*2000年7月30日メッセージノート* 

Yes, Lord (ルカによる福音書5:1-11)

A  言葉の力

1)  人の言葉の力

2) 神様の言葉の力

B 神様が心に語りかける時

1) 神様は失望している者に語りかける

2) 自分の経験と能力がチャンスをつぶす?

C 「はい、主よ」と従ってゆく道

1) 究極の目的

2) プライオリティーの変更

*メッセージのポイント*
 人は様々な言葉(メッセージ)を頼りに生きてゆく。本当に大切な言葉、信じるにたる言葉はどこにあるのか?聖書は私たちに神の言葉に信頼をおくことを勧め、神様ご自身が目に見える"神の言"イエス・キリストとして世に来られたことを教えている。クリスチャン、それは"神の言"イエス・キリストの招きに「はい主よ、私はあなたに従って行きます」と答え、彼に最大の信頼を寄せて歩む者。 

* ミニチャーチのためのヒント*

1) 「神の言」とは?みんなが持っているイメージを語り合いましょう
2) 「人をとる漁師」とはどんな生き方を意味しているのでしょうか?

*ディボーションノート*―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―
 ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。


7月31日(月) ルカ5:1/イザヤ55:1

今これほど情報のあふれている時代にもかかわらず、人々は混乱しています。何を求めるのか、何が正しいのかわからず、さまよっている人や心を病む人があふれています。しかし、テレビもインターネットもない二千年前の時代のイエス様のまわりにいた群衆は少なくとも求めるべきものを知っていました。多くの人々がイエス様のところに押し寄せました。そこには自分に必要なものがあると知っていたのです。 イエス様のもとに来て失望させられたり、見放されたりする人は一人もいません。なぜなら、イエス様は私たちのお金や名声や能力などと引き替えに何かを与える方ではないからです。そこがカルトや他の新興宗教とは決定的に違うところです。欠点や失敗だらけの私でも、ありのままで受け入れて愛して下さるイエス様をいつも求めていたいです。

8月1日(火)ルカ5:2,3/イザヤ55:2,3

 私たち人間は多くの場合とても頑固です。物事のやり方を変えることに拒絶反応する人がたくさんいます。特に文化、国家、社会といった集団の中にある伝統やしきたりなどはその良い例です。宗教団体も例外ではありません。実際、宗教団体が自分たちの伝統を守るために多くの戦争が起こりました。イスラエル対パレスチナの問題。アイルランドにおけるプロテスタント対カソリックの争い。宗教的な人たちは最も頑固といえるかもしれません。なぜなら、自分たちの方法こそが最も聖いものだと信じているからです。神様は、神の国の働きにおいて効果的であるにはどうすればよいかという洞察や考えを与えて下さいます。私たちが神様のやり方に従うとき、良い結果を得ることが出来ます。しかし、神様は方法を変えることもあるのですが、私たちには変えることが出来ません。「神様は常に正しい方です。神様が私たちにこの方法をくださったのだから、それを変えるのは間違っています。」と私たちは言います。しかし、本当は、神の原則は決して変わりませんが、方法は変わるのです。なぜなら、社会や文化が変化しているからです。伝統的な教会は古くて時代遅れかもしれませんが、神様は違います。ですから、今まで私たちが考えても見なかった事や普通ではないことを神様に言われたときに、驚いてはいけません。私たちはいつも自分たちの方法を変える心構えをしている必要があります、なぜなら神様は私たちより大きく、より知恵のある方だからです。

8月2日(水)ルカ5:4,5/イザヤ55:4,5

 シモンは今まで蓄積した自分の経験や知識からは魚は捕れないと予想しましたが、イエスの言葉だから網を下ろすと答えました。せっかく洗って片づけようとしていた網をまた汚したくないという気持ちもあったでしょう。また他の漁師達も魚は捕れないと考えていたでしょうからシモンの行動は奇異に映ったと考えられます。しかし全てをさしおいてイエス様の言葉に従ったのです。その結果は今までにない大漁でした。イエス様の言葉は時に既成概念や自分の経験に反することがあります。私がクリスチャンになってからシモンのような劇的な経験はありませんが、これからの人生の中で勇気を持ってイエスの言葉に従い、大漁を味わいたいと思います。

8月3日(木)ルカ5:6,7/イザヤ55:6,7

クリスチャンになりたいと決心して間もないころ、「神様に聞き従う」という経験をしました。交際をしていた人に、婚約を目前にして「交際中止宣言」をしたのです。とても結婚願望が強かったし、その人との将来を思い描いていたので、私一人ではとてもできない「宣言」でした。かといって、誰かがノンクリスチャンと結婚してはいけないと言ったわけではありません。神様の愛について話しを聞いて、その愛を信じて生きてみたいとわりと軽い気持ちで(?)クリスチャンになり、結婚のことを考えたり祈ったりしているうちに、その結婚に疑問というか不安というか、心の中にもやもやしたものがあることに気付きました。言葉にするなら、神様が「今の状態で結婚するのは良くないよ。私が用意するもっと素晴らしい計画を受け取ってごらん。」という感じです。相手を怒らせ、その人との関係を失うかもしれません。神様の計画だってどんなものか見当もつきません。とても悲しく辛いことでした。でもなぜか私は神様に聞き従い、その人に交際を中断したいこと、教会に行って私の信じる神様のことを知って欲しいことを伝えたのです。よちよち歩きのベイビークリスチャンの私にもちゃんと分かるように教え、実行する力を与えられました。そして、2年後その人は神様を信じ、私が思い描いていた以上の結婚生活がスタートしました。シモンが大漁だったように、本当に大きな祝福が与えられました。そしてこれは神の子すべてに約束されていることなのです。

8月4日(金)ルカ5:8,9/イザヤ55:8,9

私の心はいとも簡単に物事がうまくゆくと自分に能力があると思いあがり、神様に謙虚に聞き従うことを忘れ、反対にうまく事が運ばないと自分の無能さに落ち込んでしまいがちな者です。それでもイザヤ書にあるように神様の素晴らしい計画は私の自分で考える計画以上に素晴らしいのだと思い返す時に、心に平安を取り戻す事ができます。主の恵みがあまりにも大きいので、また私たちの罪深さも際立ちます。限界のある私たちの思い、弱さのある私たちの心。しかし神様はそのような私たちの思いを超えて素晴らしい計画を用意していてくださるのです。

8月5日(土) ルカ5:10,11/イザヤ55:10-13

ユアチャーチには色々な仕事をしている人がいます。私たちにとっては仕事はやりがいがあり皆楽しんでいますが、それが最高の生きがいなのではありません。それはクリスチャンになって、日常どこで働いていても、家庭の中、友達の中でも私たちの存在の第一の目的が「人間を取る漁師」である事だとわかったからです。「人間を取る漁師」とはもちろん「人さらい」(誘拐犯)ではありません。混乱の中に投げ込まれている人々の魂を本来あるべき所=神様の愛の内に移し替えるのが「人間を取る漁師」の仕事です。現代の「人間を取る漁師」は牧師ではありません。クリスチャン一人一人なのです。漁師は職場にも教室にも、家庭にも必要だからです