<メッセージノート>
救い主・生ける神に希望をおく
永原アンディ
A. 神様の言葉があなたをよい奉仕者にする
1. 俗悪で愚にもつかない作り話を退ける (6-8)
6 これらのことを兄弟たちに教えるならば、あなたは、信仰の言葉とあなたが守ってきた善い教えの言葉とに養われて、キリスト・イエスの立派な奉仕者になります。
7 俗悪で愚にもつかない作り話は退けなさい。信心のために自分を鍛えなさい。
8 体の鍛練も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。
2. 生ける神に希望をおく (9,10)
9 この言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。
10 わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです。
B. 次世代への忠告
1. 賜物を軽んじてはいけない (11-14)
11 これらのことを命じ、教えなさい。
12 あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。
13 わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。
14 あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。その賜物は、長老たちがあなたに手を置いたとき、預言によって与えられたものです。
2. 結果はついてくる (15, 16)
15 これらのことに努めなさい。そこから離れてはなりません。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。
16 自分自身と教えとに気を配りなさい。以上のことをしっかりと守りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります。
メッセージのポイント
この若い牧会者への手紙は、私たちに私たちの牧会者に対してどのような態度で尊敬したら良いのかを教えてくれます。まずすべての基準は“神様の言葉”にあることを覚えましょう。そして新しい世代の指導者を迎えるための準備期間の中にある私たちは、神様が与えて下さった未来の牧会者が良い準備をすることが出来るように、期待して、祈り、重んじ、神様に感謝しましょう。
話し合いのために
1) このテキストが教えてくれた最も重要なことはどのようなことですか?
2) 私たちの教会はどのような季節にあるのでしょうか?
子供達のために
牧師たちがユアチャーチでどのような存在であるのかを考えさせて下さい。私が今は責任者ですが、ここから徐々に真理ちゃんがその立場を担うことになる、私たちはそのような時期におかれているということを知らせて下さい。真理ちゃんが、皆さんの模範です。そのような人として見習い、また彼女が務めを全うできるように祈って下さい。
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<メッセージ全文>
救い主・生ける神に希望をおく
永原アンディ
A. 神様の言葉があなたをよい奉仕者にする
1. 俗悪で愚にもつかない作り話を退ける (6-8)
6 これらのことを兄弟たちに教えるならば、あなたは、信仰の言葉とあなたが守ってきた善い教えの言葉とに養われて、キリスト・イエスの立派な奉仕者になります。
7 俗悪で愚にもつかない作り話は退けなさい。信心のために自分を鍛えなさい。
8 体の鍛練も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。
すでにテモテの指導者としての資格を認めエフェソの教会を任せているパウロですが、さらにテモテが成長する可能性と必要を感じていることが最初の節でわかります。これらのこととは、直前の1-5節というよりは、ここまで手紙で書いてきたこと全体と考えたら良いでしょう。興味深いのは、教えることを通して、信仰の言葉、良い教えの言葉がテモテ自身を養い、キリスト・イエスの立派な奉仕者に育てるという点です。前回は、教会が人間関係だということをお話しましたが、その人間関係とは、これら、信仰の言葉、良い教えの言葉によるコミュニケーションによって成り立っているのです。関係を保つ言葉ならなんでもいいというわけではありません。うわさ話、ゴシップもそこにいる人々に一体感を与えますが、イエスを信じる者にはふさわしくないとブレーキもかかります。ところが、天国や地獄や終末についての空想話は一見、信仰的に感じられるので夢中になりすぎて異端的な考えに陥るということがよく起こります。「天国(地獄)はほんとうにある、私は見てきた」的な本や映画が注目されますが? そういったものをありがたがる人には、「そんな情報を鵜呑みにしていいのですか?聖書が教えていることだけで満足すべきではないですか?」と言わなければなりません。聖書の理解を深める信仰の本と、聖書が語らないことを神様が自分に啓示したというような本や映画とははっきり区別しなければなりません。残念ながらオアシスにある本のすべてが益になるわけではありません。
地上での時間は限られています。時間は有効に使いましょう。そこで、私たちが行わなければならないのは、体を鍛錬するように、神様に信頼を置く鍛錬です。間違わないでもらいたいのですが「救われるように鍛錬する」「神様に繋がれるように鍛錬する」のではないのです。これは神様からの一方的な恵みであって、鍛錬や修業によって獲得できるものではありません。そうではなく、この救いの事実が私たちの心にどんなことがあっても揺らがないように鍛錬することはできるし、してゆかなければならないということなのです。それではどのような信頼を確かにするために、どのように鍛錬するかということを次の部分から考えてみましょう。
2. 生ける神に希望をおく (9,10)
9 この言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。
10 わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです。
私たちと神様との関係は確立されています。しかしそれにもかかわらず、私たちは労苦を続けます。イエスのように愛に生きることは簡単なことではないのです。それで、しばしば信頼は揺らぐのです。本当に愛するとは、見返りを期待しないということです。相手が喜んでくれるどころか、振り返ってももらえない、時には攻撃されるかもしれないのです。イエスの十字架はまさにそのようなものでした。リスクを承知で私たちを愛し、わかっていた通りの苦しみを受けて地上での歩みを終えられたのです。ですから、イエスに従うということは、労苦の連続の果てに地上での歩みを終えることを受け入れることです。それなのになぜ人はイエスに従いたいと願うのでしょうか?それは他のものではなく生ける神、キリスト・イエスに希望をおいているからです。私たちは、キリスト以外の富や名誉が不確かで、そこに希望を置けないことを知っています。本当にイエスに従いたい人は、信じることによって自分が繁栄したくて従うのではありません。イエスと共にいることが最上の喜びなので従うのです。労苦が多いということは鍛錬のチャンスが多いということです。一つの労苦を乗り越え神様に感謝するごとに私たちの信仰は少しずつステップアップしてゆきます。私たちは、「神様が自分にイエスに従って歩むという最善の道を備えられた」という信頼を、一つ一つの愛の労苦によって鍛錬し、確かなものとしてゆくのです。
B. 次世代への忠告
1. 賜物を軽んじてはいけない (11-14)
11 これらのことを命じ、教えなさい。
12 あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。
13 わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。
14 あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。その賜物は、長老たちがあなたに手を置いたとき、預言によって与えられたものです。
私たちは、これまでお話してきた信仰の鍛錬を独りでしなければならないわけではありません。ここに同じ生き方を喜んでいる人々がいます。そして神様が与えてくださった指導者が与えられています。この、若い指導者テモテに対するパウロの命令として書かれている一連の内容は、指導者の役割を知って聞き従うべきことを私たちにも教えてくれます。ここで、わたしたちは年が若いということで指導者を軽んじてはいけないと知ります。そして、そうであれば12節後半の一つ一つの点は、決して皆さんが若い指導者を評価するためのチェックリストではないということを知らなければなりません。そうではなく指導者自身が自身を戒めるために用いるリストです。
パウロはテモテにどのようなことに専念しなさいと命じているでしょうか?「聖書の朗読と勧めと教え」とあります。今日最初にお話した、信仰の言葉、良い教えの言葉によるコミュニケーションです。これらのことによって、自身も成長し、教会も成長するのです。14節は誰が教会の指導者を立てるかということをはっきりと教えてくれる一節です。教会の指導者は、なりたい人やその才能のある人がなるものではありません。また政治家なら「したい人よりさせたい人」と行ったりもしますが、教会の指導者は、人々が「なってもらいたい」と思う人でもありません。そうではなく神様が呼び出した者、召命を受けた者だけがなることが出来るのです。そして神様は、呼び出した者に賜物を与えて、その任に耐えるようにしてくださいます。本人の生まれつきの才能や努力によってではないのです。もちろん鍛錬という事柄を学んだように、与えられた賜物をより良く用いる、賜物に恵まれない事柄であっても出来る限りのことをするためには努力が必要です。しかし、決して欠かすことができないのは「召命」です。神様は才能のない者を呼び出し賜物を与えて用います。なぜ才能ではないのでしょうか?それは自分を誇らないためです。自分の働きを誇らない人、賜物を感謝し謙虚に仕える人を神様は豊かに用いてくださるでしょう。
2. 結果はついてくる (15, 16)
15 これらのことに努めなさい。そこから離れてはなりません。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。
16 自分自身と教えとに気を配りなさい。以上のことをしっかりと守りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります。
パウロはこの後の5章以下で教会に集う様々な境遇の人々にどう接すればよいかということをテモテに教え始めます。それに先立って、今日の箇所では、自分自身の鍛錬の勧めや、指導者として神様が立てられたということの根拠について話してきました。パウロはそのまとめの部分であるこの部分でも、指導者テモテが成長し続けることを願っています。それは結局、神様の言葉の教えるところを教え、自分自身がその教えからかけ離れた者になってしまわないように信仰の鍛錬を欠かさないということでしょう。肉体はあるところまで成長して下り坂を迎えます。しかし魂は違います。成長は続くのです。イエスに近いものとされてゆく成長です。この事について私たちはインスタントな方法を持ってはいません。祈ることも聖書を読むこともとても大切なことです。しかし、一日に1時間以上祈り、週に一日は徹夜や断食をして祈るといったことが私たちを成長させるのではありません。また聖書を一年に一回通読することも悪くはありませんが、それ自体に成長の効果を期待することはできません。魂の成長は教えられたことを生活の中で応用してみること、人々を愛してみることの中にあります。そこでの成功や失敗、喜びや悲しみが私たちを主を信頼して揺らがない者に成長させてくれます。皆さんもウイークデーの牧師ですから、若い指導者テモテに習って、自分自身と教えとに気を配りましょう。それがあなたを成長させ、あなたの周りの人々をイエスの愛に導くのです。焦る必要はありません。忠実であれば結果はついてきます。また皆さんの牧師である私たちの成長のためにも祈って下さい。
メッセージのポイント
この若い牧会者への手紙は、私たちに私たちの牧会者に対してどのような態度で尊敬したら良いのかを教えてくれます。まずすべての基準は“神様の言葉”にあることを覚えましょう。そして新しい世代の指導者を迎えるための準備期間の中にある私たちは、神様が与えて下さった未来の牧会者が良い準備をすることが出来るように、期待して、祈り、重んじ、神様に感謝しましょう。
話し合いのために
1) このテキストが教えてくれた最も重要なことはどのようなことですか?
2) 私たちの教会はどのような季節にあるのでしょうか?
子供達のために
牧師たちがユアチャーチでどのような存在であるのかを考えさせて下さい。私が今は責任者ですが、ここから徐々に真理ちゃんがその立場を担うことになる、私たちはそのような時期におかれているということを知らせて下さい。真理ちゃんが、皆さんの模範です。そのような人として見習い、また彼女が務めを全うできるように祈って下さい。