*1999年12月第3週(99/12/17)メッセージノート*
クリスマスメッセージシリーズ III
豊かさの基準
(ヨハネによる福音書1:15-18)
1. 豊かさはどう量る?(15,16 マタイ3:1,2 イザヤ40:3)
1、この世界の豊かさ
2、イエスキリストの豊かさ
3、満ちあふれる豊かさの中から、与えられ続ける恵み
2.イエスキリストを通して与えられる恵みと真理
(17 ローマ7:15-20,24-8:6)
1、キリストを知らないことは律法の下にいること
2、キリストを知れば尽きない恵みの中で真理から逸れないで生きられる
3. 神様を見る方法(18)
1、イエス様を知ろう
2、イエス様を信じよう
3、イエス様に従おう
4、イエス様を伝えよう
*メッセージのポイント*
究極のクリスマスプレゼントそれは神様が私たちにイエス様を送ってくださったこと。本当に豊かになる方法は、イエスキリストに従って歩むことです。あなたはこの神様のプレゼントをもう受け取りましたか、受け取ってもまだ包みを開いていなかったり、使っていなかったりではありませんか?
またあなたがこのプレゼントによって恵まれているなら、独り占めしないで誰かにプレゼントしてください。
*ミニチャーチのためのヒント*
1、あなたにとって本当の豊かさとは?
2、「クリスマスプレゼント」のことを話してみましょう
ディボーションノート
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―
ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。
12月18日(土)ヨハネによる福音書1:15/イザヤ書40:1~5
最近はクリスチャンでもそうでなくても天の声、神の声を聞いたといって人の心を惑わす人が沢山出てきていて、神様を信じて従って行こうと歩んでいる私たちも、「宗教やってる人」なんて目で胡散臭く見られたりして、少し引いちゃっている人もいるのではないでしょうか?聖書は預言を否定するものではありません。しかし、それは「吟味」されなければならないと書かれています。人々を惑わさないという意味では預言をすること以上に吟味することが重要に思えます。吟味はキリストの体・教会(つまり私たち)が、イエスキリストの真理と恵みに従って、するものです。「えー自分なんかがー?」なんて言わないで下さい。聖書に親しむこと、イエス様に従うことが大好きなあなたならその資格ありです。
ヨハネはイエス様の来臨を伝える最後の預言者です。イエス様がこの世界に来てくださったので、もうメシア預言はありえません。イエス様のほかに誰かが来るとか、イエス様が成し得なかったことをする者の到来などの予言は偽の預言です。しかしわたしたちはイエス様の再臨の預言者であると言えます。この世界で主が再び来られまで、福音を伝えつづける預言者です。
12月19日(日)ヨハネによる福音書1:16/ローマの信徒への手紙5:20~21
真っ暗闇に光がともる時、それはなんと温かく心をホットとさせるでしょう。私たちの目は暗闇にさえ慣れてしまうものですが、光を見るとあらためてそのコントラスト(=大きな違い)に気付かされます。毎日世の中では理解できないことが本当に沢山起こります。不正、暴力、争い、虐待、別離・・・、数えればキリのないことが国家レベルでもまた身の回りでも起きて、その度に「世紀末・・」といった言葉でくくられます。でもきっと人間は実はその歴史の初めから、神様を離れた時から、ずっとこんなことを繰り返してきたのではないでしょうか。どんなに物質や富や楽しみで紛らわそうとしてもごまかしきれない悲しみや不安を、ずっとそのまま引きずって歩いているのではないでしょうか。
こんな望みのない人間のために、イエス様は来てくれました。死と罪の支配から解放して、神様の正しさと恵みの支配の中に入れてくださるためです。闇が深いほど神様の恵みと憐れみが大きい・・・ここに私たちの希望があります。
12月20日(月)ヨハネによる福音書1:17/ローマの信徒への手紙6:1~11
お世話になった牧師の奥さんが病気で亡くなられた時、私は彼と残された小さな子供たちの強さに驚かされました。大きな悲しみの中にあっても、神様に対する信頼と信仰は決してゆるがされることはありませんでした。彼は「神の恵みによって支えられています」と言いました。
恵みとは、自分には値しない神様からの恩恵というだけではありません。権能を与える神の臨在という意味があります。その神の臨在である恵みによって、神様が私にして欲しいと思っていることをすることができ、神様が私になって欲しいと願っておられる私になれるのです。そして、神からの恵みを私たちが体験することを可能にして下さったのはイエス様です。イエス様の誕生をお祝いするこのクリスマスの時期、そのことを改めて感謝するとともに、まだこのすばらしい神様からのプレゼントを受け取っていない人達に伝えることができたらと願います。主の恵みによって。
12月21日(火)ヨハネ福音書1:18/ガラテヤの信徒への手紙3:26~29
「神は愛である」とよく書かれていますが、私の場合、そしてほとんどの人は救われた後、少しづつ本当の意味が分かってくるのではないでしょうか。愛してくれる方とか助けてくれる方なら理解しやすいけれど、愛そのものとなると難しく感じていました。そこで、一番天の父が愛そのものだと思うところはやはりこの箇所にあるように「父のふところにいる独り子である神」イエス様を値しない私達におくって下さったことです。それほどに「世を愛された(3:16)」と書いてあるとおりに、全て私達のためなのです。その独り子を信じる者は誰でも新しい命、永遠の命をいただき、さらに神の子として「約束の相続人」であると言うのです。この真実はあまりにもすばらしくて、且つまたシンプルすぎて、すぐにピンとこないかもしれません。でもこれを本当に理解し、受け入れると神様の力と権威も与えてもらえるのです。しかし、ただ理解しただけではなく、やはり愛が動機でなくてはなりません。そのためにもいつもイエス様の近くにいましょう。
12月22日(水)詩編66:1~2/ルカによる福音書1:46~55
天使の言うとおりにマリアは身ごもりました。私達の常識では信じられない主の大きな業がマリアの内に起こりました。私達の内にはマリアのように大きな業が行われているでしょうか?皆さんはどのように感じていますか?人の誕生や死は私達にとって非日常であり、そのことに神様の介在を感じる人は多いと思います。しかし現在の社会で危険と隣り合わせで生活している私達が1日を無事に終えて家に帰り着くこと、そのことに神様の大きな業を感じます。「今日は何も無かった。」と振り返る単調と思われる1日1日は神様が危険な物を私から遠ざけてくれているからこそ成立するのです。それは単なる偶然ではありません。神様は毎日大きな業を私の内に起こしてくれて、その連続で私は生まれてから今まで生き続けています。この大きな業を覚えて、感謝の気持ちを神様に表したいと思います。
12月23日(木)詩編66:3~4/ネヘミヤ記9:30~31
神様が私のためにその命を犠牲にしてくださったことを知り、私はその愛に応える生き方を選びました。それ以前の私は本当の愛や自由も、生きる目的も意味もわからず、さまよっているような感じでした。神様に出会い、少しづつ神様の偉大さを経験し実感することを重ねてきました。今は神様が目的を持って私を造って下さったことを本当に喜んでいます。神様が一番私にふさわしい生き方をご存知で、その道を与え、その歩みを助けて下さるのです。最近強く思うことは、こんなにも「恵みに満ち、憐れみ深い神様」の存在と、その神様に従う時の安心感をみんなに知らせたいということです。不思議な方法で神様が私を引き寄せて下さり、出会いました。その陰には先にクリスチャンになった人達の祈りがあったことを後から知りました。私も神様から憐れみと忍耐の心をいただいて、まだ神様を知らない人のために祈り続け、出来る限りをしたいと思います。