*2000年5月21日メッセージノート*

計画を立てることは聖書的か?  

 わたしたちの教会のあり方について記された「信仰とヴィジョン」は教会のウエッブサイトに公開されていて世界中の誰もが読むことができます。そこにはわたしたちの教会の目的が記されています。その文章の最後は「5.ユアチャーチのあした」という部分でそこにはその目的に従って具体的な目標があげられています。その第一段階、つまり私たちの最初にクリアーしたい目標は次のようになっています。
  <経済的に自立しフルタイムスタッフをサポートする教会>
   10以上のミニチャーチと100人規模の礼拝出席 
   2名のフルタイムスタッフサポート
   教会開拓準備を開始する
 この目標は待っていればいつか自然にやってくると思いますか?わたしは目標とは短期計画、中期計画、長期計画によって達成するものだと思います。よく他の牧師に言われることは「信仰によって進むべきだ。計画なんて人間的ではないか」という批判です。故ジョンウィンバーは私の代わりにこれらの批判に対してこう答えていました。「では私は計画によって私の信仰をお見せしましょう」実際、彼の妻がリビングルームではじめたホームグループが十数年のうちに1000人以上の人が集まる教会に育つだけでなく、ヴィンヤードとして世界中にプランティングされて広がった背景には、実行可能な計画の積み重ねがあったのです。もちろんそれに神様が同意されて実現したわけですが。
 これまでのユアチャーチの歩みにおいて私は目的と目標は折に触れて語ってきましたが、様々な理由(最大の理由はまだわたしたちに充分受け入れる準備ができていなかったことです)から計画については触れずにきたのです。それは教会が計画を立てるべきではないと考えていたからではなく、時ではないと考えていたからです。
 神様は教会やクリスチャンが計画を立てて目標を達成するということを支持しておられるのか?そうだとしたらこの世の企業の計画とはどこが異なるのか?そこから学ぶことはあるのか?これらの答えを聖書から明らかにしていきたいと思います。

A. 聖書は計画を立てることの重要性を支持している。

1)イエス様の目的 
皆さんはイエス様がはっきりした目的を持ってこの世界に来てくださった、ということにはおそらく同意してくださると思います。それは聖書のいくつもの個所にご自身の言葉として記されています。(例えばヨハネによる福音書2:44、ルカによる福音書4:42-44節)そしてルカによる福音書4章17-
21ではまだそれらのことをなさる前から、この目的(神の国の到来と完成)に従って具体的にはどのようなこと(救い、解放、癒し)をするのか、イザヤの預言の成就として大胆に語られました。そして人としてのイエス様が関わられるのは、原則としてユダヤ人の中だけだとも明言されています。しかし弟子達が異邦人の中に出て行くことも命じておられ(マルコによる福音書16:15)イエス様は2000年経ったいまでも進行中の長期計画も、ご自身の地上での生涯で達成された魂の救いという中期計画も持っておられれたということです。イエス様はこのことにおいて一貫しておられました。教会はこのことを見習わなければなりません。

2)イエス様のプラン
 イエス様はその計画を紙に書きとめはしませんでしたが、3年というタイムリミットのなかで行き当たりばったりに神の国を伝えようとはしませんでした。まず12人の弟子を選び、すぐそばにおいて寝食を共にして訓練したり、町や村に派遣したりして育て、更に72人を派遣できるほどに育てました。最後に弟子たちのそれぞれのパーソナリティーを見極めペテロに大きな権威を与え、十字架の上で中期計画を達成しました。そのあと国内伝道に力を発揮したペテロの変わりに、海外宣教のためにはパウロを不思議な方法でリクルートしヨーロッパ進出を果たしました。

3)旧約聖書はどう教えているでしょうか?
 特に箴言は神様の計画と人間の計画についてその大事なバランスについて教えてくれます。
神様には最高の計画があること、しかし人は神様に対する信頼と、いただいた知恵によって計画を立てて進めて行くことによって神様の計画を担ってゆくものだということが書かれています。(箴言16:1-9)ソロモン王はダビデ王の意志を継いで7年の長期計画で神殿を完成しました(列王記上6:37-38)
 

4)ユアチャーチの役割
 そこでユアチャーチにも特別な使命が与えられている以上、そこに向かう道筋を見定めてゆく必要があります
 一番遠くの方から見て行きましょう。教会の役割は全ての人を罪から解放し神の救いに導くことです。わたしたちは99%のまだ主を知らないこの国の民と宣教師を必要としている国や地域に対してこの責任を負っています。そのための働き人を送りだし、新たに救われた人を聖徒として整える強い教会となることを求められています。例えば町田市と相模原市を合わせた人口はほぼ100万人になろうとしています。そしてここには約80の教会が存在しています。それぞれの教会の現在のメンバーの数の平均は30人位です。いまの人材や施設で3倍まで増やせるとすると7200人にクリスチャンとして成長する機会が与えられることになります。それは人口の0.72%です。あなたはこの数字が妥当だとおもいますか?クリスチャン人口はここ10年ほとんど変わっていません。人口増加率に比べればマイナス成長でさえあるのです。教会が影響を及ぼすことのできる範囲はその教会に人が通ってこられる範囲です。この範囲の中にいる人々の必要を見出し、与え、育てることが一人一人に求められています。わたしたちはよく機能しているミニチャーチが10あれば教会は自立できると考えています。必要な人材もほぼフルタイムで仕えることができるでしょう。そこから新しい教会をスタートできる体制が整い始めます。
新しい牧師はミニチャーチの牧師、協力牧師として経験を積みます、新しい教会はいまの教会とさほど離れたところに出て行く必要はありません。同じ地域であってもユアチャーチが複数存在してもよいのです。オーバーラップすることの利点は、プランティングを始めた人々がいつでも母教会から必要な助けを受けられることです。この地域の80の教会の他に120のユアチャーチがあったとしても、まだこの地域のお寺の数には及ばないのです。この全ての教会が500人の救いを経験したとしても人口の10パーセントでしかないのです。

B. 教会の目標に対応するするわたしたちの目標

1)ミニチャーチ
参加する
一定の役割を果たす(お客さんではなくなる)
誰かを誘う
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ミニチャーチを開く
ミニチャーチ牧師の見習をする
ミニチャーチ牧師になる

2)献げもの
十分の一に近づくような一年計画を経てる

3)成長
ディボーションの習慣
信仰(愛)の実践
イエス様を紹介する
体の一部としての自覚

4)礼拝
生活のプライオリティーの最上位におく
教会・礼拝で責任ある役割を果たす
チャーチプランティングに参加する
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リーダーとしてチャーチプランティングを行なう

C. 大切なこと
1)目標を見失わない(困難であっても妥協しない=出エジプトの40年)
2)すぐに実現しようと焦らない
  (いままで出来なかったことが一夜にしてできるものではないソロモンの7年)
3)神様の助けがあって初めて可能であることを忘れない(祈りと謙虚さ=箴言16:3)
4)自分の計画が神様の教会に対する計画とどう連動しているかいつも意識している(箴言16:2)

*メッセージのポイント*
 神様ははっきりした目的を持ってイエス様をこの世界に派遣されました。イエス様はこの目的に従って人々を見出し、育て、派遣しました。この派遣の中にユアチャーチがここに存在すること。わたしたちがここに遣わされていることも含まれています。神様はわたしたちがその計画に与るために計画を立て歩むことを祝福してくださいます。

*ミニチャーチのためのヒント*
1) あなたの集うミニチャーチは教会の第一段階の目標に従ってどのように祈り求めてゆきますか?
2) まず第一段階をクリアーできるようにミニチャーチとしてしてゆきたいことは何ですか?

*ディボーションノート*―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―
 ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。

5月22日(月)マタイ6:19-24/箴言16:1-9 
 
「インシャラー」モスレム圏のアラブ諸国では待ち合わせの時間を約束する時などにこう言い添えます。「もし神様のみ心ならば」と言う意味です。悪く取れば「遅れたり、すっぽかしてしまったらそれも神様のみ心と思ってね」という言い訳の言葉ですが、ここには日本人に決定的に欠けている「主権を持った神様がおられる」という認識が現れているとも言えます。
 聖書は神様の計画に従うためにこそわたしたちは堅実な人の計画を立て歩んで行くことを勧めています。約束したり、計画を立てたりして一生懸命になることは大切ですが、その土台に神様の計画があることを認めないなら、自分かまた神様ではないなにものか(やがて朽ち果てる地上の富)に仕えることになります。人間の立てる計画と神様の計画との関係について理解をするなら計画することは有益なことです。私たちの立てる計画が神様の計画の中で、神の国の建設の一部として寄与しているのです。


5月23日(火)マタイ6:25-34/列王記上6:37-38
 
最初にこの個所(マタイ)を読んだ時、人の努力は必要ないと教えているのだろうかと誤解したことを覚えています。「神の国を待ち望む」ということは、考えたり悩んだりしないで天に移される日を待ち望むという消極的な生き方を聖書が教えているのだと思ってしまったのです。ソロモンは父ダビデの意志を引き継いで7年かけて神殿を完成しました。イエス様も3年間で世界を決定的に変える働きを完成し、神の国の前進のためにわたしたちが仕えることができるよう土台を整えて天に帰られたのです。
 ここに書いてあることは、思い煩うなということであって、将来の計画を立ててはいけないといっているわけではありません。求めるべきものを間違えずに求めましょう(何を着ようか、食べようかではなく、神の国と神の義)
 

5月24日(水) マタイ7:1〜6、出エジプト2:11〜15
 この聖書の箇所はいつ読んでも耳が痛いです。私もついつい人を裁いてしまっていることに気が付きます。というより主の憐れみによって気付かせていただいているのですね。数年前にある本に書いてあることでドキッとしたことがありました。それには相手を救う(英語でSAVEでした)ことができないのなら裁いてはならないと書いてあったのです。何も生まれないので意味が無いとも書いてありました。なぜそんなに私がギクッとしたかというと、ちょうどその時私は他の教会でリーダー的ポジションにいてもう一人のリーダーに対して批判的になっていたのです。はっきり相手に伝えるわけでもないし、もやもやした気持ちでいた時でした。ハッとさせられました。私はその人を救うことはもちろん、変えることすらできないし、まったく何もその中で生まれてこないのです。私はすぐさま主にその人を受け入れられるように私を変えて下さい!と祈りました。あっと言う間に神様のあたたかく力ある臨在に包まれ、苦々しい思いはとけていきました。主にもっともっとより頼んでいきたいです。

 

5月25日(木) マタイ7:7-12/Iヨハネ5:13-15 
 今日の聖句の鍵は、私たちが、何を求め、何を探し、どの扉をたたくのかを知る必要があるということです。小さな子供は自分のために良いものが何かを知りませんから、自分が好きなもの、例えばお菓子などを欲しがり求めます。しかし、私たちは成長するにつれて、自分が良いとか正しいと知っていることに基づいて選択をするようになります。教会やミニストリーの場合にも、イエス様という究極的な教会のかしらがおられますが、私たちは選択をしていきます。イエス様はご自身の教会を建てあげるための助けとして私たちを選んでくださったのです。これまでに神の御国シリーズで学んできたように、私たちは父が言うことを聞き、父が行うことを行わなければなりません。神の国についてのきちんとした基盤をもっていれば、御国の目や耳が養われているはずですから、私たちは何を求め、何を探し、どの扉をたたくのかが簡単にわかるはずです。これが私たちが神のうちに持っている自信なのです。
 
 

5月26日(金) マタイ7:15-20/Iヨハネ4:1-6
 最近、「天声」に従いなさいなどと言って多くの人から大金を巻き上げていた宗教家(詐欺師?)の事件がありました。ある人がその事について「本当に天声だったらお金がかかるはずはありません」とコメントしていたのですがそれは真実です。私たちの神様は何かを与える代わりにお金はもちろん、見返りを要求するような方ではありません。また、本物か偽物かを見分けるにはその人の結ぶ実を見て判断するように聖書は教えています。インチキ臭い天声に惑わされるクリスチャンはいないかもしれませんが、預言と称して実は神様からではないものに直面する可能性はあるでしょう。
霊的なものだからといって、すぐにとびつくのではなく、それが本当に神様からのものかどうか見分ける力(識別の賜物)を働かせる必要があります。また、自分が計画していることが神様の御心なのか確信を求めることも大切です。神様からの計画は、平安と将来と希望を与えるものですから(エレミヤ29:11)、心を尽くして求めましょう。

 

5月27日(土) マタイ7:24-29/ルカ14:27-30
 
私たちの信仰生活は家造りに例えられます。まず家を建てる土地探しですが、主が私達を選んでくれたので決して揺らぐことのない岩のような強い土地に辿り付くことができました。この土地に家を建てますが、ます設計図を書き、予算に合わせて柱や壁の等の材料を選択し、実際に工事を進めていきます。全ての段階で神様に注意深く聞いていないと頑丈な家は建てることができません。雨や風によってたちまち家が倒れてしまいます。またいくら家が強くても基礎の岩との結合が弱ければ、岩から家がずれ離れてしまいます。常に聖書に触れ、主とコンタクトをとることでその結合は保つことができます。私達は弱い存在なので間違いを犯してしまいます。主の喜ばない設計図を引いたり、弱い材料を選択したり、また基礎との結合をおろそかにしてしまいます。しかしいくらそのような失敗をくり返しても主の土地は変わらずそこにあり、戻ることができる、このことに感謝をして主の喜ばれる家造りを進めましょう。