*1999年12月第2週(99/12/10)メッセージノート*

クリスマスメッセージシリーズ II
本物の輝き
(ヨハネによる福音書1:9-14、イザヤ60:19−61:3)

         
A. どうせ持つなら本物です(1:9-11)
偽物が出現するのは本物が素晴らしいからです。偽物は本物の素晴らしさにあやかって、自分への利益を引き出そうとします。

1、本物は変わらない 
偽物は安いコストで作られるので長続きがしません。信仰も同じです。チープな恵みは、本当の恵みにはかないません

2、誰にでも手に入れられる(マタイ13:44-45)
高価ではあるが誰にでも手に入る。偽物は金銭を要求し、本物は献身を要求すします。

3、その価値を理解できない人もいる(マルコ12:1-9)
サタンの大きな働きは人の霊の目を惑わすことです。はかない楽しみや、偶像礼拝に向かわせ、本物に向かうことを妨害します。


B.本物を持っている人の特権と期待される働き
             (12-13、イザヤ60:19‐61:3)
1、力と権威
着ているもの、持っているものにふさわしい、態度・人格があるように神の子となった人に求められているライフスタイルがあります。それは与えられた権威と力を与えてくださった方の計画に従って用いることです

2、永久保証
この命は信じるものに与えられた永遠の保証です。私たちの功績によって増えたり、減ったりするものではありません。私たちの使命は、この約束をできるだけ多くの人に伝えることです。その際わたしたちは押し売り(脅したり、懇願したりして無理やり信じますと言わせるようなやり方)も、安売り(福音の一部を信じればいいというような)もしません。

C. 本当の神様(1:14)
約2000年前のあのクリスマスに、イエスキリストとしてきてくださった神様は、他の神々とどこが違うのでしょうか?

1、人がなった神様ではなく、人となった神様
神様の意志という人格の一部が人としてこられた、しかも呪われるべき人間の罪を引き受けて十字架のような罰を身代わりに受けたという神様はほかにはいません

2、本物は恵みにおいて比べるものがない 
イエス様の本質は徹底的な愛、恵み、赦しであって他の追従を赦しません

3、本物は真理において何にも劣らない
福音が徹底的な赦しであることは、甘やかすことではありません。神様の妥協のない義の厳しさが、十字架の出来事を避けられないものにしました。私たちの代わりにイエス様が十字架にかかってくださったので、わたしたちは赦されましたが。わたしたちもまた一度十字架にかかって罪に死に、新たに義に生きる者であることを期待されています。


*メッセージのポイント* 
クリスマスがサンタの日と思っている人はさすがな少なくなりましたが。イエス・キリストという「人」の誕生日としか思っていない人はまだたくさんいます。あなたはイエス様を神様だと信じていますか?信じているだけならサタンでも知っていると聖書は警告しています。イエス様はすべての人に、彼が救い主だと信じるだけではなく従って歩むことを期待しておられます。もしあなたがそのように歩みたいと願うなら、そうすることができます。それをする力も、権威も、資格もすでに与えられているからです。


*ミニチャーチのためのヒント*
1、神様を信じているとは、あなたにとってどんなことを意味していますか?
2、なぜ言葉(イエス様)は肉(人)なってくださったのでしょう?

ディボーションノート
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―

 ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

12月11日(土)ヨハネによる福音書 1:6〜8/使徒言行録 14:8〜15
 他の人から賞賛されたり、尊敬されたりすると悪い気はせず、それが度重なると何だか自分が他人より偉くなったように錯覚してしまいます。一方、目に見えない神様よりは、すぐ目の前で癒しや預言をする人を見るとその人を神のように崇拝してしまう人がいます。この二つはともに弱い人間の陥りやすい過ちと罪です。
 聖書を読むとヨハネやパウロの神の御国を宣べ伝える働きは、力強く目をみはるものがあります。人々は、神が人間の姿をとって私たちのところにきたのだと、彼らを礼拝しようとする程でした。しかし、彼らは、自分は神を証しするためにきただけであって皆と同じただの人間であるとはっきり宣言するのです。人を神のようにあがめたり、自分が神であるかのように振る舞ったりする両方の過ちと罪から遠ざかることを心にとどめたいです。

12月12日(日)ヨハネによる福音書 1:9/イザヤ書 61:1〜3
 主イエスキリストの誕生とはクリスチャンにとって本当に意味深いことで、今日の私達の永遠の命の証です。そしてそれは新しい時代の始まりでもあって、現在私達は新約時代を生きているわけです。それは新しい神様の私達への約束(契約)で、イエス様が全ての人々を照らす真の光であるということです。誰一人例外なく、イエスキリストを信じるのならその光はその人を父なる神へと導くのです。旧約時代の時のように、あらゆる契約によって求められた生き方をしない(というようり、出来ない)人々にも「主があなたのとこしえの光となり、あなたの嘆きの日々は終わる」とイザヤ書60:19〜20ですでに預言されていました。そんな素晴らしい神様の恵みにあずかることのできることをまた改めて心に想い、主をほめたたえるのがクリスマスシーズンですね。

12月13日(月)ヨハネによる福音書 1:10〜11/ルカによる福音書 20:9〜18

 イエス様が現れる前、多くの人は神様からの意志を聞こうとはしませんでした。そしてイエス様が現れ神様の意志が見える形で人の前に示されても、耳を傾けようとはしませんでした。私は今神様の存在を知っていて本当に幸せを感じることができます。そういう私でありながら多くの人と同じように、神様の意志を無視してしまう時があるのです。具体的には聖書を日常的に読んでいない時期にそのようなことがしばしばあったように思います。聖書に親しんでいると、神様が私に何を期待しているか、望んでいるか、神様からの意志が聖書を通して私に届いてくるのです。100%その意志を実行できているかと言えば疑問ですが、御心に従う回数は増えていると感じます。これからも神様との意志疎通のために聖書を読み続けていきます。

12月14日(火)ヨハネによる福音書 1:12/詩編 119:73〜80
 私達クリスチャンには「神の子となる資格」が与えられています。資格が与えられていることをただ漠然と知っているだけではあまり意味がありません。資格を持つ者―天のお父さんの子供―らしく振る舞わなくてはなりません。・・お父さんが永遠に変わらない愛で私を愛し、育てて下さることをいつも覚えて安心すること、健全な自信を持つこと。お父さんの助言や励ましを素直に受け入れること。大好きなお父さんに自分の気持ちを伝えること、お父さんの気持ちを知りたいと耳を傾けること。お父さんの役に立てるように、出来ることに挑戦してみること。お父さんの命令(時にはその意味や目的が全て分からなくても)に従うこと。・・せっかく与えられた資格です。有効に活用してみませんか。

12月15日(水)ヨハネによる福音書 1:13/フィリピの信徒への手紙 3:1〜11
 私はパウロのような立派な家柄に生まれたわけでもないし、彼のように優秀な人間でもありませんが、誰にでもあるように人並みのプライドがあります。そしてそれが時々、神様に従うことの邪魔になってしまうことがあるのです。つい知ったかぶりをしたり、自分よりもその分野では劣っていると思われる人の言うことを軽んじて傷つけてしまうこともしばしばです。自分で自分の評判を高くしようとする必要もないし、自分の地位を自分で守ろうとする必要も、イエス様に出会ってなくなったはずなのに、わたしの「内なる古い人」は時々反乱を起こします。神様を信じた人にとっては、もはやその肉の家系も地位も財産も取るに足りないものとなりました。こだわる必要のないものとなってしまったのです。誰でもキリストにあって新しい者となることが出来るのです。私も遅々たる歩みですが、「本当の」自分らしく振舞えるよう、祈っています。

12月16日(木)ヨハネによる福音書 1:14/ヨハネによる福音書 14:1〜11
 今までに何回、何十回とクリスマスを迎えてきたとしても、その度に新たに思い起こすのは、「こんなにも主に愛されている喜び」です。イエス様は「あなたのために」人として、言葉として、神様の意志としてこの世に来られ、「そばにいて」下さる方です。あなたは今それを感じていますか? 喜んでいますか?そして主を愛していますか?困難や悩みによって私たちの目が曇らされ、時には人生の目的さえもわからなくなったりズレてしまうことがあります。でもわたしたちが恵みを求めるなら、真実を求めるならイエス様のところに来るしかありません。「あなたは他の誰からよりももっと、主に愛されて生かされている。」シンプルだけど一生かけて知っていく価値のある奥深い真実、それが主の愛。イエス様、どうぞ今日あなたの愛をもっと私に満たして、あなたのことをもっと教えてください。