<メッセージノート>

2016/5/8 メッセージノート テモテへの手紙2 2:1-13
キリスト・イエスにおける恵みによって強くなりなさい 

永原アンディ



A. 強くなりなさい! (1-7)

1) 忠実な人々に良いものを委ねることによって得られる力 (1, 2)

8イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。
9この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。
10だから、わたしは、選ばれた人々のために、あらゆることを耐え忍んでいます。彼らもキリスト・イエスによる救いを永遠の栄光と共に得るためです。
11次の言葉は真実です。
わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。



2) イエスに従う者としての優先順位を守ることによって得られる力 (3-7)

3キリスト・イエスの立派な兵士として、わたしと共に苦しみを忍びなさい。
4兵役に服している者は生計を立てるための仕事に煩わされず、自分を召集した者の気に入ろうとします。
5また、競技に参加する者は、規則に従って競技をしないならば、栄冠を受けることができません。
6労苦している農夫こそ、最初に収穫の分け前にあずかるべきです。
7わたしの言うことをよく考えてみなさい。主は、あなたがすべてのことを理解できるようにしてくださるからです。



B. キリスト・イエスにおける恵み

1) イエスと共に死んだ私たち (8-11)

8イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。
9この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。
10だから、わたしは、選ばれた人々のために、あらゆることを耐え忍んでいます。彼らもキリスト・イエスによる救いを永遠の栄光と共に得るためです。
11次の言葉は真実です。
わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。



2) イエスと共に生きる私たち (11-13)

11次の言葉は真実です。
わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。
12耐え忍ぶなら、キリストと共に支配するようになる。キリストを否むなら、キリストもわたしたちを否まれる。
13わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。キリストは御自身を否むことができないからである。



メッセージのポイント
イエスと共に歩むという、自分の人生にとって重要な決断をしている私たちですが、どうしたらその歩みをもっと力強いものにすることができるのでしょうか?そのために、まず知るべきことは自分が「イエスと共に死に、イエスと共に生きている」という恵みのうちにあるということです。その上で、同じ恵みのうちにある人々と共同体を形成してゆくこと、自分の生活の優先順位を知り、守ることによってより強くなりましょう。

話し合いのために
1) キリスト・イエスの立派な兵士とは?
2) 「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる」をどう説明しますか?

子供達のために
イエス様に喜んでいただける生活を送るように勧めてください。大切なのは実際に何をしたかではなく、心の状態です。なぜ、それをするのか/しないのか の理由は誰かに叱られる、褒められるではなく、イエス様が喜んでくださるのか、悲しまれるのかが問題です。イエス様が喜ばれることを、人は理解できない時もありますが、いつでも心にイエス様の声を聞きながら歩むよう勧めてください。どのようにしてそれを聞くのか?それを聞くことができるように、私たちは祈り、聖書の言葉を聞くのだと、そのことを励ましてください。

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<メッセージ全文>

2016/5/8 メッセージノート テモテへの手紙2 2:1-13
キリスト・イエスにおける恵みによって強くなりなさい 

永原アンディ



A. 強くなりなさい! (1-7)

1) 忠実な人々に良いものを委ねることによって得られる力 (1, 2)

8イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。
9この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。
10だから、わたしは、選ばれた人々のために、あらゆることを耐え忍んでいます。彼らもキリスト・イエスによる救いを永遠の栄光と共に得るためです。
11次の言葉は真実です。
わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。

 ここにいる皆さんには、強さとは何かというお話から始める必要はないと思うのですが、皆さんの周りには、本当の強さを知らない人がたくさんいます。そして誰でも色々な意味で強くなりたいと思っています。それは人と比べた自分の弱い部分、足りない部分を自覚しているからでしょう。努力して筋肉を鍛えたり、頭を鍛えたりすることはできます。しかし、どんなに多くの能力を獲得しても、本当の強さを獲得することはできません。
 先週私たちは正しさについて学びました。覚えていますか?私たちが考えなければならないのは「誰が正しいのか?」ではなく「何が正しいのか?」だと教えられました。強さについても同じことが言えます。誰が強いのかと考え始めれば、どんな分野であれ自分より強い人はいくらでもいるのです。そして、本当に強いとはどのようなことなのかを多くの人は知りません。パウロはテモテに書きました。「キリスト・イエスにおける恵みによって強くなりなさい」 ここに本当の強さがあります。私たちが強くなるために必要なのは、トレーニングや勉強ではなく「キリスト・イエスにおける恵み」です。先週、正しさを身につけるために第一に必要なことは、自分が正しくない者であることを認めることだと学びました。強さについても同じです。強さの第一条件は、自分が弱い者であることを自覚することです。どの分野が弱いということではなく、本質的に弱い存在であるという意味です。聖書はその最初の書、創世記で人が神様に背を向けた者=罪人となったことを記していますが、弱さもまたここから来ているのです。神様に創造された者であるのに、自分が神様のように誰にもよらず存在するかのように振る舞う罪人です。罪人は一見自分の力で生きようとする強い人に見えます。しかし神様から断絶しているので力を受け取ることはできません。だから弱いのです。イエス・キリストは、人を罪から救うために、つまりもう一度神様とつなげるために、人としてこの世界にご自身を表された神様です。神様との関係が回復されれば力は神様から流れ込んできます。力は、もう一度神様と共に人生を歩もうと決心した人に与えられる恵みです。どうかこのことを、皆さんの周りにいる強くなりたい人たちに教えてあげてください。
 さて、パウロはここでテモテに向かって「強くなりなさい」と命じています。その時すでに地域の教会のリーダーであったテモテにもっと強くなる余地があったということです。また直面している問題を解決するためにさらに強くなる必要があったということです。パウロはそのためにここで、二つの具体的な勧めします。そして後半で「弱い私たちこそが強い」ということの根拠となるキリスト・イエスにおける恵みの意味をやはり二つの側面から教えてくれています。

具体的な勧めの一つは2節です。「そして、多くの証人の面前でわたしから聞いたことを、ほかの人々にも教えることのできる忠実な人たちにゆだねなさい。」 テモテはまだ歳若いリーダーです。それでもパウロは、自分で全てをやってしまおうとせず、人々に委ねることを教えています。キリスト教会では牧師を伝道者と呼ぶことが多いのですが、ここに誤解を生む危険があります。教会の牧師がイエスを紹介するのであり、私たちはその応援団です、という誤解です。ユアチャーチでは皆が「あなたが牧師です」と言われてきました。委ねられた人々のお世話をするのは皆さんだからです。ユアチャーチの二人の牧師やリーダーは、皆さんを働きやすいように整え送り出す役割を神様に与えられていると考えています。多くの教会で「伝道」と言われること、イエスを紹介することも皆さんの働きです。他の人々に委ねることによって、それらの人々はイエスを伝える力になります。あなたが多くの人々と共に働くことによって強くなり、教会も強くなりました。あなたがイエスを紹介するのは、人がイエスを知ることだけを意味してはいません。その人がまた、イエスを紹介する人となることをも意味しているのです。それはイエスが再び来る日まで続いてゆくのです。


2) イエスに従う者としての優先順位を守ることによって得られる力 (3-7)

3キリスト・イエスの立派な兵士として、わたしと共に苦しみを忍びなさい。
4兵役に服している者は生計を立てるための仕事に煩わされず、自分を召集した者の気に入ろうとします。
5また、競技に参加する者は、規則に従って競技をしないならば、栄冠を受けることができません。
6労苦している農夫こそ、最初に収穫の分け前にあずかるべきです。
7わたしの言うことをよく考えてみなさい。主は、あなたがすべてのことを理解できるようにしてくださるからです。

 自分の生活の優先順位、ユアチャーチのあり方の優先順位は間違ってはいないでしょうか?力のない生活をするクリスチャン、力のない教会、本当はありえないはずです。しかし現実には無力を感じているクリスチャン、教会が多いのです。その理由は多くの場合ここにあります。個人としても、教会としても、イエスに従う者としての優先順にを間違える時、力を失います。もし私たちに優先順位を見直す余地があるとしたら、それは私たちがもっと強くなれるということです。私たちはユアチャーチカヴェナントに署名するたびに、優先順位を確認しています。私たちは時々見直さないといつの間にか意識しないで優先順位を変えてしまっていることが起こるのです。カヴェナントメンバーでない方のためにも私たちの優先順位を確認しておきましょう。カヴェナントの第一は神様を愛するです。神様を礼拝することが最優先のことだということです。誤解しないでください。日曜礼拝に出席することではありません。私たちには日曜日の朝に、ここにくることより優先するべきことが起こります。また、日曜日の朝ここにいなくても礼拝することは可能です。礼拝とは、神様のすぐ前に進み出て神様との時を過ごすことです。他のことはそこに入る余地はない、神様との親密な時です。それは、教会全体でなくても小さなグループでも、家族でも、夫婦でも、たった一人でもできることです。
 第二は互いに愛し合うことです。この神様が与えてくれた家族のためにすべきことを優先させるということです。しかしそれは決して外から入りにくいサークルを作ることではありません。私たちは弱く、神様の力を必要としますが、その力の多くは、この家族を通してもたらされるからです。そして私たち、神様の家族が強くなるべき理由は決して利己的なものではありません。それは第三のカヴェナント、世界をあるいは人々を愛するためなのです。


B. キリスト・イエスにおける恵み

1) イエスと共に死んだ私たち (8-11)

8イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。
9この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。
10だから、わたしは、選ばれた人々のために、あらゆることを耐え忍んでいます。彼らもキリスト・イエスによる救いを永遠の栄光と共に得るためです。
11次の言葉は真実です。
わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。

 ここからは、私たちを強くする「イエスキリストにおける恵み」とはどういうものかというを考えて行きたいと思います。
 それは、十字架と復活の恵みです。イエスの十字架の死と復活は私たちが「古い自分が死に、新しい永遠の命に生きる」ために起こりました。「イエスと共に死んだ」ということと「イエスと共に生きる」ということは、イエスに従う者の存在の二つの本質です。
 はじめに「イエスと共に死んだ」ということについて考えてみましょう。イエスを自分の神、主と信じて従う決心をした時、私たちはバプテスマを受けました。日本語では洗礼という呼び方が定着していますが、それだと元の言葉のニュアンスと違います。「洗礼」(Senrei) は汚れを洗い落とす(to wash the dirt off) というニュアンスですが、バプテスマは水に浸す (To dip) ということなのです。英語の「Baptism」 はギリシャ語をそのまま取り入れた言葉なので、元の言葉の発音とほぼ同じです。この違いは重要なので、私たちの使っている聖書は、定着している「洗礼」という言葉を使って普通の人にわかりやすくする一方で、わざわざバプテスマと隣に書いてあるのです。元の言葉は「埋葬」 (To Bury) を暗示する言葉です。だから、バプテスマは「古い自分はイエスとともに死んだ」という宣言です。あなたはもう古い罪の法則に支配されてはいないということです。だから本当に強くなれるのです。一方で、この新しい生き方はまだ社会に受け入れられてはいません。罪の法則とは、神様ではなく自分の満足を優先順位の最高位においてそれを追求することです。世界は今でもこの法則に支配されています。だから私たちは時として、無理解、反発、迫害で今も苦しむのです。パウロやテモテと同じです。しかし置かれている環境が悪いことにがっかりしないでください。イエスがあえてこの世界に来てくださったように、神様は私たちをあえてそれぞれが置かれているところに派遣しているのです。パウロは、人々がイエスを知るようにあらゆることに耐え忍んで(10節)います。私たちも同じです。愛する人々が、古い罪の自分が死んで解放されるすばらしさ=「救い」を得られるように、イエスを紹介し続けるのです。神様は、古い自分を葬った者に力を与え続けてくださいます。
 最後の部分を読みます。11節ももう一度読みましょう。


2) イエスと共に生きる私たち (11-13)

11次の言葉は真実です。
わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。
12耐え忍ぶなら、キリストと共に支配するようになる。キリストを否むなら、キリストもわたしたちを否まれる。
13わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。キリストは御自身を否むことができないからである。


 罪に死んだ私たちは、死んで終わったのではなくイエスと同様に新しい命を生きる者とされました。命を供給されるラインは再び繋がったのです。そしてこのライフラインは、あなたが求めない限り永遠に取り去られることはありません。私たちの不誠実の罰によって供給が止まることもありません。耐え忍ばなければならないことは、次から次へとやってきます。しかし耐え忍んだ先の栄光を待ち望みましょう。私たちは、真に強い者とされたのです。キリストは、この世界のどんな支配者とも違う支配をすでに私たちの心の中に実現しました。それはイエスが再び来られる終わりの日、この世界全体を完全に包むものとなるでしょう。誰にも断言できませんが、おそらく私たちは生きてその日を迎えることはないでしょう。自分がこの世界から去るという形になるのでしょう。その日はもう、終わりの日ではありません。耐用年数を過ぎた肉体を脱ぎ捨てる日です。なぜならもう私たちはすでに死に、永遠の新しい命を頂いて生かされているからです。しかし、私たちは今の自分の状態に満足してその日が来るまでのんびり待っていることを勧められているわけではありません。今日前半でお話ししたように、私たちはキリストの兵士としてここに置かれているのです。いつか私たちの子孫が生きてその日を迎える時、彼らがそれをしっかりと覚えているように伝え続けているのです。私たちの戦いは憎しみによって人の命を奪う戦いではなく、愛によって命を与える戦いです。

メッセージのポイント
イエスと共に歩むという、自分の人生にとって重要な決断をしている私たちですが、どうしたらその歩みをもっと力強いものにすることができるのでしょうか?そのために、まず知るべきことは自分が「イエスと共に死に、イエスと共に生きている」という恵みのうちにあるということです。その上で、同じ恵みのうちにある人々と共同体を形成してゆくこと、自分の生活の優先順位を知り、守ることによってより強くなりましょう。

話し合いのために
1) キリスト・イエスの立派な兵士とは?
2) 「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる」をどう説明しますか?

子供達のために
イエス様に喜んでいただける生活を送るように勧めてください。大切なのは実際に何をしたかではなく、心の状態です。なぜ、それをするのか/しないのか の理由は誰かに叱られる、褒められるではなく、イエス様が喜んでくださるのか、悲しまれるのかが問題です。イエス様が喜ばれることを、人は理解できない時もありますが、いつでも心にイエス様の声を聞きながら歩むよう勧めてください。どのようにしてそれを聞くのか?それを聞くことができるように、私たちは祈り、聖書の言葉を聞くのだと、そのことを励ましてください。