<メッセージノート>

2015/06/28 メッセージノート (ルカ11:14-28, エフェソ6:10-18)
神様の言葉によって戦う 池田 真理


0. 聖書の教える世界観 (エフェソ6:10-18)

10 最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。11 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。12 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。13 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。14 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、15 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。16 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。17 また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。18 どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。


1. 私たちが陥る危険

a. 悪魔の味方をする危険 (14-23)

14 イエスは悪霊を追い出しておられたが、それは口を利けなくする悪霊であった。悪霊が出て行くと、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆した。15 しかし、中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、16 イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。17 しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。18 あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。19 わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。20 しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。21 強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物は安全である。22 しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。23 わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。」


b. 悪魔に支配される危険 (24-26)

24 「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。25 そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。26 そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」


2. 武器は神様の言葉 (27-28, エフェソ6:10-18)



メッセージのポイント
聖書は、この世界には神様と悪魔の二つの力が働いていて、人間は神様に仕えるか、悪魔に仕えるかのどちらかしかないと教えています。積極的に悪魔に従おうとしなくても、神様を否定するなら悪魔の味方をしていることになります。また、神様を積極的に求めていなければ、簡単に悪魔の支配を許してしまいます。私たちが神様から離れることを悪魔は一番喜びます。悪魔につけいる隙を与えないように、神様の言葉をよく聞いて従いましょう。

話し合いのために
1) 悪魔と私たちの罪の関係はどうなっているでしょうか?
2) 神様から私たちを引き離すものは具体的に何でしょうか?

子供達のために
子供達に説明するには難しい箇所なので、27-28節にフォーカスしてみてください。この女性は、イエス様の素晴らしさに心を打たれて、イエス様を産んだお母さんをうらやましく思ったのかもしれません。「こんな立派な息子さんがいるなんて!」と。でも、神様から見れば、イエス様を産んだ母マリアも特別な人間ではありません。マリアも「神様の言葉を聞き、それを守った人」です。神様によく聞いてよく祈る(エフェソ6:18)ことで、神様は私たちをどんな状況でも守って下さると教えてください。

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<メッセージ全文>

2015/06/28 メッセージノート (ルカ11:14-28, エフェソ6:10-18)
神様の言葉によって戦う 池田 真理

 今日もルカによる福音書の続きを読んでいきますが、今日は少し難しい箇所です。今日の箇所を読むと、イエス様は神様と悪魔の間の戦いを前提にしているようです。神様と悪魔の争いというと神話かSF小説のようですが、聖書はいたるところで、この戦いに私たちも参加しているとはっきり言っています。私たちは日々、色々な形の戦いをしていると思います。でもその背後には、常に悪魔が見え隠れしています。悪魔は、私たちを神様から引き離すためなら何でもするからです。自分の欲望、願いだけを追い求めようとする私たちの罪を助長させ、神様を悲しませる悪を引き起こさせます。いろいろな悲しい出来事を通して、神様は良い方だという希望を捨てさせようとします。そこで今日は、ルカによる福音書を読む前に、この私たちと悪魔の戦いについてもう少し直接的に説明がされている箇所を先に読んでおきたいと思います。エフェソの信徒への手紙6章10節からです。


0. 聖書の教える世界観 (エフェソ6:10-18)

10 最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。11 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。12 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。13 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。14 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、15 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。16 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。17 また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。18 どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。

 盾や兜、剣と、戦場の兵隊のイメージが印象に残ります。でも、12節にははっきりと、私たちが戦う相手は人間ではなく、悪魔的存在だと言われています。ちょうど先週読んだ第二テサロニケの箇所にも、人間の背後に働く「不法の者」が出てきました。歴史上どんなに悪名高い人であっても、その人一人で悪事を働いたわけではありません。その人を支持し、権力を与え、自分の利益のために利用しようとしたその他大勢の人々がいました。だから特定の人が悪魔に操られていると糾弾することできません。むしろ私たちが注意すべきなのは、私たち自身も含め、誰もが持っている自己中心性という罪です。私たちは誰でも、神様から離れてしまえば、この罪を悪いと思わなくなり、どんどん悪を生み出してしまいます。それが集団になれば悪は増幅していくばかりです。それが悪魔の力です。私たちの罪を増幅させ、神様から私たちを引き離し、神様の悲しまれることを起こします。だから、パウロは「神の武具を身につけなさい」と言っています。神様のそばにいて、神様に守っていただかなければ、私たちは悪魔の力に巻き込まれてしまいます。神様の力と悪魔の力が働いている世界、これが聖書の教えている私たちの世界の状態です。私たちの身近な人間関係でも起こっていることでもあり、人類の長い歴史で起こってきたことでもあります。人類は、何度も痛い目を見ながら、悪魔の力に屈した過去の過ちを繰り返すことのないように多くの努力をしてきました。人権、法の支配、民主主義という考え方自体がなかった時代、悪魔は今よりもっと力をふるっていたと言えると思います。今でも到底神様の喜ぶ世界になっているとは言えませんが、それでも、差別や抑圧をなくすために多くの人が熱心に働き、平和を維持するための秩序が造られています。でもそれも結局はまた人間の手によって壊されてしまうこともあるかもしれません。私たちは神様を離れるなら、悪魔に従うしかないからです。では今日の箇所に入っていきましょう。最初に14-23節です。


1. 私たちが陥る危険

a. 悪魔の味方をする危険 (14-23)

14 イエスは悪霊を追い出しておられたが、それは口を利けなくする悪霊であった。悪霊が出て行くと、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆した。15 しかし、中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、16 イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。17 しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。18 あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。19 わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。20 しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。21 強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物は安全である。22 しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。23 わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。」

 先週のメッセージでも、「偽りの奇跡としるしと不思議な業」があると教えられました。不思議な力は、神様によるものだけでなく、悪魔によるものもあるということです。でも今日の箇所は反対です。本物の神様の働きを見落としてはならないということです。イエス様が神様の働きを担っていること、もっと端的に言えばイエス様は神様であるということを見落すのはとても危険なことです。それは、神様を神様と認めないなら、望むと望まないに関わらず、悪魔の側に立つことになるからです。21-23節は理解するのが難しいですが、このことを示しています。私たちが神様の助けを求め、神様の側にいるなら、悪魔は入ってこられません。でも、神様なんか必要ない、自分の思い通りに生きたいと願うなら、私たちは自分から悪魔を招き入れています。悪魔より神様が強いのは知っているはずなのに、自分に都合がいいから、悪魔の方が強いように錯覚します。そして、神様の愛なんて頼りないから、自分の思い通りに生きた方が楽だし楽しいし、何も悪いことはないという悪魔の誘いに耳を傾けてしまいます。それが悪魔の嘘だと気がつかないうちにです。私たちの罪は、元来神様から離れようとし、悪魔の側に行こうとするものだからです。神様を求めなければ、悪魔を求めているつもりがなくても、悪魔の味方をしていることになるということです。そして、神様を敵に回して、神様の愛から自分も離れ、他人も引き離す行動をしてしまうことになります。その結果は悲惨です。続きを読んでいきましょう。


b. 悪魔に支配される危険 (24-26)

24 「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。25 そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。26 そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」

 イエス様がこれを言われたのは、口を利けなくする悪霊を追い出した直後です。イエス様に一度悪霊を追い出されて苦しみから解放されても、残念ながらそれで一生安全なわけではないということです。今日最初に読んだエフェソへの手紙でパウロが言っているように、私たちは神様の武具で戦いを続けなければいけません。神様はどういう方なのか、聖霊に助けられて理解を深める必要があります。ただ助けられた、解放されたということを喜んで、感謝もなくそのままでいるなら、結局神様とは何の関係もないことになってしまいます。それは、助けてくれるものなら何でもいいというのと同じです。自分の願いをかなえてくれるものなら何でも神様ということになってしまいます。そうなれば簡単に悪霊は戻ってきて、神様ではない多くの虚しいものを崇めるように働きかけるでしょう。「そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる」のです。繰り返しになりますが、神様を求めなければ、悪魔が入り込んでくるということです。神様なしには、私たちは悪魔の攻撃に非常に弱く、簡単に支配されてしまうということです。

今日の残りの箇所は、一見これまでの内容から浮いているように思えます。でも一番大切なことを教えてくれています。読んでいきましょう。


2. 武器は神様の言葉 (27-28, エフェソ6:10-18)

27 イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声高らかに言った。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。」28 しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」


 この女性は、イエス様の素晴らしさに感動し、イエス様を産んだ母親をうらやましく思ったのだと思います。神様の子を生むという役割は、確かに歴史上マリア一人にだけ与えられた大役です。でも、マリアも「神の言葉を聞き、それを守った」に過ぎません。それが私たち全てにできる最大のことであり、同時に求められているただ一つのことだからです。もう一度最初に読んだエフェソへの手紙を思い出しましょう。神様の武具として出てきたのは、胸当て、兜、盾など防具がほとんどでしたが、その中で唯一武器となるものが出てきました。それが、神様の言葉という霊の剣です。私たちは神様の言葉によって、悪魔と戦うということです。神様が言われることを聞き分けるのが、悪魔に対抗するために最も強い武器だということです。それはつまり、神様はどういう方なのか、何を喜び、何を悲しまれるのか、それを求めることです。このことに関しては続く箇所で言われているので、来週詳しくお話しします。今は、パウロの言葉を心に留めましょう。10節「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。」18節「どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」神様は、十字架で苦しんで死なれるほど、私たち全てを愛してくださっている方です。私たちにご自分の霊を送り、どんな時でも守り導いてくださる方です。この主に依り頼んで、どんな時でも悪魔の偽りの言葉ではなく、主の真実に耳を傾けましょう。


メッセージのポイント
聖書は、この世界には神様と悪魔の二つの力が働いていて、人間は神様に仕えるか、悪魔に仕えるかのどちらかしかないと教えています。積極的に悪魔に従おうとしなくても、神様を否定するなら悪魔の味方をしていることになります。また、神様を積極的に求めていなければ、簡単に悪魔の支配を許してしまいます。私たちが神様から離れることを悪魔は一番喜びます。悪魔につけいる隙を与えないように、神様の言葉をよく聞いて従いましょう。

話し合いのために
1) 悪魔と私たちの罪の関係はどうなっているでしょうか?
2) 神様から私たちを引き離すものは具体的に何でしょうか?

子供達のために
子供達に説明するには難しい箇所なので、27-28節にフォーカスしてみてください。この女性は、イエス様の素晴らしさに心を打たれて、イエス様を産んだお母さんをうらやましく思ったのかもしれません。「こんな立派な息子さんがいるなんて!」と。でも、神様から見れば、イエス様を産んだ母マリアも特別な人間ではありません。マリアも「神様の言葉を聞き、それを守った人」です。神様によく聞いてよく祈る(エフェソ6:18)ことで、神様は私たちをどんな状況でも守って下さると教えてください。