<メッセージノート>

2015/5/10 (1テサロニケ5:12-17,23-28)
ユアチャーチがもっと素敵になる10の秘訣(前半) 永原アンディ


序. パウロがこの手紙の最後に書いた強い願い (23-28)


23 どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。
24 あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます25 兄弟たち、わたしたちのためにも祈ってください。
26 すべての兄弟たちに、聖なる口づけによって挨拶をしなさい。
27 この手紙をすべての兄弟たちに読んで聞かせるように、わたしは主によって強く命じます。
28 わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にあるように


1. リーダーたちを大切に (12,13)


3 行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。4 財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。5 どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。6 平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。7 その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。8 どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、9 その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。10 しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。11 『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。12 言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」


2. すべての人に忍耐強く愛をもって接する (14)

兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい。


3. 悪をもって悪に報いず、すべての人に善を (15)

だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。

あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。(マタイ5:38, 39)


4. いつも喜んでいなさい (16)

いつも喜んでいなさい。

5. 絶えず祈りなさい (17)

絶えず祈りなさい


メッセージのポイント
神様は私たちにどのような者であることを期待しておられるのでしょうか?パウロのリストはテサロニケの教会がどのようであったらキリストの体にふさわしいものとなれるかを示していますが、それは当時のテサロニケに限らず、あらゆる時代、地域、文化の中に置かれたすべての教会に当てはまるものです。ユアチャーチも聖霊の助けを借りて、本当に「聖なる」教会となれるように成長してゆきましょう。


話し合いのために
1)  このテキストの中で、あなたが一番強く示されたのはどの部分ですか?
2)  どのようにして、これらのことを実現しますか?

子供達のために
全てを取り上げる余裕はないかもしれません。いくつかをピックアップして話してあげて下さい。パウロが大切な手紙の最後に加えたとても大切な教えであることを伝えて下さい。<これを自分の力でやって神様に成績をつけてもらう>という道徳的なアプローチにならないように、神様の助けによって、少しづつ、神様に喜ばれるものと変えられてゆけることを伝え、期待して神様により頼んで進んでいこうと励まして下さい。

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<メッセージ全文>

2015/5/10 (1テサロニケ5:12-17,23-28)
ユアチャーチがもっと素敵になる10の秘訣(前半) 永原アンディ


序. パウロがこの手紙の最後に書いた強い願い (23-28)


23 どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。
24 あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます25 兄弟たち、わたしたちのためにも祈ってください。
26 すべての兄弟たちに、聖なる口づけによって挨拶をしなさい。
27 この手紙をすべての兄弟たちに読んで聞かせるように、わたしは主によって強く命じます。
28 わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にあるように

 今日のテキストは、この手紙の結びの部分です。そして、その中でも最後の部分からお話を始めたいと思います。パウロが、私たちにとっても重要な、真剣な願いでこの手紙を結んでいるからです。それは皆さんが日曜日の礼拝の中で、牧師の口から最後に聞く言葉でもあります。「わたしたちの主イエス・キリストの恵みがあなた方と共にあるように」(28) 私たちは毎週この言葉で、一週間の歩みを始めます。祝福の祈りは礼拝終了の合図ではありません。この言葉を、共に集い、それぞれの場へと出て行く時に、強い願いとして心を込めて交わされる挨拶として心に留めたいものです。そしてパウロは、私たちのために祈っていてほしい (25) とも願います。祈っていてもらえる、それは大変心強いことです。何かが起こる、自分で祈るだけでなく、祈りの応援を求める。そのために、この人々がいるのです。神様は私たちの祈りをひとつも聞き漏らすことはありません。
 23節に注目しましょう。平和の神様が私たちを全く聖なる者としてくださる、霊も魂も体も何一つ欠けたところのない、非の打ち所のないものとされるように、と願っています。そんなことが私たちにありえるのでしょうか?全く聖なる者、何一つ欠けたところのないもの、非の打ち所のないものとして下さる。それは神様が、欠けの多い私たちなのに、そのように見て下さるということです。神様は、私たちが何をしたかという成果ではなく、持ち続ける態度を見ておられます。パウロは、その態度について、12−22節で具体的に教えてくれています。ここに書かれている10のことが、私たちを主イエスに相応しい者たちへと成長できる秘訣なのです。今日は前半の5つを紹介します。順番に後半は31日にお話しする予定です。


1. リーダーたちを大切に (12,13)

3 行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。4 財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。5 どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。6 平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。7 その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。8 どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、9 その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。10 しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。11 『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。12 言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」

 リーダーたちを重んじ、愛を持って心から尊敬するとはどのようなことでしょうか?無条件に従わなければならない、批判してはならないということではありません。神様が教会にヴィジョンを与えるのはリーダーズのリーダーである牧師です。神様は直接牧師に語りかけるだけでなく、いろいろな人を通して語りかけ、ヒントを与えます。受け取り損ねて間違うこともあります。ですから、意見してほしいのです。「尊敬」はしなさいと言われてできるものではありません。しかし愛することはあなたの意志ににかかっています。教会でリーダーたちを尊敬できるのは、実績や経験ではありません。彼らが、確かに神様に立てられた牧師とそのティームと信じられるかどうかであるということを知ってください。
 リーダーを批判することは自由です。しかし、それを口にするのは、リーダーたちとよく話してみた後です。誰かから批判を聞いた人は、リーダーからも話を聞くべきです。そして判断してほしいのです。一方的な情報でリーダーたちを裁くのは正しいことではありません。愛するとはちゃんとコミュニケーションを保つことでもあるのです。それが「愛をもって心から」尊敬するということです。


2. すべての人に忍耐強く愛をもって接する (14)

兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい。

 リーダーへの態度ではなくても、イエスに従う者同士の良い関係の原則は同じであることがこの節でわかります。戒める、励ます、助ける。しかも“忍耐強く”です。ある人が、教会とはダンス教室のようなものだとと言いました。愛し合うことをダンスに例えているわけです。教会は愛する練習をするところだとも言えるということです。愛も、最初は相手の足を踏んでしまうことも多いけれど、忍耐して練習していけば上達してゆくダンスの練習のように、練習して上達できるものです。皆さんは十分練習時間を確保していますか?私たちは日曜日に集まりますが、日曜日はほとんど練習にはなりません。礼拝時間は練習時間ではありません。神様とのミーティングタイムです。ハドルもミーティングタイムです。ユアチャーチのどこに愛の教室の機能があるのでしょうか?一つにはミニチャーチです。メンバーにミニチャーチに加わることを求めている理由はここにあります。丁度良いものがなければ3人以上で始めましょう。最初の半年はリーダーの誰かがお手伝いします。その後あなたがリーダーになります。いかがですか?どのような組み合わせでもいのです。毎週か月に二回は実際に集まる。それ以外にもグループメールのやり取りやSNSのグループの機能を使えば、「気落ちしている者たちを励まし、弱い者たちを助けることができます。そして、それはすべての人に対して忍耐強く接するようになれるトレーニングにもなるのです。


3. 悪をもって悪に報いず、すべての人に善を (15)

だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。

 ひどい言葉にひどい言葉で応酬する。悪い態度には悪い態度で返す。やられたらやり返す。それでは憎しみは連鎖して増幅するばかりです。たとえ正義のためであっても、そのようなやり方は良いものを生むことはありません。それとは違う方法でアプローチしたガンディーやキング牧師は、悪を返さないやり方で勝利を得ることが出来たのです。でもそれは彼らのオリジナルではありません。暴力を暴力で返さない―それを世界で最初に提唱したのはイエスです。


あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。(マタイ5:38, 39)

 先週のメッセージを覚えていますか?私たちは狼の群れに送り込まれた子羊のようなものだと聞きました。先々週の「闇の中に置かれた光の子」という表現にも通じます。先週聞いたように、だから気をつけなさいといわれているのではなく、あえて「子羊」として生きなさいと言われているのです。わたしたちは、イエスご自身が神の子羊として地上での生涯を歩み通された事を知っています。今も私たちは、厳しい世界に生きていると言えるでしょう、自分勝手に力を振るっている人々がいる一方で、そのような物理的な、あるいは言葉の、また態度による暴力、差別、偏見に怯えている多くの人々がいるのです。彼らは私たちが別の狼やハイエナや狐であれば心を開いてはくれません。ただイエスのように「子羊」でなければならないのです。それは、とても怖いことです。一人ではできることではありません。しかしガンディーにもキングにも仲間がいました。最初は少人数のグループでしたが、勝利を勝ち取る頃には、武器で脅す人々でも手を出せないほどに大きくなり正義を実現しました。私たちが、人々にイエスを紹介し、イエスに従うことを勧めるのは、個人的な心の平安、救いが必要だからというだけではないのです。それだけではなくこの社会にイエスの思いを実現するためでもあるのです。


4. いつも喜んでいなさい (16)

いつも喜んでいなさい。

 「喜んでいるふりをしなさい」ではありません。また24時間365日そうしていなさいということでもありません。それでは、同じパウロが勧めている、誰かの悲しみや苦しみを共に担うことはできません。いつも喜んでいるとは人生のベースにイエスと共に歩んでいる喜びがあるということなのです。それはどんなに辛い境遇にあっても絶望しないで済むように、神様が心の一番深いところにおいてくださっている喜びです。誰かのために涙を流している時でさえ、その喜びはあるのです。このことを実感するために、次のことが必要となります。


5. 絶えず祈りなさい (17)

絶えず祈りなさい

 「祈り」は、今まで紹介してきたすべてのことを可能にする唯一のツールです。祈りについて丁寧にお話ししようとすれば、一年かけてシリーズでメッセージしても足りません。今日はそのエッセンスのエッセンスをお話します。祈りが唯一のツールなのは、それが神様との唯一のコミュニケーションツールだからです。神様の言葉である聖書でさえ、祈りなしに読むなら神様の言葉にはならないのです。そして祈りは「どのように」が重要なのではありません。回数や時間の長さ、どんな言葉を使うか、を問われているのではありません。口に出して、人の前でする祈りは、一つの祈りに過ぎません。皆の中で口に出して祈るのは、その祈りを共同の祈りとして神様に捧げるためです。誰かのために祈る時、神様が聞いてくださるということと、その人が祈られていることによって励まされるということが同時に起こるのです。神様はひとりでも多くの人が、大胆に誰かの為に祈ることを喜ばれます。ですから、まだそのような習慣を持っていない人も短い単純な祈りからはじめてみてください。一人でいる時は、心の中で祈ることも出来ます。これならいつでもどこでも祈ることが出来ます。

 さあ、それでは新しい一週間を初めましょう。今日聞いた5つのことを日常生活の中で活かして下さい。イエスに送り出された72人の人々が喜ばしい報告を持って帰ってきたように、来週もここに集まるとき皆さんの心に、誰かに話さずにいられないほど、うれしい知らせが満たされていることを願います。今週のミニチャーチが素晴らしい時となりますように。

 まだ解散ではありません。私たちは聖霊に満たされなければ一週間の旅を乗り切る事はできません。これからしばらくのあいだ、イエスに向かって歌います。歌を楽しむ時間ではありません、歌の中でイエスと顔と顔を合わせて向き合い、あなたの思いを伝え、イエスの思いを受け取る時です。モニターに歌詞が出ますから、覚えてなくても、初めてでも歌ってみてください。心の中ででも構いません。聖霊が自分に何をしてくださるか期待してこの時を過ごしましょう。

メッセージのポイント
神様は私たちにどのような者であることを期待しておられるのでしょうか?パウロのリストはテサロニケの教会がどのようであったらキリストの体にふさわしいものとなれるかを示していますが、それは当時のテサロニケに限らず、あらゆる時代、地域、文化の中に置かれたすべての教会に当てはまるものです。ユアチャーチも聖霊の助けを借りて、本当に「聖なる」教会となれるように成長してゆきましょう。


話し合いのために
1)  このテキストの中で、あなたが一番強く示されたのはどの部分ですか?
2)  どのようにして、これらのことを実現しますか?

子供達のために
全てを取り上げる余裕はないかもしれません。いくつかをピックアップして話してあげて下さい。パウロが大切な手紙の最後に加えたとても大切な教えであることを伝えて下さい。<これを自分の力でやって神様に成績をつけてもらう>という道徳的なアプローチにならないように、神様の助けによって、少しづつ、神様に喜ばれるものと変えられてゆけることを伝え、期待して神様により頼んで進んでいこうと励まして下さい。