*2000年1月第4週メッセージノート*

神の御国シリーズ1(パート 2a:)
神の御国はここに:しかし今はまだ

A. 御国の神秘
1.神の方法は私たちに混乱をもたらすことがある(マルコ4:11-12)
2.イエスの時代における大衆の期待(イザヤ9:7; 49:8-13)

B. 神の御国:すでにここに、しかしまだ完成されてはいない
1.中間の時代を生きる(マタイ13:24-30, 37-43)
2.戦争には勝ったが、戦闘は続いている(I ペテロ 5:8-9)

C. 私たちはどのように生きるべきか?
1.常に祈る、そしてあきらめない(ルカ18:1-8;ダニエル10章)
2.御国への近道はない(マタイ13:44)

*メッセージのポイント*

 この世において神の御国の一部として生きるということは、困難、落胆、失望があることを意味します。しかし、私たちには神様がいつもともにいて下さり、決して私たちを見捨てない(マタイ28:20)という保障があります。そして、何ものも私たちから神様を引き離すことはできません。(ローマ8:38-39)

*ミニチャーチのためのヒント*
 1.御国の神秘とは何でしょうか?
 2.一世紀当時の人々がイエスの到来をたやすく見逃してしまったのはなぜですか?
 3.私たちがまだ完全には体験していない神の御国にはどんなことがあるでしょうか?


ディボーションノート
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―

ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

1月29日(土)マルコによる福音書 4:11〜12
 聖書は、イエス様が来られた時からこの地上に「神の国」が始ったと言っていますが、大多数の人はまだそのことに気づいていません。ある人が、人は旅行に行く前には必ず旅行先の情報を集めたり、荷物の準備など万全を整えるのに、どうして人生という旅の歩き方そして行き先についてこんなに無頓着でいられるのだろうと言いました。そのうちに考えるさ・・と思いながら一度しかない大事な人生を無駄に過ごさないために、今ここで「自分はどこにいるのか、何を信じているのか」を確認してみてはどうでしょう。「神の国」それは「神様の権威と愛による支配」、つまりあなたの人生のベストパートナーであるイエス様が共に生きてくれるということ。あなたが望むなら、「神の国の国民」としてもっとよく見、そして知ることができるようになります。

1月30日(日)イザヤ書 49:8〜13
 イタリアのプロサッカーリーグで活躍している中田英寿さんが最近ローマに移籍しました。2戦目で指令塔の役割を任せられましたが、周りとかみ合わず良いプレーができないまま交代させられてしまいました。やはり前のチームとはレベルの違いがはっきりしていて今までのように活躍出来るようになるまでにはまだ少し時間がかかりそうです。私は小学校の頃、周りの子供達が裕福で劣等感を感じていた時のことを思い出しました。努力をしてもどうにもならないことで腐っていました。あの頃イエス様を知っていたら、そんな思いはしないでいられただろうなと思います。あなたはそんな状況に置かれたことはありませんか? 周りの人々は皆自分よりも優れていてどんなに努力しても追いつかない。そのうちに自分の失敗によって、周りに迷惑をかけていたたまれない気持ちになったり、責められたり・・・・でも神様はそんなあなたを選んで、今いるところに立てさせて下さっているのではないでしょうか? あなたを選んだ神様はあなたが歩く力を与え、必要な糧を与え、あなたの人生を勝利に導いてくださいます。どんなに苦しい所を通っていたとしても、神様は信じて従うものが失望に終わることを許さないお方です。

1月31日(月)マタイによる福音書 13:24〜30、13:37〜43
 バックヤードに畑を作り、インゲンを植えることにしました。まず野原を耕し畑の形にし、肥料を土に混ぜ合わせ種を蒔きました。一日も欠かさず成育の様子を見に行き、水や肥料を与えました。そして最も適切な時期に収穫をしました。私の目に良さそうな実は丁寧に穫り、悪い実は収穫しませんでした。良い実は私達家族の栄養となり、立派にその役割を全うしました。これらの過程の中では当然収穫が一番の喜びの時であり、待ち遠しい時でもありました。神様も私達を畑に蒔かれました。そして毎日忘れることなく手入れをしてくださり、必要な養分や水を与え続けてくれています。そして収穫の時を期待して待っているのではないでしょうか。私も良い実を実らせたいと思います。インゲンと違い実の善し悪しの判断は私にとって時には難しいこともありますが、主に聞く態度を保ち収穫を待ちたいと思います。

2月1日(火)ペトロの手紙一 5:8〜9
 神様の恵みをまだ知らない人々に伝えたい、新しいクリスチャンが神様との関係を築いていくために何か手助けをしたいと願っている者にとって、くり返しやってくる困難や落胆はつきものです。みことばにあるように、敵が存在し、神様の邪魔をしようと色々な罠を仕掛けてくるからです。私も度々、「何の役にも立っていない、一生懸命したつもりのことは間違っていた、目に見える成長がない・・」などの思い煩いに落ち込んでしまうことがあります。ですから、私がもし独りでこの戦いをしているなら、簡単に敵の罠にはまり、ギブアップしているだろうなと思います。けれども目に見えるキリストの体(教会)につながることができ、私にはできないことができ、私が持っていないもの(賜物)を持っている仲間が共にいることを知っているので、諦めずにいられます。そして、神様が人の配置や教会の進むべき方向など全てを一番良いように調整して下さり、それが神様のご計画の完成へと続いていることを確認することができるのです。私達は諦めずに、お互いが「信仰にしっかりと踏みとどまって」いられるように助け合い続けることが必要です。

2月2日(水)ルカによる福音書 18:1〜8/ダニエル書 10:12〜14
 私はクリスチャンになってから、結婚のために祈りましたが、そのことが応えられるまで5年間かかりました。また、結婚してから子供が与えられるよう祈ってからは、6年間かかりました。待っている間は、「どうして神様は応えてくださらないのだろう、もう私のことなど忘れてしまっているのかしら」と何度思ったかわかりません。でも、神様は私たちの祈りを聞いておられ、応えておられるのです。ただ、それがすぐに実現しないこともあるのです。
 祈りにすぐに応えてくださるか、または私たちにとってもっとも良いタイミングを待って応えてくださるか、または「No」という答えなのか、それは神様次第です。しかし、聖書に書いてあるとおり、失望せずに、今心にあることを忍耐を持ってあきらめずに祈り続けましょう。

2月3日(木)マタイによる福音書 28:20/ローマの信徒への手紙 8:38〜39
 「命じておいたことを全て守るように教えなさい」と書いてありますが、それは私達人間には不可能であり、そのことを一番分かっているのは神様ご自身です。ではなぜこう書いてあるのかというと、全ての権能を授かっているイエス様がいつも私達と共にいて下さり、どんな時も神の愛から引き離されることはないからです。私はローマ書のこの聖句が大好きです。もう10年近く前のことですが、私が救われて間もない頃、忘れもしないオーストラリアに出張に行くフライト中に神様は幻を見せて下さったのです。目は開いたままでした。二つの腕があって互いの手首をしっかりロックするようにつかんでいるのです。私はすぐにそれはイエス様と私の腕だと分かりました。すると片方の手がパッと離したのですが、もう一方がしっかりとつかんでいるので二人はつながったままでした。このイエス様は言われたのです。「あなたが手を離しても私があなたから離れることはない」と。私の目は涙でいっぱいになって、その幻も消えていきました。その時から私は確信があるのです。たとえ私につかまっている力が無くとも、主が私をしっかりと腕も心もつかんでいて下さると。私のおろかさも汚さも「イエス様によって示された神の愛から、私達を引き離すことはできないのです。」