<メッセージノート>

2015/12/20 クリスマス礼拝メッセージノート (マタイによる福音書1:18-23)
キリスト・イエス・インマヌエル
永原アンディ


18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

A. キリストを待ち望む (18)

18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。

1) 待ち望まれていた救い主 (哀歌 3:22-24)

(哀歌 3:22-24) 主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。 それは朝ごとに新たになる。「あなたの真実はそれほど深い。 主こそわたしの受ける分」とわたしの魂は言いわたしは主を待ち望む。



2) 預言されていた救い主の降誕 (イザヤ 7:14)

(イザヤ 7:14) それゆえ、わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産みその名をインマヌエルと呼ぶ。



B. イエスをキリストとして信じる (19-22)

19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。


1) なぜイエスを信じることが必要なのか? (ヨハネ 16:6)

(ヨハネ 14:6) イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。



2) イエスをどう信じたらよいのか? (ローマ 10:9)

(ローマ 10:9) 口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。


C. インマヌエル:イエス・キリストと共に歩む人生 (23)

23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

1) インマヌエルとは



2) インマヌエル人生



メッセージのポイント
クリスマス、イエスキリストの誕生日。私たちが二千年以上にわたってその日を祝うのには理由があります。クリスマスは、私たちがイエスと共に歩む幸いな人生のために神様が下さった、イースターと並ぶ最も重要な意味を持つ二つの祝日のうちの一つです。

話し合いのために
1) あなたはなぜクリスマスを祝うのですか?
2) インマヌエルとは何ですか?

子供達のために
イエスは今も信じる人と共にいてくださることを子供達にも伝えてください。どんなことがあってもイエスからくる希望は消えないことを彼らの心にしっかりと植えつけてください。

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<メッセージ全文>

2015/12/20 クリスマス礼拝メッセージノート (マタイによる福音書1:18-23)
キリスト・イエス・インマヌエル
永原アンディ

 いよいよクリスマスウイークです。今年のクリスマス礼拝はマタイの福音書から、その良い知らせを聞きましょう。マタイによる福音書1:18-23です。

18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

 マリアとヨセフは生まれた子供をギリシャ語であるイエスースとは呼ばず、アラム語イェーシューア(ישוע, Yeshua)あるいはヒブル語でヨシュア(イェホーシューア、יְהוֹשֻׁעַ, Yehoshua)と、彼らの使っていた言葉で呼んだはずです。ヨシュアはモーセの後継者の名として知られていますが、イスラエルではありふれた名前です。しかし生まれてくる子供が本名以外の名でも呼ばれることになるとマリアは天使から夢で告げられました。私たちは今日、その三つの呼び名を心に留めてクリスマスの意味を深く知りたいと思います。


A. キリストを待ち望む (18)

18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。

1) 待ち望まれていた救い主 (哀歌 3:22-24)

(哀歌 3:22-24) 主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。 それは朝ごとに新たになる。「あなたの真実はそれほど深い。 主こそわたしの受ける分」とわたしの魂は言いわたしは主を待ち望む。


 まだ読んだことのなかった方は哀歌を、クリスマスイヴの前までに読んでみていただきたいと思います。そうすればクリスマスの素晴らしさがもっと心に響くと思います。哀歌はその名の通り、深い悲しみと哀れな状態を嘆く言葉で満ち満ちています。しかし今読んだ箇所は例外的に信頼と希望が記されています。イスラエルで最も尊敬された王ダビデの時代から1000年近く、人々は失望と苦しみの繰り返しの中でもう一度ダビデのような指導者が登場することを切望していたのです。神様がもう一度憐れみを示され、偉大な王が与えられる。それが当時の人々の「メシアを待つ」ことの意味でした。
 ここで皆さんに問いかけたいことは、皆さんも誰かを待っていたのではないかということです。本当に頼りになる者、強いけれども優しい保護者。ここにはいたくないとかこのままではいけないという現状から救い出してくれる者です。クリスマスはそのよう者を待ち望むすべての人に対する神様の答えです。この答えがクリスマス=イエスの誕生であることは唐突になされたわけではありません。700年近く前から預言者を通して知らされていたことなのです。イザヤ書 7:14 を読みます。


2) 預言されていた救い主の降誕 (イザヤ 7:14)

(イザヤ 7:14) それゆえ、わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産みその名をインマヌエルと呼ぶ。


 ここにクリスマスの出来事が預言されています。インマヌエルという名前が今日の三つのポイントの一つなのですが、それは三番目・Cでお話しします。ここでお話ししたいことは、神様の下さった救い主のしるし、ということです。単に赤ちゃんが生まれるということだけなら預言にはなりません。神様の印の一つはまだ結婚をしていないおとめから生まれるということです。そしてもう一つはイマヌエルという言葉が意味する、単に偉大な指導者ではなくそれを超えた特別な存在としてこられるということです。700年前から預言されていた誕生日、そしてその後2000年以上忘れられることなく世界中で祝い続けられている誕生日。それがイエスの誕生日クリスマスなのです。イエスはあなたを救い出すために人としてこの世界に来られた神様です。あなたは何から救い出されなければならないでしょうか?寂しさでしょうか?貧しさでしょうか?不健康でしょうか?むなしさでしょうか?
 聖書は、私たちがそこから救い出されたいと願う全ての問題は、神様との関係改善によって解決すると教えています。つまり救い主とは、私たちを神様に再びつなぎ合わせる者なのです。あなたに、このままではいけないと思うことがあるなら、イエスはあなたの救い主です。なぜイエスなのか?19−22を読んで、それをお話しします。


B. イエスをキリストとして信じる (19-22)

19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

 最初にお話ししたように、イエスという名はありふれた名前でした。ありふれた名前なので、その意味を深く考えることは無くなていたのですが、天使はマリアにその名前の持つ意味に注目するように、わざわざ名前の意味を口に出しました。その意味は「民を罪から救う者」です。聖書の言う罪とは「神様との正しい関係にない」状態の事です。この罪が、私たちを悩ます全ての問題の正体です。イエスはあなたを、その状態から解放するためにクリスマスに生まれました。解放されるために必要なことは、イエスをあなたのキリスト=救い主と信じる事です。なぜイエスなのか?イエス自身の言葉を聞いておきましょう。ヨハネによる福音書 16:6です。


1) なぜイエスを信じることが必要なのか? (ヨハネ 16:6)

(ヨハネ 14:6) イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。


 イエスは、「私」が道であり、真理であり、命であると言っています。「私の教え」がと言ってはいません。キリスト教があなたを救うのではありません。イエスとの関係があなたを救うのです。歴史の中にはブッダもムハンマドのように多くの優れた魂の指導者が登場してきました。しかしこのイエスの言葉のように図々しいことを言ったのはイエスだけです。ブッダやムハンマドは自分が「道、真理、命」を教える者だとは言っても、自分自身がそうだとは決して言いませんでした。正直な人々です。しかしイエスはどうでしょう?ブッダ、ムハンマドに限らず、人生を豊かにする生き方や言葉を残してくれた先人は沢山います。しかしイエスは彼らとは全く異質です。イエスは彼らのように自分の教えを信じて欲しいとは考えていないのです。イエスは私という道を歩み、私という真理を信じ、私という命を得なさい、というのです。なんという厚かましい言葉でしょう。
これは、イエスが本当に神様なのか、そうでなければ誇大妄想というしかないほど非常識な人物のどちらかだということです。聖書は好きなところを読んで豊かな人生の参考にする処世訓のようなものではありません。イエスを主と信じて従うか?それとも誇大妄想者として無視するか、二つに一つを私たちに迫る神の言葉なのです。
 「神との関係を修復したいなら、私を信じなさい、私についてきなさい。それしか道はありません。」イエスはそう呼びかけているのです。もちろんそれを信じるか信じないかはみなさんの考えに委ねられています。でも、そうしなければ、あなたはあなたの問題から決して救われないだろうと私は確信しているのです。あなたがイエスを誇大妄想的人物と思わないなら、次のステップに進みましょう「ではどうしたら救われるのだろうか?イエスに従って歩めるだろうか?」ということを考えてゆきます。ローマの信徒への手紙にこう書かれていることを聞いてください。10章9節です。


2) イエスをどう信じたらよいのか? (ローマ 10:9)

(ローマ 10:9) 口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。

 何の修行もいりません。入会金もありません。お話ししたようにキリスト教という宗教団体に加盟することが本質ではないのです。しかし、ただ心の中で信じていればいいのではありません。口でイエスは主であると公に言い表すとあります。私たちはこのことが、洗礼を受けることで実現すると信じています。もしあなたがそう思うなら、「私はイエスを自分の主と信じて新しい人生を歩み始めたい」と言い表し、イエスという道を歩み始めてください。温かくなったら洗礼を受けましょう。 それでは最後の3節をもう一度読みます。


C. インマヌエル:イエス・キリストと共に歩む人生 (23)

23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

1) インマヌエルとは


 23節は先に読んだイザヤ書を引用です。「神は我々と共におられる」という意味のヘブル語です。イエスがイマヌエルと呼ばれるということは、イエスが共にいてくださる神様だということです。これもユニークなことです。神様は遠く空の彼方から私たちを眺めているような存在ではないのです。もちろん、石や木で作られた像でもなく、それらを安置した建物の中に収まっている方でもないのです。 
 もう一つ心に留めておきたいことは「私と」ではなく「我らと」共におられるということです。ついて行こうと決心するのは自分一人の決断です。けれどもこの決断をした途端に、多くの仲間がいることに気づきます。教会という家族です。それは神様が与えてくださった家族です。イエスは私たちに、神様を愛し神様に仕える者、世界を愛し世界に仕える者であるとともに、互いに愛し合い、仕え合う者として私たちをここに集めて下さったということです。


2) インマヌエル人生


 イエスは今まで一人で歩んできたあなたを、「あなたの人生を私と共に歩みましょう」と招いています。そして、すでに歩み始めている方には「歩み通しなさい」と勧めています。イエスは神に至る道です。道は与えられただけでは意味がありません。その上を歩み続けなければ意味がないのです。歩み続ける助けは十分に与えられます。しかし私たちにはやめてしまう自由もあるのです。真理も永遠の命も与えられています。しかし今のままで満足しないでください。イエスは生きている限りもっともっと素晴らしいことを見せてくださいます。イエスは2000年前のクリスマス。あなたにイマヌエルを実現するためにこの世界に来てくださったのです。


メッセージのポイント
クリスマス、イエスキリストの誕生日。私たちが二千年以上にわたってその日を祝うのには理由があります。クリスマスは、私たちがイエスと共に歩む幸いな人生のために神様が下さった、イースターと並ぶ最も重要な意味を持つ二つの祝日のうちの一つです。

話し合いのために
1) あなたはなぜクリスマスを祝うのですか?
2) インマヌエルとは何ですか?

子供達のために
イエスは今も信じる人と共にいてくださることを子供達にも伝えてください。どんなことがあってもイエスからくる希望は消えないことを彼らの心にしっかりと植えつけてください。