*2000年2月第1週メッセージノート*

*2000年2月4日メッセージノート*
Αであり Ωである方(黙示録1章1-8)

A. 黙示録 - いつ・どこで・誰が・何のために・どのように

1.皇帝礼拝の盛んに行われたドミティアヌス帝(81-96)による迫害の時代(だいたい95年頃)
2.流刑地パトモス島
3.預言の書
4.七つの教会

B. 語ること、聞くこと、守ること(1-3)

1.黙示=神様の啓示が超自然的幻によって示される
2.内容=神様の言葉とイエス様のなさったあかし
3.信じる者によって語られ聞かれ行われる福音
4.神の計画の時が迫っている?

C. 神様と私たち(4-6)

1.父、聖霊、御子
2.証人、誠実な方、死人の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者
3.私たちをすでに解き放ち、今も愛し続けておられる方
4.私たちは王国(神の国)、祭司

D.再びこられるイエス様(7-8、マタイ24:3-31、ダニエル7:13)

1.はっきりと目に見える形で来られる
2.世の始めから終わりまで、過去・現在・未来の主

*メッセージのポイント*
 聖書に記録された神様の言葉は、本棚の隅に埃をかぶって忘れられているべきものではありません。私たちが求められていることは、神様の語りかけを「聞くこと」「語ること」「行うこと」です。「時が迫っている」のでこれらのことを生活の優先順位の最上位に置きましょう。

*ミニチャーチのためのヒント*
1)メッセージからイエス様はどんな方だという印象を受けましたか?
2)今日の聖書の個所はあなたにどのような具体的な行動を求めていると思いましたか?


ディボーションノート
―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―
 ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

2月5日(土)黙示録1:1〜2 ヨハネの手紙?4:1〜6
 神様は今日でも、人々を通して預言というかたちで語られます。私は預言について学ぶセミナーで実際に体験したり、他の人々の証しを聞いて、預言によっていやされたり、縛られていたものから解放されたりすることを知っています。しかし、経験のあるクリスチャンでさえ、超自然的な現象を求めるあまり預言を間違って理解してしまうという事も起こります。 預言とは、神から預けられた言葉であって、未来を予想して占う予言ではありません。預言は、その人に励ましを与えるものであって、恐れを与えるものではありません。他の人を通して自分に語られた預言は、すでに神様が自分に直接示して下さっていることの確信となりますが、人生を左右するような導きとして鵜呑みにするべきではありません。聖書にはそれが神からのものかどうか試し(test)なさいとあります。もし、必死に導きを求めている時に預言が与えられたとしたら、すぐに飛びつきたくなりますが、本当に神様から自分に与えられたものであれば、他のかたちでも確信が与えられるはずです。神が超自然的に語られるその力を期待しつつ、預言について正しく理解し、霊を見分ける力を求めましょう。

2月6日(日)黙示録1:3 申命記6:1〜3
 神様は人間の目に見えない方なので、その分私達に聖書という目に見える物を下さったんだと思います。聖書以外で神様を知るのはとても困難でしょう。不可能と書こうと思ったのですが聖書が手に入らない国などで主に出会う人もいるので、それは神様の主権です。「To know who are in Christ  神にあって自分を知る」というフレーズを良く耳にしますが、まず「Who is Christ 神はどういった方」か分かっていないと意味がありません。私達は神の子でありますが、神様がどんな方か分かっていないとその言葉に力はありません。 誰かが預言したときに識別するのに三つの方法があると前に教わりました。まず・その預言した人が主と共に歩んでいるか関係を見ること・次に預言された言葉は神様の性質と合っているか、励ましているか、徳をたてているかなど・最後が一番重要で聖書の言葉に倣っているかよく吟味すること。神様は決して聖書に反することはおっしゃらないからです。

2月7日(月)黙示録1:4〜5a ペテロ?1:16〜21
 もし無人島に独りでいなければならないとし、どんな本でも一冊だけ持っていても良いとしたら、何を持って行きますか?文字好きの私の妹は広辞苑を持っていき、分厚いその本を最初から最後まで読むと言っていました。私は他のクリスチャンと同様に聖書を持って行くでしょう。そして救助を待ちながら、神様との関わりを保つことでしょう。 私自身今まで幾度と無く聖書の言葉に支えられてきました。また同じ聖句にすべての時代、すべての地域の何人もの人々が励まされたのかと思うと、聖句の存在の素晴らしさと、真理を感じざるを得ません。ヨハネの黙示録は7つの教会にあてられたメッセージで、私達は表面上の受取人ではありませんが、神様から自分に対する思いや励ましを読みとることができます。そしてこれらのメッセージの原点には神様の深く強い愛が私に向かっているということを感じることができます。

2月8日(火)黙示録1:5b〜6 出エジプト記19:1〜9
 私たち一人一人は御国のただの小さな一部ではありません。むしろ、私たちのうちに100パーセント御国があるということなのです。なぜなら、神のことばが私たちのうちにあるからです。私たちは単に御国のメンバーなのではなく、祭司です。神様が、私をご自身の国を築くための場所として選んで下さっているとは、驚くべき事であり、同時にそのことに圧倒される思いがします。IIテモテ2:1-2には、私たちは、忠実になり、学んだことを教えなさい。圧倒されたときにはキリストにある恵みによって強くなりなさいと書いてあります。大宣教命令を遂行することは私たちの神との契約です。教会のリーダーだけでなく、全ての人にとってとても大きな責任です。また、私たちが祭司であるからといって、何でもしたいことをしてよいという意味ではありません。私たちは上にたてられた権威のもとにあるのです。神からいただいたもの−私たちを自由にする真理(ヨハネ8:32)−をどのように扱うかについて一人一人が神に対して申し開きをする責任があります。

2月9日(水)黙示録1:7 ペテロ?3
 イエス様が天に帰られてから、一体何人の偽メシアがわたしこそキリストの再臨といって人々を混乱させてきたことでしょう。そのような者たちに心が惑わされないように,多くの聖書の箇所が教えていてくれるのにもかかわらず、世界中で毎日のように「メシア」が誕生しています。聖書には全く関係のない背景のカルト教祖だけではありません。聖書を信じている?といいながら「実は私こそここに書かれているキリストの再来です」といってアプローチしてくる偽メシアに惑わされ信仰を失う人もいるのです。 そんなに見分けることが難しいのでしょうか? 今日の聖書の箇所を読むと、イエスさまは別の誰かとしてこられるのではなく、信じるものにも信じないものにも全く議論の余地のないようなはっきり目で見てわかるかたちで再臨されるということがわかります。 だからわたしたちは,いちいち自分はメシアだと主張しなければならない者を相手にする必要はありませんし、恐れる必要もないのです。むしろ私たちはその日が明日来ても、あるいは自分が生きている間には来なくても、どちらにしても後悔しないで済むように,毎日を精一杯生きることが大切なのではないでしょうか?

2月10日(木)黙示録1:8 マタイ5:17-20
 もう10年以上も前のことですが、当時一緒に仕事をしていた友人が言った言葉が心に残っています。精神的にも経済的にも苦労が多く,結果がすぐにでない状況の中で彼は「自分たちがしている仕事は、永遠につながる仕事なのだ」と言ったのです。神様はただ一人、全宇宙のすべての時間と空間を支配している究極的な存在です。そしてこの世界には始まりがあったと同じように、終わりがくると聖書ははっきりと語ります。この神様を知り信頼して生きる時に、自分の存在や今していることが空しい偶然ではなく、神様の支えと応援の中にいることを実感するので、その友人のように焦らずに苦労をも喜ぶことができるのです。私たちが今すでに「神の国」に生きているということは本当に素晴らしい事実です。全てを完成してくださるイエス様と一緒に、小さなことにも大きなことにも心をこめてよい仕事をしていきたいと思います。