*1999年10月第5週メッセージノート*

ワーシップ(礼拝)と預言−神との関係

(ヨハネ4:19〜24)メッセージ:ジョン ニューマン

神との関係とコミュニケーション

1.関係におけるそれぞれの段階

2.全ての関係においてコミュニケーションは不可欠

3.コミュニケーションは相互の応答

4.コミュニケーションはオープンで正直

5.神との関係は家族のようなもの − もっとも親しい(ガラテヤ4:4-5)

ワーシップ(礼拝)は私たちの言語

1.真のワーシップは私たちのうちに霊によって生まれる(ガラテヤ4:6)

2.神は言葉を話す人々を求めている

3.ワーシップは献身の表現であり、ただ感情を表すだけではない

4.ワーシップは言葉だけではなく、音楽でもある

5.私たちは神の心に触れる

預言;神は私たちに語られる

1.ワーシップにおける自由(IIコリント3:17-18)

2.私たちは書かれた神の御言葉を持っている

3.神は生きていて、私たちに語ることを好む

4.私たちは時間をとって聴くことを学ぶ必要がある

5.ワーシップの時はコミュニケーションの時。私たちは神の声に耳を傾けているか?(使徒13:1-3)

*メッセージのポイント*

 神の御国とは、神と人との間の関係ということにつきます。私たちと神との関係は他の何よりも重要なことです。そして、ワーシップこそが神との交わりを保ち、関係が悪くならないようにするための第一の方法です。私たちのうちにおられる聖霊は神を呼び求め、そして神は私たちに応えてくださいます。

*ミニチャーチのためのヒント*

 ワーシップの中で神が応えて下さるよう時間をとりましょう。神が応えて下さることを、どのように知ることができますか?(Iヨハネ4:1-6で学んだところです。)

 信仰によって一歩踏み出すことにはリスクが伴います。しかし、ミニチャーチは実践し、学ぶ場所です。間違いを怖れないで下さい。ミニチャーチの会衆のために神様が語って下さっていると思うことがあったら、思い切って言いましょう。


*ディボーションノート*

神様との親しく静かな時を持つためのヒント―

ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

10月30日(土)ヨハネによる福音書 4:19/ルカよる福音書 1:67〜80

 バプテスマのヨハネは、その誕生の時からイエス様を先立ってあかしする預言者となると預言されていました。預言とか預言者について考えるとき私には苦い経験があります。当時出席していた教会に、預言者と称される夫婦がアメリカからやってきました。そして出席していた人に片っ端から預言?していったのです。ある人は自分の仕事に燃えていて一生をそれに賭けてゆきたいと願っていましたが、「あなたはどこそこに宣教師として遣わされる、今から準備をしなさい」と預言されて、自分の確信は間違っているのだろうかと悩んでしまいました。ある人は祈りをもって確信を与えられ、行おうとしていたミニストリーを方向転換するように、神様の権威によって!預言されたのです。多くの人が混乱し悩みました。誰もが御心に従いたいと願っていたからです。そして結局ほとんどその預言通りには物事は進みませんでした。人々と同じところに立ち続け、自分の預言に責任を持たない者は預言者とはいえません。ヨハネを始め聖書に登場する預言者の預言はことごとく成就し、また彼らはヨハネがそうであったようにその預言に命まで賭けていたのです。

10月31日(日)ヨハネによる福音書 4:20/イザヤ書 2:1〜5

 かつて礼拝は、私にとってほとんど苦痛に近いものでした。安息日は神様が決められたものですし、クリスチャンとして毎週教会に来るべきことも分かっていましたが、決まった順番通りに進んで行く「礼拝」は「式」のようで、私の心の実態にはとても遠かったのです。今は違います。このままの私が、自分の言葉と心で神様に向かって表現することが出来る本当の喜びと自由を知ったのです。頑張ってそうしたのではなく、神様の霊が私を自由にしてくださった結果です。だから毎週教会に集まってみんなで神様をたたえるのも、毎日の生活の中で一人で神様を見上げることも、息をするのと同じように自然で楽しいことなのです。歩いていても、横になっていても、運転していても、いつでもどこにいても礼拝することができます。心を神様に向けましょう。 この喜びは、あなたにも約束されています!

11月1日(月)ヨハネによる福音書 4:21/ヘブライ人への手紙 9:11〜14

 今月からミニチャーチを開始しました。昨日のミニチャーチで祈っているときにある人のことを祈るように示されました。今までその人のことを気にかけるどころか、少し蔑んで見ていたこともありました。翌日その人に仕事の件で尋ねられたのですが、優しい気持ちを保ち誠実な態度で対応することができました。神様がそれまでの冷たい自分を暖かく変えてくれたのが分かりました。もしミニチャーチをやっていなかったら、その人のために果たして祈る機会があったのだろうかと考えました。愛する仲間と集まり神様を礼拝することにより、祈る機会が与えられそして実際に神様の愛を用いることができたのです。神様を礼拝することにより素晴らしいことが起きます。みんなでそれを経験して神の国を広めて行きましょう。

11月2日(火)ヨハネによる福音書 4:22/使徒言行録 17:22〜27

 お参り、おはらい、おふだ、お守り、占い・・世の中の人は時には虚しいと知りつつ、時には藁にもすがる思いでこれらのことをしたり、手に入れたりします。本当に頼るべき方を知らず、他の人もしているから・・というのが大半の理由ではないでしょうか。クリスチャンはどうでしょう。どんな方を礼拝しているか、私達は聖書を通してよく知ることができます。全てを造られ、全てに秩序を与え、支配しておられる方。それなのに、高いところから私達を見下ろしているのではなく、逆に同じ目の高さ(人の姿)で痛みや苦しみを分かちあって下さるのです。神様を礼拝するようになって、聖書に書かれていることが本当のことだと少しづつわかってきました。イエス様が聖書の中でしていることを実際に私にもして下さるからです。それはどれも小さな経験で、礼拝していなければ気付かなかったかもしれません。小さな経験を重ねてもっと神様を信頼し、もっと神様を求める・・地道にくり返していきたいです。

11月3日(水)ヨハネによる福音書 4:23/ガラテヤの信徒への手紙 4:1〜7

 日曜日(私たちは金曜日)教会へ行き、みんなで神様を賛美し、ワーシップし、メッセージを聞き、祈る。これを英語では「ワーシップ・サービス」と言います。クリスチャンになりたての頃、この「ワーシップ・サービス」が日本語の「主日礼拝」と同じことだと理解するまでに、しばらくかかりました。「礼拝」というと何か堅苦しい特別な儀式のようなもだと思い込んでいたからです。しかし、真の礼拝とは、本当に心を尽くし、思いを尽くし、力の限りに神様にコミュニケートする行為なのです。もちろん一人でいる時にもできることです。そして、天のお父さんが本当に求めておられるのは「礼拝する者」(23節最後)、つまり私たち一人一人です。形式や儀式ではなく礼拝する心です。私たちの礼拝に応えたいと願っておられる神様に向かって、いつも心を新たにして真の礼拝を捧げましょう!

11月4日(木)ヨハネによる福音書 4:24/ローマの信徒への手紙 12:1〜2

 神様に礼拝をささげるということは賛美することや教会での礼拝を守ることだけでなく、私達の生き方だと分かってきたのは私がクリスチャンになってすこしたってからでした。今でも全部理解できたわけではないし、正しい生き方をしているとも思えません。しかし生き方は言うなれば主との歩みで、それは私達の在り方なのです。常にイエス様を中心に生活することですが実際それはどういうことでしょう。それは仕事や人間関係はもちろん、全てにおいて聖霊の導きに従っていくということです。そのためにはできるだけ神様の近くにいて、主のご性質を知るということです。その真理によって私達はますます解放され、もっと自由に礼拝の中で父なる神との交わる喜びを体験することができます。