*1999年12月第5週メッセージノート*
2000年:ヨベルの年(ルカ4:16-21 、レビ記25章)
Y2K=We say "yes" to (2) the King
(主にむかって「はい!(イエス!)」と応える)

A. ヨベルの年

1.50年ごと−7回目の安息の年の後(8-10)

2.借金は帳消しにされ、奴隷は解放され、所有地は戻される(13)

3.全ての人が新しくスタートする

B. 全ての人は神のもの(23 )

1.一時的にサタンのものとなっている(ルカ4:5-7)

2.ヨベルの年に全てのものは神に戻される

3.イエス様はヨベルの年に戻られると宣言した(ルカ4:19)

4.イエス様は買い戻しの権利をくださった(24)

C. 罪:サタンの奴隷(47-53 )

1.サタンは神の国の異国人であり、私たちは神の民である(47)

2.私たち一人一人は神の国に買い戻される権利を持ている(48)

3.永遠に自由を得る代価は、イエス様だけにしか支払えない高額なもの

4.私たちが受け取るのは、息子として相続する贈り物である

*メッセージのポイント*
2000年:収穫の年イエス様は、私たち皆のために買い戻し(あがない)の代価を払って下さいました。そして、神様は私たちの誰ひとりとして滅びることを望んではいません。私たちは、出ていって人々に買い戻される(あがなわれる)チャンスがあることを知らせるべきなのです(26)。今年は神の国が広がるための年となり、多くの人々が、主にむかって「はい!(イエス!)」と応えるでしょう。


ディボーションノート
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―  

ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金 曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取っ たものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読 み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってくだ さい。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

1月8日(土)レビ記 25:8〜10  
 私の家はクリスチャンホームではありませんでしたので、子供の頃、一年のう ちで一番特別な時はクリスマスよりもお正月でした。いつもは忙しい父もお正月 には必ず家にいて、一緒に遊んでくれたり、出かけたりしたのを覚えています。 今も日本ではほとんどの人にとってお正月は特別な日、待ち遠しい新しい年の始 まりとして家族でお祝いするのではないでしょうか。旧約時代のイスラエルの人 たちにとってヨベルの年はこのお正月のようなものでした。しかも、お正月の5 0倍くらい(50年に一度なので?!)盛大に、家族がみな集まってお祝いした のだと思います。  いよいよ2000年という区切りの年を迎えました。今年が教会の皆や家族にとっ てヨベルの年のように特別な主の恵みの年となるよう祈ります。また、全く新し いスタートをするという意味でも、イエス様が新しいスタートを与えて下さった 時の初心を思い出して感謝し、もっともっと神様に近づくことができるようにな りたいと願います。

1月9日(日)レビ記 25:13
 今年2000年というのは正にヨベルの年に当たるわけですね。50年に一度のこの 年は、旧約時代に全ての人の借金は帳消しにされ、奴隷は解放され、所有地は戻 されるとなっていました。全ての人が新しくスタートできるチャンスが与えられ た素晴らしい「主が恵みをお与えになる年」(イザヤ61:2)です。今の私達の 時代はもちろん借金が帳消しになったりはしませんが、ある意味でこれは救われ た時の私達じゃないでしょうか。救われるとイエス様が全部私達の代わりに代価 を払って下さるのです。それも私達が一生かかっても支払えない罪の代価と自分 たちの力では得ることの出来ない赦しという高価な物。主は私達の過去はもちろ ん、現在そして未来の罪のためにも十字架にかかって下さったので、新しい年も イエス様により頼み希望をもってスタートできるのです。

1月10日(月)レビ記 25:23〜24
 私は30世帯程の共同住宅に住んでいますが、この土地はこの30世帯で共同所有 しています。形ある物はいつか朽ちます。何十年か先に建物がなくなってもこの 土地は残ります。でも実際に私が所有しているのは、区切って建物が建つような 広さではありません。実際このような建物を建て直すときには厄介な権利関係に 伴う問題が起こるようです。今日の聖書の箇所は明確に、土地は神様のものであ ることを宣言しています。私は法律上の権利を持っていますが、聖書は私たちが 寄留者、滞在者に過ぎないことを教えてくれています。わたしたちは土地であれ 物であれ、所有することに執着することで「心の平安」を失います。聖書は社会 の制度として所有ということを認めていますが、それは社会を円滑にする制度で あって、本質的には神様のものを預かり管理しているに過ぎません。そのことを 知っていれば所有欲からもっと自由になれます。


1月11日(火)レビ記 25:47〜48
 私にはまだ唯一の神様を信じていない愛する家族がいて、私はいつも彼らのた めに祈っています。忍耐のない私は、価値観の違いにショックを受けたり、どう やって神様の愛を彼らに伝えたらいいのかと焦ったりするのですが、そんな時は 実はもっと大きな「戦いの構図」があることを忘れてしまっているのです。闇の 力を制して勝利を取られるのは神様であって、その神様ご自身がどんなに私の家 族を愛して、待って、追い求めてくださっていることか・・(2ペ トロ3:9) 人が神様に出会う方法やタイミングはみんな違い、神様だけがご存知です。だからもう一度神様に期待し信頼して、私は家族をありのままで愛し受け止めつづ けたいと思います。


1月12日(水)エゼキエル書46:16〜17/ローマの信徒への手紙 8:17  
 私達は神の子なので神様の相続人です。言い換えれば、神様が持っている良い ものを譲り受ける権利を持っているとういことです。しかもこの権利は誰からも 侵害されることはありません。自分を顧みると、少しずつ神様の愛の性質を受け ることができ、遅いながらも成長していると言うことができます。それは「変わりたい」「成長したい」と願い、権利を使っているからにほかなりません。願い がなければ権利は使われることなく、宝のもちぐされになってしまいます。 ローマ8:17には私達はキリストと共同の相続人である、とあります。私達が 苦しみの中にあってもキリストが共にいて、栄光も共に受けることができるとい う保証に平安を覚えることができます。


1月13日(木)ルカによる福音書 4:16〜21
 イエス様はご自分が来られたのは、解放と自由と主の恵みを告げるためだと宣 言しています。イエス様に出会うと誰でもこの聖書の箇所のとおりに解放と自由 と恵みを与えられますが、その過程は人それぞれだと思います。私の場合、少し づつ絡まった糸をほぐすように神様が丁寧に教え、与えてくださっています。今 までの固定観念、自分で立てた人生計画、物欲、執着心、コンプレックス・・・ たくさんの不必要なものから、少しづつですが確実に解放されていると感じてい ます。この新しい年は更に大胆に神様に近づき、神様が与えて下さる本当の自由 をもっと体験したいです。そして、その喜びによって人に伝える事が今年の目標 です!