<メッセージノート>
恵みを勝ち取り守ろう (テモテへの手紙16:11-21)
永原アンディ
A. 信仰の戦いを立派に戦い抜こう (11-16)
1. 永遠の命を手に入れなさい (11, 12)
11 しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい。正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。
12 信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。
2. イエス:私たちの生き方の根拠(13-16)
13 万物に命をお与えになる神の御前で、そして、ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。
14 わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい。
15 神は、定められた時にキリストを現してくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、
16 唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。
B. 二つの罠を避ける(17-21)
1. 富にではなく神様に望みを置く(17-19)
17 この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。
18 善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように
19 真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと。
2. 間違った知識を避ける (20, 21)
20 テモテ、あなたにゆだねられているものを守り、俗悪な無駄話と、不当にも知識と呼ばれている反対論とを避けなさい。
21 その知識を鼻にかけ、信仰の道を踏み外してしまった者もいます。恵みがあなたがたと共にあるように。
メッセージのポイント
「神様の恵みがあなたにありますように」 ありがたく、うれしい言葉ですが、恵みはそう言ってもらえたからといって自動的に訪れ決して離れないものではありません。パウロがテモテに恵みを勝ち取り守るために命じたことを私たちも行いましょう。
話し合いのために
1) 信仰の戦いとはどのようなものですか?
2) どうしたら神様の恵みを得、失わずにいられますか?
子供達のために
正義、神様を大切にすること、神様に信頼すること、愛すること、忍耐することを子供達に考えさせてください。
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<メッセージ全文>
恵みを勝ち取り守ろう (テモテへの手紙16:11-21)
永原アンディ
A. 信仰の戦いを立派に戦い抜こう (11-16)
1. 永遠の命を手に入れなさい (11, 12)
11 しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい。正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。
12 信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。
今日読んでいるのはこの手紙の結びの部分です。ここまでパウロはテモテにエフェソの教会で実際に起こっている問題について、避けるべきことと追い求めるべきことの両面からアドヴァイスをしてきました。避けるべきこととは、教会にも誤った教えをはびこらせてしまうことや、この世界での利得を得ることに心を奪われることなどです。パウロは最後にもう一度、それらのことを避けなさいと念を押してから、追い求めべきものについても念を押すように書きました。「正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい」 パウロはここで教会の指導者として神様の働きを担う者という意味でテモテを「神の人」と呼びかけていますが、どのような働きであれ神様の働きを担っている人、イエスに従って歩んでいる人、全てにとって大切なアドヴァイスです。
追い求めるものとして最初に挙げられていることは正義です。正義の基準は人によって異なります。求められているのは自分の正義でも、自分の国の正義でも、自分の教会の正義でもありません。神様の正義です。想像力を働かせる必要があります。聖書はヒントになります。しかし字面だけで判断するのは危険です。なぜなら、書かれたコンテキストは私たちのものとは違うからです。さらに信心 (godliness)、信仰 (faith) とあります。違いがわかりにくいですが、前者は神様を畏れ敬い、その意思を行おうとすること (to have piety towards God and do God’s will) で、後者は神様を疑わずに信頼 (Conviction)するということです。そして愛すること、忍耐すること、柔和であることです。これらを「追い求める」ように私たちは命じられています。追い求めるのは、私たちがそれらにおいて完全ではないからです。特にそれらの中で中心となるのが信仰です。神様への信頼という基礎がなければ、正義も、信心も、愛も、忍耐も、柔和も本当にものではありません。そこで、パウロは信仰の戦いを立派に戦い抜きなさいと続けるのです。この戦いの目的は「永遠の命」です。永遠の命とは何でしょう?ヨハネの福音書にはっきりと書かれています。「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。Now this is eternal life: that they may know you, the only true God, and Jesus Christ, whom you have sent. 」(John 17:3) 神様を疑わずに信頼してついて行くことによって、私たちが得られることは「神様を知る」ことだというのです。意外に感じられませんか?私はまだ神様を知らないのだろうか?イエスを知らないのだろうか?確かに聖書の別の箇所では、「永遠の命」が信じた者にすでに与えられているとも表現されています。 (1 John 5:13)。イエスを信じた者は、永遠の命を得る権利を与えられ知り始めたということでしょう。そうすると私たちは皆、知り始めて完全に知るまでのプロセスにいるということになります。このプロセスが信仰の戦いです。信仰の戦いとは、正義を行う、心からの礼拝を捧げる、愛する、忍耐する、柔和な態度を保つという行動を神様への信頼によって実現してゆくことなのです。テモテはこの戦いに神様から呼ばれて参加して、戦い抜くことを表明しました。そして今、エフェソの教会の責任者として戦っているわけです。私達も皆、その信仰を告白しバプテスマを受けてこの戦いに参加しているのです。戦い抜いて、あなたにとっても「永遠の命」を完全なものとなるように、勧められていることを追い求めましょう。
2. イエス:私たちの生き方の根拠(13-16)
13 万物に命をお与えになる神の御前で、そして、ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。
14 わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい。
15 神は、定められた時にキリストを現してくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、
16 唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。
来週は受難週、イエスの十字架の出来事を思い過ごす一週間です。その前にこの箇所を読むことは、私が意図したことではありませんが偶然でもないでしょう。 当時のローマから派遣された総督ピラトはイエスが政治犯ではないことをわかっていました。ローマが十字架刑を執行するのは凶悪犯かローマに反逆する者だけです。ピラトはイエスが十字刑に値する者とは思えませんでした。しかしユダヤ人宗教家たちが反逆者として訴えたので尋問することになったのです。「あなたはユダヤ人の王か?」イエスにとっては政治的な意図がないことを証言することは簡単でしたが、自分からそれに答えることはせず「あなたはそう思うのか」と問い返しただけでした。それがイエスのピラトの前での宣言です。結局ピラトは、正しい裁判ではなくユダヤ人に気に入られる方を選びイエスを十字架にかけることを許可したのです。表面的にはユダヤ人、特に宗教者や政治家の敵意によって十字架につけられたイエスですが、イエスが十字架を避けられるのに避けなかった理由は、信じる者に「永遠の命」を得る権利を与えるためでした。先に書かれていたテモテの信仰の表明とは、十字架で殺されたイエスが三日目によみがえり、天に昇り、再び来られることを信じ、従って行くという表明でした。パウロはこのことをテモテに再確認させて終わりまで戦い抜くことを励ますのです。前に信仰が追い求めるべきすべての良い行いの基礎になるといいました。それはイエスがこのような方であるからです。イエスが常に共にいてくださり、いつか顔と顔を合わせるようにお会いすることができる。それが私たちの希望なのです。そしてこの希望を確信することが信仰なのですから、それを神様に祈り求め、互いに励まし合って希望に向かって進んで行きましょう。
B. 二つの罠を避ける(17-21)
パウロは追い求めるべき事柄について書いた後、それでも筆を置くことができずに、もう1度、避けるべきことを2つ繰り返しました。よほど心配だったのでしょう。それらはどんな教会にとっても致命的なダメージを与えるような深刻なものなので、私たちもこの手紙を読み終えるに当たって、もう一度ここで確認しておきましょう。
1. 富にではなく神様に望みを置く(17-19)
17 この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。
18 善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように
19 真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと。
このことは前回にも触れた問題です。神様に望みを置かず、それ以外のものに望みを置くということが、神、イエスの体である教会にも起こるのです。その中心は富や名誉です。財産があること、有名であること、尊敬されること、健康であること、仕事がうまくいっていることがあなたの安心なのか?それとも神様がともにいてくださるから安心なのか?正直に自分の心に問いかけなければなりません。あなたが本当に永遠の命を保ちたいなら、このテストを避けるわけにはいきません。神様以外に望みを置くなら失望させられる可能性は極めて大きいのです。しかもそこに望みを置くなら、18節にあるような、神様に喜ばれる行いができなくなってしまいます。それは最初にお話しした11節の追い求めるべきものを追い求めないということと同じです。真の命(つまり永遠の命)を得るためには、良いものを豊かに与えてくださる神様に望みを置いて、安心して「追い求める」べきことを追求してゆくというのが私たちに期待されているライフスタイルです。
2. 間違った知識を避ける (20, 21)
20 テモテ、あなたにゆだねられているものを守り、俗悪な無駄話と、不当にも知識と呼ばれている反対論とを避けなさい。
21 その知識を鼻にかけ、信仰の道を踏み外してしまった者もいます。恵みがあなたがたと共にあるように。
パウロが最後の挨拶の前に触れているのが「間違った知識」の問題です。十字架の出来事の後まだ100年も経っていないのに、十字架と復活を基礎とする主イエスの福音(良い知らせ)とは関係のない教えが、教会の中に忍び込んできていることに注目しましょう。私たちはいつでもこの危険にさらされています。だから十字架と、復活から目をそらせてはいけないのです。だから私たちは聖餐式を守り、受難週、イースターを守るのです。
誤った知識は、結局神様に信頼を置いていません。だから、自分たちがこの世界で繁栄することや、成功すること、聖書に書かれていない死後のことなどについての教えに夢中になってしまいます。また恵みに確信がないので、窮屈に戒めを守ることで福音を傍らに置いてしまいます。自分の主張したい何かのために聖書を都合よく利用して、真の知識と言って人々に影響を与えようとします。あるいは、「イエスは神様ではなくもちろん復活もなかったけれどその生き方を師として尊敬しましょう」という人までが自分をキリスト教徒だといい、「キリスト教会」をやっているのです。これらの「知識」は時代の特徴ではなく、1世紀からずっといろいろな形で現れてきました。
聖書の権威に従えと言って自分の主張を押しつけるのも、聖書は人間の書いたものだから、権威として読まなくてもいいというのも、正反対のようで実はどちらも「誤った知識」です。さてパウロはここまで書いて満足したのか、疲れてしまったのか、「恵みがあなたがたと共にあるように」の一言で終えてしまいます。聖書に収められている手紙の中では一番短い結びの言葉ですが、最後にこの言葉を心に留めましょう。「神様の恵みがあなたにありますように」 ありがたく、うれしい言葉です。しかし恵みはそう言ってもらえたからといって自動的に訪れ、決して離れ去らないものではないということが、今日のお話でわかっていただけたと思います。神様はいつでも気前よく喜んで与えようとしているのです。神様が与えようとしておられる恵みの中心は「永遠の命」です。それなのに人間は恵まれることに無関心であったり、恵みを別のものと思い込んでいるので、神様の恵みを十分に受けられず、しばしば保つこともできません。だから恵みは信仰の戦いを戦い抜いて勝ち取り、守るべきものです。「神様の恵みがあなたにありますように」は気休めの言葉ではありません。「神様と共に戦い続けましょう」という励ましの言葉です。
メッセージのポイント
「神様の恵みがあなたにありますように」 ありがたく、うれしい言葉ですが、恵みはそう言ってもらえたからといって自動的に訪れ決して離れないものではありません。パウロがテモテに恵みを勝ち取り守るために命じたことを私たちも行いましょう。
話し合いのために
1) 信仰の戦いとはどのようなものですか?
2) どうしたら神様の恵みを得、失わずにいられますか?
子供達のために
正義、神様を大切にすること、神様に信頼すること、愛すること、忍耐することを子供達に考えさせてください。