<メッセージノート>

2015/5/24 ペンテコステ (使徒言行録 2:1-13)
ユアチャーチがもっと素敵になる10の秘訣(後半)

永原アンディ



序 先週のペンテコステのメッセージを思い出しましょう

6. 感謝しなさい (18)

どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。


7. 聖霊に期待する (19)

“霊”の火を消してはいけません。


8. 預言を重んじる (20)

預言を軽んじてはいけません。


9. よく吟味して良いものを大切にする (21)

すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。



10. 悪から遠ざかる (22)

あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。


メッセージのポイント
 神様は私たちにどのような者であることを期待しておられるのでしょうか?パウロのリストはテサロニケの教会がどのようであったらキリストの体にふさわしいものとなれるかを示していますが、それは当時のテサロニケに限らず、あらゆる時代、地域、文化の中に置かれたすべての教会に当てはまるものです。ユアチャーチも聖霊の助けを借りて、本当に「聖なる」教会となれるように成長してゆきましょう。

話し合いのために
1) 私たちにとって預言を重んじるとはどのようなことを意味するのでしょうか?
2) わたしたちが教会の在り方として大切にしてきた良いことを上げてみてください?

子供達のために
聖霊は見えないけれどいつも近くにいてくれる神様として、預言は聖書のお話やメッセージとして紹介していただけたら良いと思います。<これを自分の力でやって神様に成績をつけてもらう>という道徳的なアプローチにならないように、神様の助けによって、少しづつ、神様に喜ばれるものと変えられてゆけることを伝え、期待して神様により頼んで進んでいこうと励まして下さい。

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<メッセージ全文>

2015/5/24 ペンテコステ (使徒言行録 2:1-13)
ユアチャーチがもっと素敵になる10の秘訣(後半)

永原アンディ



序 先週のペンテコステのメッセージを思い出しましょう

 先週私たちは、日々神の霊に満たされて生きる事の大切さを、ペンテコステの出来事から学びました。ペンテコステの出来事によって始まったキリスト教会には多くの人々が集まり、周りの人々にも好意を持たれていました。私たちも彼らのような魅力的な教会でありたいと思います。なぜ教会は魅力的であるべきなのでしょうか?それは、誰にとっても必要なイエスを人々を引き合わせるものだからです。またイエスに出会ったひとが、癒やされ、育てられるところだからです。そこで私たちが魅力的になるというのは、ゴテゴテといろいろなもので飾り付けることではありません。むしろシンプルな、中身がよく見える包装のようであるべきです。私たちが目指すところは、楽しいイベントがある、音楽的に、芸術的に魅力がある教会ではありません。イエスが見える、イエスに会える、イエスが分かるという意味で魅力的になりたいのです。そのために必要なことを前回5番目までお話してきました今日は後半の5つです。


6. 感謝しなさい (18)

どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

 日本語の訳は「どんなことにも」ですが、これは少し誤解しやすい表現です。何かを盗まれても「泥棒さんありがとう、神様、泥棒さんを感謝します」と思いなさいと言っているわけではありません。英語の訳のように、どのような状況に置かれても感謝しなさい、という意味です。起こった事自体を何でもありがたく思えということではありません。何が起こったとしても、それが辛く悲しいことであっても、神様がいて下さり、かならず問題を乗り越えさせて下さるという事を感謝するのです。それは信頼しなさいと言い換えても良いことです。あなたがそうできるようになることは、あなたの心の安定になるだけではありません。あなたの周りの神様を信頼できないでいる人々の支えになるのです。あなたが、不安を訴える人々に向かって、心からそう信じて「大丈夫、神様は悪いようにはなさらない」と言ってあげることが、その人の人生の、(あなたも経験したことのある)ターニングポイントに導くのです。神様はそのために私たちに聖霊を送られたのです。聖霊の働きなしには誰も「どんな状況においても」感謝するなどということは出来ないのです。そこで次の、「神の霊=聖霊に期待する」ということが大切になってきます。



7. 聖霊に期待する (19)

“霊”の火を消してはいけません。

 ペンテコステの出来事から2000年以上たった今の教会には、しっかりと霊の火がともされているでしょうか?この火は何度も消えかけましたが、今でもともされています。この警告を教会は忘れなかったからです。教会が冷たく火の消えたようなものになりかけるたびに、聖霊は人々を起こし教会を刷新してきました。その中にはルターのように名前の残っている人もいますが、もっと多くの名前の知られていない人々が、消えかけている聖霊の火に自分を、その中にくべるようにして再び燃え上がらせて来たのです。それは、先週お話したように聖霊に満たされることを求め続ける人です。皆さんにも、その一人となってもらいたいのです。それは目覚ましい賜物、昔通りの異言や預言を求めるということではありません。それらが結果として与えられることを否定はしませんが、もっと大切なことは聖霊に満たされた人が結ぶ聖霊の実といわれるものなのです。「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。」But the fruit of the Spirit is love, joy, peace, patience, kindness, goodness, faithfulness, gentleness and self-control.(ガラテア5:22,23) 皆さんの中には、異言や預言など聖霊の賜物を強調するグループの背景を持った方も多いと思います。私自身もそのような背景を通ってきましたが、今では、聖霊に期待するのはその実であって、賜物を獲得したり用いたりすることではないと考えています。賜物を用いる何人もの“聖霊の器”と讃えられた人が愛の実を実らせるどころか、自分が何か偉い者であるかのように錯覚し、スキャンダルを起こして神様を悲しませ、キリストの名を傷つけるのを見てきました。目覚ましい聖霊の働きが起こったと聞けば、人々は群がり、その働きは富と名誉をもたらし、そのような繁栄を求めることが信仰だと考える人々が今でも多くいるのです。けれどもユアチャーチは、繁栄のために聖霊を求めはしません。もっと愛するために聖霊に期待しましょう。



8. 預言を重んじる (20)

預言を軽んじてはいけません。

 預言も聖霊の賜物の一つです。現代における預言とは、どのようなものかということでも、様々な異なる考えがあることを知って下さい。自分を預言者と呼ぶ、偽預言者を警戒して下さい。神の預言者とは、神の言葉を預かって伝える者であって、あなたの未来を言い当てる者ではありません。それは、自分を預言者と呼ぶ占い師であり、神様が嫌われる者です。ですから、預言を重んじるとは、自称預言者を尊敬したり、その言葉に一喜一憂することではありません。
 それでは現代の預言者とはどのような人のことを指すのでしょうか?神様の言葉を預かって伝える者という意味なら、聖書のメッセージをするものは預言者と言ってもいいはずです。日曜日のメッセージは神様からの預言の一つだと私は考えています。またメッセンジャーではなくても、共に祈っている時に、神様の言葉が誰かの心に心に浮かび、シェアすることも現代の預言だと思います。それは占いの言葉ではなく、励ましたり、慰めたり、戒めたりする言葉です。



9. よく吟味して良いものを大切にする (21)

すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。

 今、話してきた霊の賜物について、パウロはそれを鵜呑みにせずによく吟味して受け取りなさいと勧めています。偽預言者や霊的な賜物を間違って用いる人は当時からいたのです。更にここから私たちは、霊的なことにかぎらず、私たちの態度や行いについてもよく吟味することを求められているのだと思います。毎月持たれるリーダーたちのミーティングは私たちの姿勢を吟味するところなのです。良いもの悪いものの中には、時代や状況によって変化するものもあります。神の愛、人間の罪の性質などのように時代や文化を超えて変わることのないものもありますが、今まで良かったものが永遠に良いとは限りません。悪いものが悪いままではないということも起こります。また常識とされていること、多くの人が受け入れていることでも、良いものとは限りません。だから「吟味する」ということが求められます。特に自分の言動はよく吟味されるべきものです。それは相手にとって(自分にとってではありません)益になることだろうか?それが吟味すべき第一のポイントです。そして良いものであるなら大切にするのです。吟味するためには、関心をもつこと、注意深く観察すること、賢く判断することが大切です。また、始める勇気、止める勇気、続ける忍耐力が求められます。すべて神様の助けなしには出来ないことです。だから私たちは聖霊に期待するのです。


10. 悪から遠ざかる (22)

あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。

 これが最後のポイントですが、悪とは何か?というということからはじめなければなりません。しかしこれを丁寧にやると恐ろしく時間がかかってしまいます。哲学、宗教、文化、歴史によってその基準や考え方が様々であるからです。そこでそれ以外のことはWikipediaに任せることにして、聖書のいう悪とは何かということだけをお話しし手始めたいと思います。それは意外にシンプルです。罪の結果生じるものすべてが悪なのです。そこで罪とはなにかということですが、それは「神から離れている人間の状態」ということです。私達を作った神様に従うのではなく、自分自身の欲望に従って生きるライフスタイルが「罪」です。聖書はそれがすべての悪の始まりだというのです。兄弟げんかから戦争まで自己中心的な態度が原因なのです。ところで、私たちは、教会が悪の影響を受けるということがある、ということを知らなければなりません。神様を信じている人々の集まりなのになぜ?と思うかもしれません。教会は、赦された罪人の集まりです。神に赦され、自己中心的にではなく、神の意志に従っていきたいと願ってはいますが、罪の性質が心から消え去ったわけではありません。だから、さきほどの吟味を行い、良いものを大切にするだけでは足りないのです。
悪に対しては、ただ関わらないというだけでなく、積極的に離れようとするのでなければ悪は近づき、私たちの内にある罪の性質がそれに共鳴(sympathize)して、私たちの心に、教会に悪は出現する恐れがあります。また悪は、油断していたら外からの働きかけがなくても心の中に生じるでしょう。どこに生じた悪であれ、それらは投げ捨てるように離さなければ、カビのように増え広がります。
 自分の行動や教会で行われていることが、神様や人々への愛に基づくものなのか、それとも、利己的な動機に基づくものなのかが判断の基準です。
 ユアチャーチが、イエスを紹介するのにふさわしい、本当に「聖なる」教会となるための10のポイントを二回に分けてお話してきました。これらのことを心に留めて、聖霊の助けを借りて成長してゆきましょう。



メッセージのポイント
 神様は私たちにどのような者であることを期待しておられるのでしょうか?パウロのリストはテサロニケの教会がどのようであったらキリストの体にふさわしいものとなれるかを示していますが、それは当時のテサロニケに限らず、あらゆる時代、地域、文化の中に置かれたすべての教会に当てはまるものです。ユアチャーチも聖霊の助けを借りて、本当に「聖なる」教会となれるように成長してゆきましょう。

話し合いのために
1) 私たちにとって預言を重んじるとはどのようなことを意味するのでしょうか?
2) わたしたちが教会の在り方として大切にしてきた良いことを上げてみてください?

子供達のために
聖霊は見えないけれどいつも近くにいてくれる神様として、預言は聖書のお話やメッセージとして紹介していただけたら良いと思います。<これを自分の力でやって神様に成績をつけてもらう>という道徳的なアプローチにならないように、神様の助けによって、少しづつ、神様に喜ばれるものと変えられてゆけることを伝え、期待して神様により頼んで進んでいこうと励まして下さい。