人ひとりです。