*2000年9月24日メッセージノート*
天国の鍵(使徒言行録6:1-7、マタイ16:19 ルカ11:52)A 教会の健康を維持する鍵
1) 交わり(教会には様々な人がいる=交わりには工夫と力が必要)
(使徒言行録6:1)2) 働き(一人一人の働きは異なる)(使徒言行録6:2 IIテモテ4:1-5)
3)聖霊の満たし("霊"と知恵に満たされて用いられる)
(使徒言行録6:3、 19:1-6)4)導く賜物、従う賜物(使徒言行録6:4 出エジプト18:13-26)
B 神の言葉が広まってゆく鍵
1)牧会(交わりをいきいきとさせることは伝えることの原動力)
(使徒言行録6:5-6)2)バランス(ユアチャーチの、あなた自身の信仰のバランス)
(使徒言行録6:7)
*メッセージのポイント*
あなたは自分のずっしりと重たい(可能性を秘めた)鍵束をただ持っているだけではありませんか? 神様はあなたがそれを用いることを願っておられます。まず家庭やミニチャーチそして教会といった親しい交わりの中で、そして出て行って活用することを始めてみましょう。わたしたちはそれぞれの置かれた時、所でそこにキリストの愛を解き放つための鍵を持っているのです。
でも私たちの中でマスターキーを持っているものは誰もいません。私たちに委ねられているイエス様のミニストリーを全て解き放つためにはあなたが欠かせないのです。*ミニチャーチのためのヒント*
1)天国の鍵とはいったいどのようなものでしょう?2)それそれが出来そうでまだしていないことをシェアし、出来るようになる
ため祈り合いましょう
*ディボーションノート*―神様との親しく静かな時を持つためのヒント―
ディボーションノートは毎日聖書を読み続けるための助けです。聖書箇所は金曜日のメッセージに沿って選ばれています。文章は書いた人が神様から受け取ったものですから、あくまでもヒントです。必ず(!)、はじめに聖書箇所を読み、その日のみことばからのメッセージをあなた自身が神様から受け取ってください。そして、それをぜひ誰かに(ミニチャーチなどで)シェアしてください。9月25日(月)使徒言行録6:1 エフェソの信徒への手紙2:14-22
教会という所はイエス様を中心とし、同じ信仰を持つものが集まっているわけですが、やはり人間の組織なので色々な問題が起こりやすいのです。営利目的ではもちろんないので、上下関係がはっきりない分、難しいこともあると思います。この課題は私自身も悩んだ経験がありますので、たいそうなことをいうつもりはありませんが、そこに学ぶレッスンがありました。それまで、だれとも上手くやっていける自身があったので、その過信やプライドがこわされ本当に神様にすがったのを思い出します。私達は全ての人々と上手くやっていくことだけが一番のプライオリティーではないですが、教会内で愛が冷えているなら、ヨハネ13:35「互いに愛し合うならば・・・あなた方が私の弟子であることを御名が知るようになる」とは反対になってしまうのです。私達が主の愛で互いを愛しあっていくとき、7節で「こうして、神の言葉はますます広まり」とあるように主の愛がつたわっていくのではないでしょうか。
9月26日(火)使徒言行録6:2 テモテへの手紙U4:1-5
病気の時は病院に行き治療を、悩みがあるときは親しい友人や家族に相談し解決を求めます。多くの場合は目の前にある困難をどのように無くし、切り抜けていくかに主眼が置かれます。その困難が解決できない時もあり、また解決したとしても生きていく限りまた違う困難がくり返しやってきます。私達クリスチャンは目の前の問題を変えていくことが根本的な解決にならないことを、そしてもっと良い方法がある知っています。それはイエス様に私達自身を変えてもらうことです。自分が変わることにより自然に困難を受け入れる柔軟で穏やかな心が内側から溢れてきます。聖霊が必ず助けてくれるという保証が平安な心を生み出します。 いつの時代も私達教会の働きの中心は御言葉を宣べ伝えることですが、特に精神的に病んだ人が多い現在には御言葉の必要性を強く感じずにはいられません。第二テモテ4:2を実際に行いましょう。
9月27日(水)使徒言行録6:3 ヤコブ2:14-17
教会の中での人の世話をする働きをある教派では執事(ディーコン)と呼びます。主に神の言葉を取り次ぐ働きをする人達が長老(エルダー)です。私が以前通っていた教会で、新しく執事となる人が必要となり、誰から見ても神さまに忠実で評判の良い人が候補にあがりました。ところが、その人は私には資格がないと言って辞退したのです。私は子どもと家庭をよく治めているとは言えないから、とその理由をのべたそうです。(第一テモテ3章に執事の職につく人はこうあるべきであると教えられている箇所がありますので参照して下さい。)私は、神さまと人の前にへりくだって、このように自分の弱さを認め、職につかないことを選ぶことは、それ程簡単にできることではないだろうと思いました。教会の中で責任のある役割につく人は、神さまの前に正しく、そして霊と知恵に満たされている必要があることを学びました。
9月28日(木)使徒言行録6:4 出エジプト18:13-26
世界中の多くの教会で、牧師は全てのことをやらなければならないと感じています。
時には、牧師が他の誰にも頼ることができないために不安を感じ、さらにそれが支配
的な事柄に陥ってしまうこともあります。しかし、人々が忠実で、責任感をもって、自分たちの賜物を用いて教会に関わっていくならば、牧師や他のリーダーは本来するべきことに専念することができます。それは教会のためのビジョンと方向を神に求めていくということです。また、会衆が常に牧師とリーダーのために祈り、とりなすことはとても重要なことです。9月29日(金) 使徒言行録6:5-6 ガラテヤ3:1-9
クリスチャンになったばかりの頃のことです。最初の教会では様々な役割分担がありました。印刷係、通信係、トラクト伝道係、清掃係、何か自分にも出来そうなことをするように勧められましたが、どれも簡単な仕事、誰にでも出来る仕事、霊的に成長していなくても簡単だと思えていました。しばらくしていくうちに、表面的には信仰とは関係のない仕事のように見えていた一つ一つのことが、霊的な自覚をもってなされる時にそれが人の仕事ではなく神様がしておられる働きとなってゆくことに気付かされました。掃除にしても、調理にしても神様の働きという自覚をもってする時に、神様は尊く用いてくださいます。執事として選ばれた人々は、按手をうけてその働きに入りました。手をおくことは聖霊に満たされることを意味しています。3節にあったように彼らはもともと聖霊に満たされ知恵もあり、評判のよい人々でしたが、この働きのためには日々聖霊に満たされる必要があるのです。彼らは私たちのコンテキストで言えばミニチャーチの牧師ではないでしょうか。
9月30日(土)使徒言行録6:7 マルコ4:26-32
教会が交わりにおける障害を放置しないで、教会の中の必要を満たすために新しい働き人を立てた時に神の言葉がますます広まった。という点に心が留まりました。伝道、伝道と掛声ばかりでみんな疲れきっている教会、交わりあまりにも密で外から誰も入ってこられない教会、使徒言行録の時代の教会はそんな教会ではなかったようです。私たちの教会のことを考えてみましょう。私は最近「5つ星教会」という本を読みました。5つ星のホテルやレストランはなぜ5つ星と評価されているのか?そこから教会も学ぶべき点はないか、という主旨の本です。沢山学ぶことがありましたが、二つだけ紹介したいと思います。多くの人が来て留まることを願うなら、1)バランスのとれた機能を果すこと、2)そのために一人一人が適切なトレーニングを受けられることです。神の言葉が広がって行くために目に見える教会がどんな機能を果して行くのか、それは使命を果すための様々な働きがバランスよく連携している人の体のように複雑でしかも統一のとれたものです。どこか一つが突出していても5つ星の評価はもらえません。そのためにはみんなの賜物とそれを生かすための訓練が必要なのです。